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横山由依卒業コンサートへ寄せて。「真ん中にいる人」を見つめる眼差しの美しさ

今日は横山由依ちゃんの卒業コンサートへ。

自分がよくAKB48を観ていた2011年〜2013年頃の曲もたくさんセトリにあったのだけど、歌い手が変わることであの頃聴いていた印象とここまで違うのか、という体験をアイドルグループのコンサートでしたことが新鮮だったので書き残しておきたい。

今回のコンサートのアンコール曲に入っていた『重力シンパシー』。パチンコのタイアップで作られたユニット・チームサプライズのメイン曲だけど、今でもたまに聴くぐらい好きな曲で。

基本的にこの時期のAKB48の曲って「(自分のことなど眼中にない)前田敦子(そしてそれに準ずる、個性豊かな「神セブン」それぞれの女の子)を想う片想いの男の子」の目線で描かれてると思って概ね相違ないと思うんですけど、ゆいちゃんがセンターの『重力シンパシー』って、以下サビの歌詞

君に重力シンパシー 何も話せなくても
確かに今 僕らは ひとつになる

君に重力シンパシー 後ろ気づかなくても
わかり合える 日が来るよ

と、"言ってる”方(つまり、「僕」の方)がゆいちゃんである、という目線の曲に思えて、それもまた格別に良いなぁと思ったんですよね。
あの頃の「神セブン」を後ろから見て思っているような。

本人がその少し前のトークで「自分は目立つタイプではないけれど、私を見つけてくれて応援してくれたファンのみなさん、ありがとう」と言ったようなことをコメントしていて、より一層、この『重力シンパシー』の主人公の感じに重なったんだよね。「いつか、その場所に行く。いつか、わかり合ってみせる」という芯の強さがある曲に聴こえて、本当に、今まで聴いてた『重力シンパシー』とはまるで違う曲に思えて、すごく心に留まった。

それから、昔コンサートでよく聴いてた『少女たちよ』も久しぶりに聴けて嬉しかったな〜。大勢の女の子たちでこの曲を歌ってる姿を見ると、ほんと泣いちゃうのよ。

ゆいちゃんも言っていたけど、1番もさることながら、2番の歌詞、本当に素敵なのよな。

人の目に触れる星と
気づかれない星
そこにはどういう差があるの?
光 届かないぐらいに
離れているとか
雲のせいだとか
理由が欲しい

から始まるAメロで号泣しましたよ。

ゆいちゃんといえば総選挙でのスピーチが一般視聴者的にはわりと印象的だけど、今回コンサート内でピックアップされた総選挙のVTRを振り返ってみると、思った以上に10位より上の順位にランクインしていなかったことを改めて知ってちょっとビックリしてしまった。

2021年のAKB48のメンバーにおいては、横山由依という名前は割にたくさんの人が認知しているように思うから、いわゆる全盛期の「神セブン」との世代交代後も、エースやセンターとして「ド真ん中」にいた人ではないことを、意外に感じる人もいる気がする(私もそのひとり)。

だから、この曲を通して、彼女が「真ん中で輝くとはどんな気持ちなのだろう」と慮りながら生きていたのかもしれないと想像すると、思うところはすごくあった。

そして、そんな人が、それでもずっとAKB48を心から愛し、支え、引っ張っていったとを思うと、ね。いかに器が大きく、信念の人かを感じずにはいられない。

空に散らばった星の
どれが一番に
輝くのだろう?
聞かれても
誰もきっと答えられない
暗闇の先に
ここから見えない光がある

ステージの片隅で
もがき続ける
悔しさや空しさも
青春の時


と歌う歌詞の曲を多分彼女は、「私」という個人ではなく「48グループ」というの星屑の集まりように考えて「この場所に光が当たる時と、当たらない時、何が違うのだろう」とずーっと問いかけ続け、ひたすら「みんなで」輝く日を夢見て努力をやめなかったのではないかと想像して涙が止まらなかったのよ。

これからは自分の人生を全力で走る、そのひたむきな星の輝きに、私たちはこれからも間違いなく心動かされるだろうと思った。


私、多分「大きいAKB48」しか知らないから。そうじゃないAKB48の景色は新鮮で、新しい風をたくさん感じれたな〜。

ゆいちゃんありがとう。お疲れ様でした。

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