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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2019年4月の記事一覧

サン・ピエトロ広場の虹の下で

ローマに旅行中。 すでに3日目の夜。 今日はヴァチカンを訪れ、ヴァチカン博物館とサン・ピエトロ大聖堂を見学した。 博物館に行く途中に雨になり、途中、降ったりやんだりした後、サン・ピエトロ大聖堂を見終わって、広場に出たところ、虹が出ていた。 しかも、うっすらだが、二重になった虹。小さな奇跡。 本物の凄み奇跡といえば、そのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの有名な作品《ピエタ》は凄かった。 先に、ヴァチカン博物館でレプリカを見てしまったせいもあるのかもしれないけど

詩がない

詩を感じないものには、心が躍らない。 もちろん、いちいち、いろんなものに心が躍っていたら、まともに日常を生き抜いてはいけない。だから、心躍るものはそこそこの頻度であらわれてくれればいいとは思ってはいる。 けれど、本来、心躍らせてしかるべきものと面と向かったときにさえ、「あ、詩がない」と感じてしまうと、やはり、むむっとなる。 そこでの詩人の不在は、もはや罪のレベルだと思う。 詩であるということ詩とは、ある意味、神話的な歴史を語る言葉なんだと思っている。 ひとつ前のnote

はたしてセーヌのほとりに立ったとき、どんな顔をするのだろう?

最初に訪れたのは2013年。 ちょうど850周年の記念の年で、たくさんの人が集まっていたので、長蛇の列に並んで入るまでに時間がかかったのを覚えている。 でも、はじめてだったこともあって、ファサードの前で彫刻をみたり、扉の金属細工の文様をみるのも楽しかった。 その後も2度ほど中にも入ったし、外から眺めるだけなら、その年から毎年お見かけくらいはした。昨年がすこし遠くから一部だけしか見られなかったから、まさかあれが最後だとは思わなかった。 でも、印象に残っているのは、やっぱり

忘れることで……

この数ヶ月間もともとは、1冊ずつ本を読む風になってたけど、そもそもは一度に複数冊を読むスタイルがデフォルトだ。ようやく最近、そのデフォルトの読書スタイルに戻った。 いま読んでるのは、この3冊。 ・デロールの理科室から/ルイ=アルベール・ド・ブロイ、シルヴィ・アルブ=タバール編著 ・エジプト人モーセ/ヤン・アスマン ・エコラリアス 言語の忘却について/ダニエル・ヘラー=ローゼン 複数冊同時読書をしていると、互いに無関係のはずの本同士で共鳴が起こることがある。 今回も意図

環境は私を含む

うまくいかないことを外部の環境のせいにしてしまう。 社会のせい、経済のせい、会社のせい、誰かのせい……。 この人新世のこれだけ環境問題が叫ばれる、グローバルに相互につながりあった現在の世界において、自分にとってうまくいかないことを、そんな風に自分以外の外部のせいにしてしまえるなんて、どれだけ考え方が保守的で時代遅れなのだろうかと感じる。平成が終わろうとしている状況で、昭和のにおいがプンプンする(いまだに「サラリーマンは気楽な稼業」とでも信じているかのように)。 社会や組織

共創関係やエコシステムそのものが新たな主体となる

1つ前のnoteで紹介した、ロージ・ブライドッティの『ポストヒューマン』。 その記事内でも紹介したとおり、現在の行動に情報化したグローバルな社会環境、人新世という新たな段階に突入している地球環境においては、もはや「人間」という枠組みの有効性が失われ、ポストヒューマンの新たな枠組みにおいて考え、行動することが求められていることを著者のブライドッティは指摘する。 ブライドッティが言うように、僕らはすでに人間ではなくなっていて、「わたしたちは実際にポストヒューマンになっている。