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震災が出てこないドラマ『ブラッシュアップライフ』。運命を描き、宿命を描かない潔さと優しさ。

ポジティブな理由からもネガティブなきっかけからも「今の脳みそのまま、あの頃に戻ってやり直したい」と思うことがある。だからたとえばバスで移動する十数分の間だけ、ものすごくリアルに、令和5年の私は平成19年にタイムスリップしてみたりする。

あの頃は目を見ることさえままならなかった憧れの男の子の前に自信満々に登場して翻弄する側になってみようかとか、今のタフなハートとわきまえない態度を持ってすれば夜の世界でいけるとこまでいけちゃうんじゃないか?とか、あるいはのちに急成長を遂げる企業に絞って就活をやり直してみたい、だとか(あと絶対に猫背には気をつけるし口呼吸もやめる、とかね)。できるだけスケールを小さくすることでリアリティを持てるというのもあるし、結局タイムリープしても自分の人生なんて大して差がないだろうという小市民根性だと言われればそれまでとも。

それでもそうした空想の中で必ずよぎることがあって、「私は2011年に震災が起きるとわかっていても、同じように平穏に生きてしまうのだろうか」ということ。ある時は権威ある大学の教授にすべての事情を話し、何か手立てを探す妄想もしたし、政府に訴えかけるシミュレーションもしたけど、妙にリアルに考えては結局己の無力さに絶望して「これの何がおもろいねん!」とかいって現実に引き戻されるバッドエンディングになるばかり。だからせめて頭の中でだけは、できるだけくだらないタイムリープができるよう集中し、私は2度目の人生でのちにアナウンサーになった男友達に告白されるストーリーを思い描く……。

今クールのドラマの中で『ブラッシュアップライフ』が抜群におもしろい。
不慮の事故で若くして命を落とした主人公が「来世はオオアリクイ」と言い渡され、もう一度人間として生まれ変わるために人生の徳を積むべく、2度、3度と人生をやり直していくストーリーだ。
1度目の人生では気づかなかった人間関係のトラブルを水面化で解決したり、前の人生より少し要領良く生きたり。時に自分や他人の人生を動かし、時にはあえて口を挟まずそっと見守る決断をする。それらひとつひとつのスケールは小さいが、そんな小さなことにめざとくしっかりちゃっかりと目をつけ、徳を積み直すお茶目なキャラクターを安藤サクラが演じているからこれがまたニクい。人生2度目の麻美ができるのはせいぜい中学・高校の成績を1度目より少しあげたり、たまごっちのブームをいち早く察知し、白のたまごっちをゲットすることぐらい。そんな麻美と彼女を取り巻く人物の人間味を、バカリズムはこれでもかというディティールで会話として紡ぎ、ひとりひとりのキャラクターにリアルな命を吹き込んでいる。「あの時のどーでもいい会話がここで生きてくるか!」の連続が、連ドラ鑑賞としてまず何よりも楽しく、作品に"カタルシス”を生んでいる。

さて、本作ではこれまで放送された全4話で、2011年に起きた震災のことを描いていない。2010年に成人式を迎える主人公である麻美は大学時代に震災を経験するはずだが、物語でそうした描写は一度もされてこなかった。当然意図的なんだと思う。

麻美は自らと、そして出会ってきた人たちの運命のためだけに奔走する。それは赤の他人からしたらどうでもいいことが大半だ。
でも、たくさんのどうでもいいことの中から効率良くコンパクトに大事なことだけを”切り抜く”ことばかりが良しとされる世の中で、誰もが忘れることのない大きな出来事をあえて”切り抜”かず、こぼれ落ちていった人物や通り過ぎる言葉だけを確かに”切り抜”き、あまつさえそれを「人生の徳を積む」ことと定義する世界は、潔く、そして優しい。

たとえば自分の行動によって変えられるものを運命と呼び、自分がどう生きようと変化することのない出来事を宿命と呼ぶとする。
運命はやり直しがきくけど、宿命はやり直しがきかない。やり直しがきかないものは描かない。だから何度やり直しになっても主人公は人生を絶望しない。そのことは私たちを安心させてくれる。

今のところ自分の人生はやり直しがきかなそうだけど、今からだって得を積むことぐらいはできそうだ。そして「徳を積む」というのは、別に世の中を変えたり世界を救ったりしなくてもいいのだと『ブラッシュアップライフ』はささやかに、しかし揺るぎなく教えてくれているのだ。


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