見出し画像

悲しいオシャレ

小室圭さんの長髪から振り返る、自身の「美容」の動機

数ヶ月ぶりにメディアの前に姿を見せた小室圭さんが、ロン毛を束ねたなかなかに印象的な姿だったことが多くのメディアやSNSで取り沙汰された。

私もギョッとしてしまったのは事実なのだけど、その後、森暢平さんの「日刊ゲンダイ」の記事を読み、それは決して揶揄することではなかったと反省する。

ネット上では「ちょんまげ」「ロン毛」「コムロン」「ポニーテール」などの揶揄で溢れている。カメラの前でポケットに手を入れた姿を批判する人たちがいる。                              小室さんの髪型をあげつらうことはハラスメントと断じていい。フジテレビが最悪の例であったが、報道が髪型などの見た目に焦点を当てることは断じて許容できない。人の見た目への揶揄が許されないことが理解できない人たちには絶望する限りである。 (2021/9/17 日刊ゲンダイより)

本当にその通りだと思った。人が自身の容姿において何かしらの「選択」をする時、そこに抗えない理由があることだって、ある。

私は身を持ってその体験をしながら、今日までずっと生きてきた。

悲しいダジャレ、ならぬ、悲しいオシャレ

昔、「さまぁ〜ずの悲しいダジャレ」というのが流行って本にもなった。 

 大竹:イスに座っていいっスか?死んだ店長の・・ 

 三村:言わなくていいよ「死んだ店長」とか!!   

   思い出しちゃうだろ、笑顔の店長をよー 

 とまぁ、こんな調子で、ベタなダジャレに哀愁を漂わせる、さまぁ〜ずっぽい気が抜けた芸だ。 

 ところで私は毎月ジェルネイルをしている。会社を辞め無職になり、海外旅行で貯金が底をつきかけても、月に1度の8000円のネイルはやめていなかった。 

 「1ヶ月しかもたないのにもったいないね」 

 「すごぉーい!凝ったデザインねぇ(にやり)」 

 ネイルをしない人からしたら嗜好品だ散財だと思われ、この「すごいね」に良いニュアンスが含まれてない場合があることもちゃんと感じている。

 でも、私はネイルをやめない。 

 やめることができない。 

 なぜなら、私はアトピーだからだ。 

ネイルは嗜好品ではなく防御品

 物心ついてから悩まされ続けてきたアトピーが、社会人になってからまた悪化しだした。おそらくストレスと寝不足と飲酒が原因だろうと。どれからも逃れられなくて、だから私は寝ている間に自分の身体をかきむしってしまう。 

 ネイルをしてなかった頃、私の爪の先はとがっており、朝になると身体とシーツが血だらけになっていた。 そして夏場なんかは毎年、掻いたかさぶたが汗と混じって爪に残って、起きると爪の間が茶色く埋まっている。 それを毎朝シャワーで丁寧に洗い流すところから、私の1日は始まった。何度でも悲しい気持ちになる。恥ずかしくて、みじめになる。

小さい頃からずうっとずうっと、そうだった。 20代になりジェルネイルを施し、先をこんもりと丸く保護するようになってから、傷はできなくなった。

 それで、ホットペッパービューティ初回荒らしとなり、爪が剥がれそうになれば大慌てでさまざまな格安ネイルサロンで爪をこんもりさせることに奔走した。そうしたささいなことも、地味に自分の心を暗くした。 

 数年前に自分と相性ぴったりのネイリストさんに出会い、毎月のネイルは憂鬱なものから楽しいものへと変わった。 彼女に爪を施術してもらうと、元気がでる。 ぼりぼりと掻いて、たまに朝、爪の裏にかさぶたが残っていても、表面はとびきりに素敵な色だ。シャワーを浴びる時はやっぱり悲しいけど、でも、めげない。 

 「ネイルにこだわるなんて、“おしゃれさん”だね。お金がもったいなくて私にはできないけど」 

 そんな、かすかにトゲのある言葉に私はこう答える 

 「はは。これはね、“悲しいオシャレ”なんですよ」

 は、はぁ……。相手はよくわからないという顔をする。 

誰がなんと言おうと、私はネイルをやめない。悲しいオシャレを、やめられない。

私たちがオシャレをする理由

 いつも奇抜な髪色で目を引く彼女が、実は白髪に悩まされていたり、体型を隠したくてわざと個性的な服を着たり。「おしゃれ」の後ろにはたまに、「悲しみ」が隠れていることがある。 

 あ、そういえば、今年は花粉がひどくて涙が止まらないのでアイメイクができないと知り合いのメイクさんに話したらまつげパーマを勧められた。生まれて初めてやったらメイクをしなくても顔がキマるのでとってもラクで、それにすこぶる評判が良くて、私の美容ルーティーンのスタメン入りをした。 

 今は楽しくやってるけど、そうだこれだってはじまりは花粉に負けた、「悲しいオシャレ」だし、それでも端から見たらそーんなことを微塵も感じさせない「オシャレのための無駄な出費」だろう。

本当のところは誰も知らない。

できるだけ、だれかが抱えるささいなこだわりを揶揄しないように努めていきたい。

 みんな、コンプレックスや境遇と自分なりに戦い、少しでも、一歩でも、明るく人生を謳歌しようとしているのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?