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群れの中の群青

学生の頃、憧れの人がいました。柔道やってて、全国大会の常連で、人気者でカリスマ性があって、リーダーシップもあって。何かと目立つような人でした。

たまたま、小学校の頃に入ったスポーツ団の先輩で、たまたま仲良くなって、色々と相談したりする仲でした。

その人は、もう人気者でファンクラブが出来るような方だったので、周りにはたくさんの人がいました。

ですので、その人と仲良くしてる僕に対しても、まわりから何となく一目置かれている雰囲気を感じていました。

「○君ってどんな食べ物が好きなのかな?」

「○君にこれを渡しといてくれないかな?」

「○君とどんな話してるの?」

「こういう活動しようと思ってるんだけど、○君に参加してもらえるように話してくれるかな?」

まるで窓口のような役割でした。

ワタクシは所詮光に群がる羽虫よ。


そんな先輩の窓口のような少し特別な関係である事に対して誇らしい気持ちもありつつ、寂しい気持ちもありました。

ライバルが増えてしまう。

う〜ん、ライバルというか、その人の計り知れないほど大きな庭の住民が増える事に対して、不安が芽生えるのです。

自分の色が段々と薄くなっている感じがするのです。

その人が活躍すればするほど、凄いと思いつつも、寂しくなる感覚。

それでも、その人は僕に対して、色々と気を遣ってくれるんですよね。

「何か困ったら言ってね。いつでも相談にのるからな。今日一緒に帰ろう!」

器がとにかく大きい人なんだろうと思います。だからこそ、器が小さい僕にとっては、全く理解できないのです。

結局人間関係って、自分がどう思ってるとか、何を言ったかじゃなくて、相手がどう受け止めたかという事が全て。

複雑に絡まった巣の中🪹の安心感


きっと、好きだったんだと思います。

好きって色々な好きがあるけど、一体この好きってどの好きなんだろうか?

もしかしたら、嫌いなのかもしれない。

嫌いも色々な嫌いがあるけれど、一体この嫌いってどの嫌いなんだろうか?

色々考えてしまう。


ある日、先輩の教室に行くと、

なんだ君か?どうしたの?

って顔をするんですよね。

なんだ君か。。。。
スローモーションでリフレインが鳴り響く。

僕自身はその人に対して、色んな感情を抱えている中で、はっきりと言える事は、

その人にとって僕の存在って、
「周りの中の1人」
に過ぎないんだなって。

それが現実であって、
それが全て。

この場所に蝋燭を立てる意味ね。


その人は卒業して、部活の県外の強豪校に行きました。そして、大きなゲガをして思うように活躍出来ていないということを人づてに聞きました。

今どうしているかは知りません。

たまたま京都駅で、似た人を見かけてしまい、その時の色々な感情がフラッシュバックしました。

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