恋愛術ですべてを理解する
「中世の心理学によれば、愛とは本質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまない激情へと、想像力と記憶を巻きこむ」とジョルジュ・アガンベンは『スタンツェ』で書いている。
中世の騎士道物語で騎士たちは、手の届かぬ貴婦人たちに愛を捧げて闘いに赴く。その姿は当の貴婦人たちを愛するというより、自分の心に映った貴婦人たちのイメージを愛しているように見える。時には泉の表面や鏡にその姿を投影して貴婦人たちのことを思ったりもするが、とうぜん、実際に映っているのは自分の姿であるわけで、神話のナルキッソスと変わらない。
アガンベンは「ナルキッソスの物語もピュグマリオンの物語も」という。
ともにいわば愛のアレゴリーであり、本質的に鏡像への強迫的な憧憬にとらわれるという愛のプロセスの妄想的な性格を、ある心理理論の図式にしたがって、典型的なかたちで示してくれているのである。その心理理論の図式によれば、本来の意味で恋に落ちることとは、何であれ常に「影を通して」あるいは「形象を通して」「愛すること」なのであり、いかに深いエロス的志向でも、常に「イマージュ」へと偶像崇拝的に向けられているのである。
偶像崇拝としての愛。
対象そのものではなく、その似姿、イメージ像に向けられる愛。
こう書くと、なんとなく倒錯した印象にもなるが、果たしてそうなのだろうか? そのものの影や形象を通じて、何かを欲すること、欲することができるくらいに対象を自分の中に受け入れること。これはむしろ実際に対象に向かう上での前提であったりはしないだろうか、とも思うのだ。
擬人化というアレゴリー
そもそも人はそう簡単に自分の外にある対象を自分の中に受けとめることができないと思うのだ。
例えば、何か理解していないことを理解した状態に移行させるのにも、それなりに労力がいる。その労力をかけて何か新しいことを理解するかどうかは、かかる労力と労力をかけて得られる価値を天秤にかけて判断しているのかもしれない。
好奇心が強ければ労力を払うし、面倒くさがりだったり何か理解することそのものが苦手で必要以上に労力がかかる場合は、理解しようとすることを避けるだろう。
その場合、何か理解を助けるものが必要となる。わかりやすく言い換えたり、漫画にしたり、事例を示したり。
中世後期ではその役割をアレゴリー=喩えが果たした。
中世後期の人びとの文化や思考の形を明らかにした『中世の秋』で、ホイジンガはその社会においては「意味とは、すなわち、しるし(サイン)のことにほかならない」状態であったと書いている。中世後期の人びとは「プリミティブな精神は、およそ名づけられるものすべてを存在と考え」、彼らにとって「存在は、かならずしもつねにではないにしても、ほとんどつねに、人間存在のかたちをとる」傾向があったというのだ。
わかりにくく、つかみにくい概念をわかりやすい存在に喩えて置き換えることでイメージしやすくする。その最たる喩えの方法が中世においては擬人化だった。
「人びとは、理念をして、ひとつの自立する存在とみなし、さらに、それをこの目でみたいと願う」し、「そうするには、擬人化こそが、唯一可能なやりかた」と考えていたというのだ。
生活のあらゆる場面にキリスト教の教えが深く入りこんでいた、この中世においての偶像の意味は、だから、この流れの中で理解していないと誤解してしまう。
偶像というのは、その像に中世の人びとが神や聖人たちの姿そのものを見たというよりも、擬人化された美徳こそを見ていたのだと考えてみると、僕らが本やウェブ上のメディアを通じて、何か情報を得て何らかのことを理解しようとする行為と変わらないことがわかる。そして、中世における大聖堂の彫刻やステンドグラス、タペストリーに表現された物語はメディアそのものであったことがあらためて理解できる。
なぜ木像を愛する?
まず理解するために、対象を自分の中に引き受けるための偶像として擬人化を用いたこと。それが中世における愛の形を理解する上でのポイントでもある。
ホイジンガは当時ひろく読まれた騎士道物語『薔薇物語』でも、擬人化の表現がいくつも見られたことを指摘している。
いったい、感情の動き、愛のいきさつを、徹頭徹尾、擬人化して表現することほど、中世的なことがほかにあろうか。『ばら物語』の登場人物たち、歓待、甘いまなざし、みせかけ、悪口、危険、恥、恐怖などは、美徳や罪を人間のかたちに描きだした、これはまさしく中世特有のやりかたと、まったく同一の発想の上に立っていた。比喩(アレゴリー)、といってもいい足りない、むしろ半信半疑の神話の世界というべきか。
「半信半疑の神話の世界」というあたりに、ホイジンガはその後の古典主義的ルネサンスにおける、古代の神話を扱う精神とのつながりを見つつも、やはり擬人化が跋扈する点でこの『薔薇物語』はまぎれもなく中世的な精神にあふれたものだと考える。
アガンベンが指摘したような、対象そのものにではなく、似姿に対して激情がうごく中世の愛は、たしかに妄想といえる。ただ、それも概念の擬人化という側面からみると、すこし違ってみえてくる。概念が人間の形の登場人物として物語に当たり前のように登場してくる時代なのだ。人びとが似姿を通じて妄想に向かうのも、そもそも中世後期の愛が「むくわれない愛」を徳性と考えていたからだということを理解していないと読み間違えるのだ。
南仏吟遊詩人たちの作品から「官能の愛そのものから、むくわれることを期待しない、けだかい女性奉仕が生まれた」とホイジンガは書いている。
けれど、中世後期の人びとが、むくわれない愛を美徳としたのは彼らの徳性が高かったからではないとホイジンガはいう。むしろ、その逆で「なによりもまず、情熱のうずきを、たしかな形式のうちに枠づけなければならなかった。それを怠れば、野蛮さに堕するという罰則が、確実に待ちうけていた」とホイジンガは指摘する。
ほっておけば自由すぎる性愛に向かってしまうのを抑えきれない性質をもっていたというわけである。「むくわれない愛」を美徳とするのは、野性味あふれる欲望を抑えこむために必要だったのだ。
それが中世の騎士道物語にも反映される。騎士たちも野蛮な中世人にほかならなかったからだ。ほっておけば、彼らも平気で力任せに掠奪する。
中世人の意識にあっては、いわば、ふたつの人生観が、よりそいあって存在していたのである。敬虔にして禁欲的な人生観は、すべての道徳感情を、おのれの側にひきつけた。それに反発するかのように、世俗的人生観は、ますます奔放に、悪魔にすっかり身をゆだねることになった。
天使と悪魔。
実際、その2つが矛盾なく同居していたのが中世の人びとの意識だったのである。深く生活のなかに入りこんだ宗教は、そのいずれにおいても意味を持っていた。騎士たちにも常に悪魔的な意識にならないための規範が必要だった。手に入らないものこそが愛の対象となった。それが貴婦人たちの似姿であったし、先述の『薔薇物語』では、その主人公が闘いの末、手に入れるのは、貴婦人そのものではなく、女性の姿をした木像であった。
精神の糧としての恋愛術
この現代に生きる僕らにとっては謎すぎる展開をする物語が当時担っていた役割を知ると驚かされる。
1240年よりまえに書きはじめられ、1280年よりまえに完成された、ギヨーム・ド・ロリスとジャン・クロピネル、ないしショピネル・ド・マン両人の手になるこの作品は、実に2世紀ものあいだ、貴族たちの恋愛作法を完全に支配したばかりか、およそ考えられうるかぎり、ありとあらゆる分野にふれての、まさに百科全書を想わせる題材のゆたかさによって、読み書きのできる一般の俗人に対し、知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるしたのであった。
「象徴主義は、いわば、中世思想に生命を吹きこんでいた呼吸作用であった」とホイジンガは書いているが、妄想のように擬人化された「歓待、甘いまなざし、みせかけ、悪口、危険、恥、恐怖」などが登場人物として登場する話が、「知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるした」とは俄かには信じがたい。
けれど、冷静になって考えてみれば、方法こそ、中世のような象徴化やアレゴリーとは異なるものの、理解しがたいものをバズワードやテンプレート化された方法論、マニュアルを通じて理解した気になっている僕らも大して、その妄想具合に違いがあるわけではないだろう。
ひとつの時代のはじめから終りまで、支配層の人びとが、生活と教養の知識を、恋愛術という枠のなかで学びとったということ、このことは、いくら重要視されてもされすぎるということはない。世俗の文化の理想が、これほどまでに、女への愛の理想ととけあってしまったような時代は、12世紀から15世紀にかけてのこの時代をおいて、ほかにはなかった。キリスト教の徳目、社会道徳、生活形態のあるべき完全な姿、すべてはこの愛の体系に組みこまれ、真実の愛という枠のなかにはめこまれたのである。
すべての知や思考を、似姿=アレゴリー的な愛の形でまかなった12世紀から15世紀にかけてのヨーロッパはたしかに、現時点からみたら異様に映る。
ただ、先に書いたように科学的なメソドロジーに支配されすぎた現代の見方だって同じように偏っている。それが偏狭であるのは、マス、ソーシャル問わずメディアで語られる言葉に多様性を欠いていることからも感じとれるのではないだろうか?