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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2020年7月の記事一覧

ポストヒューマン的言説を整理する

考えて必要な答えを出すのには、普段の準備が大事だ。 最近やってる仕事のなかでもあらためてそれを感じる。準備しているのとしていないのでは到達可能な地点がまるで違ってくる。 準備には、 ①多様な知識に可能な限り濃い密度で触れておく ②触れた知識同士の関係を小さな単位でいいので普段から考えておく ③1か月か数ヶ月の単位で1回くらいは、集めた知識や小さな単位でつなげた知識同士の関係性をあらためて整理し、俯瞰的な視点で何が言えるかを図式化したり記述したりすること の3段階がある

仕事の改革

仕事に関する話題としては、世の中、リモートワークに関することで持ちきりだ。 もうオフィスワークや、それに伴う通勤には耐えられないという声はよく聞く。 もちろん、共感する部分はある。 でも、仕事について、そんな話ばかりに終始する気には到底なれないし、リモートワークを過度に要求したいという気持ちにもならない。 とりわけリモートワークかオフィスワークかという二者択一的な話はどちらの形態にだっていいところがあるので、どちらかを選ぶという話はナンセンスすぎるように思う。 それより

生き生きと生きて考える

自分で自分の考えをつくれること。 同時に、他人の考えにもちゃんと耳を傾け、たとえ、それが自分の考えとは異なっていたとしても、ちゃんと受け入れ理解はすること(同意するかは別として)。 これはずっと感じていることだけど、あらためて最近特に強く大事だなと感じるようになったことだ。 いまのコロナ禍でのさまざまな状況や、今回の都知事選の機会でもあらわになったのは、自分で考えてある程度は自分の責任を感じて行動できる人と、自分で考えられないから上やまわりに責任を押し付け文句ばかりを言い

接触仮説

自分と同類とばかり一緒にいると、ちがう視点に立てなくなり、ちがう価値観を理解できなくなる。これは大きなデメリットだ。 いま読んでいる『絶望を希望に変える経済学』という本に書かれた言葉だ。 2019年のノーベル経済学賞を受賞したアビジット・V・バナジー & エステル・デュフロという2人の経済学者による指摘は、 BLMや香港のデモなどに代表的にみられる、現在ますます悪化しているように感じられる格差や差別、それにともなう異なる集団同士の誹謗中傷や暴力の問題に関するものだ。 個

新しい夢をみる

なんとなく悲しい気持ちだ。 近代デザインの出発は、誰もが他からの強制(力)を受けることなく、自らの生活様式を決定し、自由なデザインを使うことができるのだという前提を条件のひとつにしていた。 これは『近代デザイン史』(柏木博編・著)という本に所収の「近代デザインに向かって」中の編者でもある柏木博さんの言葉だ。 この「自らの生活様式を決定し、自由なデザインを使うことができる」という創造性が気づくと何処かに消えてしまっているように思った。 柏木博さん自身、 それは理想的生活

大人のカンニング

よい仕事をする上で、自分ごと化が大事だとはよく言われる。 対象となる課題の解決に、当事者意識をもってコミットできるかということである。 当然、当事者意識を持つためには、対象となる課題についての理解が必要だ。 理解のためには知識がいる。 誰もが知っているように有効な知識の獲得と理解にはそれなりの労力がいる。 つまり、知識の獲得と理解がそもそも課題解決にあたる以前の課題となるわけだ。 だから、実際の仕事に取りかかる前の、知識の獲得と理解というそれなりに労力が必要なことをすると