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「物足りない」という最高の感想を抱いた『浅草キッド』

Netflixで劇団ひとりさん脚本・監督、柳楽優弥さんがビートたけしさんを、大泉洋さんが彼の師匠・深見千三郎を演じた映画『浅草キッド』を観た。

昭和40年代の浅草で、伝説の舞台芸人として名を馳せた深見千三郎の元に弟子入りした若き日のビートたけし、漫才との出会い、師匠との別れ、そしてスターダムにのし上がる姿を描く作品だ。

熱狂的なビートたけしさんファンの劇団ひとりさんがペンとメガホンをとり、細部にまで愛が詰め込まれ、また娯楽が劇場からテレビへと代替わりする過渡期の浅草の魅力的で破天荒な演者たちが描かれており、2時間駆け抜けるように「芸と笑い」の世界を体感できた。

「本当の深見千三郎」とは

一番の感想としてはとにかく柳楽優弥さんの悪魔的な芝居と漫才のうまさにビビり倒す2時間だった(のちにナイツのラジオにゲスト出演した劇団ひとりさんが、柳楽さんの初期の漫才の演技はかなり厳しいものがあったが、相方・ビートきよしさん役を務めたナイツ土屋さんと練習をするようになってから格段にうまくなったと話していた)

日本中誰もが知っている国民的芸人の本人役で、逆にあそこまで「モノマネ」でいくんだ、っていうの結構賭けだったと思うので、素晴らしすぎて震えた。

(ビートたけし役の演技指導が松村邦洋さんだったり、漫才のネタもブラックパイナーSOSとか、本当の芸人さんたちが書いているのもすごくよかった!)

一方で深見千三郎役の大泉洋さんについては、私の超個人的な意見としては「深見千三郎ってほんとにあんな感じだったのかな?」という考えがよぎり気が散ってしまい、想像の中の深見千三郎を超えてこなかった印象があった。

これは結構乱暴な感想だとはわかっていて、実際に深見千三郎を観たことがあるわけないので、なんとなく自分の中にある「昭和の下町の舞台芸人」との照らし合わせ作業をしてちょっと違うなと勝手に思ったという感じ。

いや、私大泉洋さんめちゃくちゃ好きで。ただなんというか、柳楽さんのたけしが完璧に憑依しすぎてたから、洋さんの芝居の方は「洋さんが浅草の師匠を演じてるな」の方が先にきちゃって、別に普段ならそれでいいしむしろ「これは大泉洋が大泉洋らしくやるからいいんだよな」と思って観るのが好きなクチなんだけども、今回に関しては「大泉洋み」が極力ないほうが私は入り込めたなという感想です。

私も東京の下町生まれの端くれだったりするもんで、どうも「あの頃の下町の人たち」って出してる空気から何からもう全然違うんだよなーみたいなのをちょっとだけ思ったりしちゃって。標準語ともまた違う「江戸弁」だったり、「粋への意地」だったり、冬の朝のようなしゃきっとした佇まいだったり。別にスターじゃなくても昔の下町の人たちって大なり小なりそういうものを纏っていて、それがまた芸事というシビアな世界の中では格別にシャープネスだったのではないかと、戦後の芸人たちのわずかな映像を観ながら思ったりしていたので。

そこいくと大泉洋さんの表現された「深見千三郎」って、圧倒的な存在感と芸へのシビアさ、弟子や業界全体への深い愛みたいなものはものすごく豊潤だったけど、ちょっと柔らかさがある印象だった。

と、ここまでいろいろ思ってから深見千三郎をwikipediaで調べたら、めちゃめちゃ北海道出身の人だったの(笑)そして本物の深見千三郎を映像で観ることはほとんど不可能だということもわかって、この「えーどうなんだろこれ」の気持ちは永久に答え合わせできないことがわかったのだった。(でもそれもまたよし)

一番好きなシーン

ただもうとにかく何がよかったってさ、売れっ子になったビートたけしと師匠が再会して杯を交わすシーン。あそこ大好きっていう人いっぱいいると思うのだけど、本当にいいよねぇ!深見千三郎もビートたけしもたくさん名言を残しているけど、本当に時代を超えて保存されるべきは、あんな風に何気ない、心底くだらなくて、誰かの思い出の中にしか残っていない時間だったりするから。実際にあんなことが起きたのかはわからないけれど、ああいった形で映像で鮮やかによみがえることはとっても嬉しい。ワクワクして、そしてじんわり泣いた。

余談だけれど私は前職で「トゥナイト」でおなじみの映画監督・山本晋也さんと長くお仕事をご一緒していた時期があるのだけど、山本カントクがふとした時に話してくれる、赤塚不二夫さんやタモリさん、たこ八郎さんたちとの飲み屋でのエピソードが大好きだったの。新宿の「ひとみ寿司」という店に集まり、寿司屋なのにだれもほとんどお寿司なんか食べないで、氷水に浸された山盛りのキャベツに醤油をつけてつまみにしながら、ああでもないこうでもないと毎晩朝までやってたんだ、って話。誰かが目を細めて話をしてくれる時、そのエピソードもさることながら、その表情そのものがもうかけがえのないキラキラしたものなんだよなっていつも思っていた。

この本でもそんなエピソードが読めるみたい。

あの、師匠とたけしの居酒屋のシーンにも、そういう輝きがあったように感じた。

芸人作品の「お約束」がなかったのが最高!

そして私が『浅草キッド』好き!となった大きな要素に「芸を支え、顔で笑って心で泣く、甲斐甲斐しい女」みたいな人が描かれるシーンがかなり少なかったことが挙げられる。

鈴木保奈美さん演じる深見の内縁の妻・麻里や、門脇麦さん演じる、たけしと同じく夢を持ってフランス座にやってくるストリップ嬢の千春なども登場するのだけど、深見の麻里への思いに過剰なノスタルジーは感じられなかったし、千春もどちらかというとたけしの「同志」のように存在している。

私はね〜そこがかなり大好きでしたね(笑)

ミュージシャンでも芸人でも、男性の彼らを主人公に置いた作品ってかっならず、彼らを支える、聞き分けがよく控えめで、全てを受け止め陰で支える、“都合が良すぎるほどに美人な”女性がヒロインとして登場するじゃないですか。

決まって主人公は彼女たちを「人生のターニングポイントで自分のことを理解し、何も言わず寄り添ってくれた」存在として描き、そのくせぞんざいに扱って傷つけ、その上で「傷つけた罪の意識」で彼女たちを美化するみたいな展開になるので、それがくるともう心底萎えちゃって。

「うわ〜結局"男のノスタルジー”の話ですか」

ってなってしまうので。

でも今回このへんの描写がかなり少なく、ストレートに「師匠と弟子の物語」だけに集中してストーリーが展開していったことに私は拍手をおくらずにはいられない。

最近SNSで話題になっている「男のための作品/女のための作品」のトリガーを外してくれているように思えて、とても心強かった。

そうそうそう!こういうのが観たかったんだよ!と思えたのである。

これって劇団ひとりさんの価値観とか感覚なのかな、それともたけしさんの性質なのかな、気になる。とにかくめちゃいい。

もっともっと「歴史に残らない物語」が観たい

さて、今回タイトルに「物足りないという感想を抱いた」と書いた。それはどういうことかと言うと、やっぱり、私はもっともっと、この先消えゆくであろう、「伝説の人たち」の何気ないエピソードが知りたい、今自分が観ている世界の後ろの、そのまた後ろの、そのまたまた後ろの……と脈々と続く先人たちが、かつて楽屋で飛ばした何気ないジョークや、喫茶店で何倍目かのコーヒーをおかわりしてようやく捻り出したフレーズ、居酒屋の端っこで起きたくだらない大事件などを受け取り、心の中に留めていきたいのだ。

日の目を浴びることなく表舞台を去った人、賞レースの準優勝者、大人気芸人が影響を受けた先輩芸人など、「歴史に残らない人の物語」が観たい。

まだまだこれじゃ物足りない!そう強く思わせてくれたのが『浅草キッド』だった。

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