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会いに行くよ。マヂ。

 彼女の正確な年齢を知るものは少ない。
 もし聞けばピシャリと「女性に年齢を聞くのは失礼ですよ」とやられてしまうのを、みんな知っているから。 

 そんなわけで、マリアンヌは年齢不詳のスウェーデン人おばあちゃんだ。在日歴およそ50年。多分年齢は80代。日本語は若干の拙さをまといつつも会話においては全く不自由ない達者ぶり。漢字は読めないけれど郵便物等は都度そのとき訪ねあわせたお客が読んで解説するから問題なし。日本語を筆記する必要があるときは、ローマ字記載をしていた。年賀状はサラサラっと鉛筆書きで短く、でもうつくしい「Happy new year!」

 マリアンヌはキリスト教の宣教師で、英語教師だ。目が青く、ショートヘアの髪は明るい茶色で顔の周りを明るくうねっていた、今は真っ白になってしまったけど。鼻がぐっと高く顔の中央にそびえ立ち、色が白くちょっとそばかす。小さい頃から両親に連れられて時々訪ねていったり、家に食事にお招きしたりで私にとって「背高のっぽのまりあんぬ」はとても近しい存在だった。何ならわたしが母のお腹の中に収まっている頃からマリアンヌは私を知っていたとも言える。背高のっぽのマリアンヌ。スウェーデン女性としても高い方だったようで、よく「飛行機に乗るとオランダ人と間違えられました」と笑っていた。ヨーロッパでのコンセンサス、「長身=オランダ人」を知る。その長身もここ十年でだんだん腰が曲がってきて、そして数年前に太ももを骨折したのでいよいよ歩けなくなり、かつては見上げた彼女を見下ろすようになった。椅子の中に収まるマリアンヌ、小さくなってさみしい。

 「あたまをなでてくれるまりあんぬ」が「英語の先生」になったのは中学生の時だ。ご自宅へ英会話を習いに通っていた。中学の時は母に連れられて。大人になってからは自分で。中学生のときは綺麗な色刷りで、しかし日本語は1文字も入っていないテキストを使っていた。「彼女は青い服を着ている」とか「わたしが好きなのは棒つきキャンデーだ」とか内容は他愛もない中学生レベルの英語なれど、青い目に見守られながらの勉強は緊張が伴うし、アドリブも求められたからわたしの ”どすこい!度胸で勝負する一発英会話”  はここで培われたものに違いない。大人になって通うと、今度はとにかく英語のみの1時間を過ごすことになり、これはもう、泳げないのに水に放り込まれる戸○塚ヨットスクールの如しであった。マリアンヌは、私たちがどんなにシドロモドロでも辛抱強く絞り出される言葉を待ってくれるし神経質に訂正をすることも少なかった。ただし、意味が通じないと静かに「何ですか?」と言われる。そうだ、直された中で覚えているのは、コーヒーブレイクにお茶菓子をいただいて「Delicious!」といったところ「Nice のほうがエレガントですよ」と教わったことだ。「Nice and sweet.」のように使うのがよろしいらしいですよ。あと、マリアンヌはさりげなく会話の中で褒めてくれた。「そのセーター素敵ね、よく似合っています」「あらネックレス素敵ね」日本人は「いいな」と思っていても口に出すことはほとんどない。「悪い」と言わないことが「いいとおもっている」と同じだと思えというほどの勢いだ。おニューのワンピもオキニのサンダルも、無反応だと寂しいじゃないか。マリアンヌはバンバンほめてくれるし、自分からも返す刀のごとく「このセーターいいでしょう?」とか「この靴綺麗でしょ?」とかアピールされた、だからわたしは「それいいね」といえるようになった。マリアンヌのおかげだ。

 彼女は真面目誠実だが日本人の「空気とか行間とかを読む」がないからときどき遠慮なく言葉が射込まれることがあって、それが加齢とともにどんどん引き立っていった。私は結婚するとき、司式を彼女にお願いしたが打ち合わせで「誓いの言葉入れますか?」と聞かれて驚いた。誓わない選択肢などあるのか。「誓っても別れる人たくさんいるじゃないですか」涼しい顔のマリアンヌ。さばけてますね!でも「誓いの言葉」入れてもらったし、今でも「健やかなる時も辞める時もムカつく時も」夫を愛そうと思い続けている。…さておき、子供の頃からの「好き」はくつがえらない。
 宣教師の彼女は英語を教えながら、救いの道を説き続けた。 「英会話レッスン」は月謝を取るが(しかし格安)、一緒に英語の聖書を読み、マリアンヌに説き明かしをしてもらい、悩みを聞いてもらう「バイブルクラス」だと無料だ。そこを入り口にして彼女に救われ、キリスト教に入信した人の数は両手の指では足りない。
 彼女を訪ねると、そこには大抵先客がいる。いなくても、途中できっと誰かがくる。「あらどうぞ。お客様いるけど、ご一緒にどうぞ、こちら〇〇さん」上手にひきあわされ、数年来の知己のように一緒に話ができるようになってしまう。マジックだ。何ならマリアンヌ宅で高校時代の恩師に遭遇したことすらある。マジックにもほどがある。

  
 外観はありふれた日本のアパートなのに、ドアを開けるとそこはきっぱりと北欧なのだ。マリアンヌは50年も日本に暮らしながら衣も食も住も和風に転ぶことはなかった。大きなソファとか壁掛けとか、テーブルの上でいつも揺れるキャンドルの炎とか。簡素な背の高い本棚にぎっしりの洋書とか。
 決して高価なしつらえではないけど、長く大切に使っているのがわかる。わたしは子供の頃からマリアンヌの家に出入りしてきたから知ってる。あの本棚もソファも、ン十年選手。15年ほど前、オシャレ北欧家具で有名なIKEA の日本1号店が初めてやってくる時、新聞の全面広告(青と黄色が眩しい)をひらひらさせてとても喜んでいた。ベッドはIKEA製を本国から運んできてずっとそれで寝ているといっていた。彼女は背が高いから、日本のベッドでは足りなかったのだ。
 そんな北欧空間ではしょっちゅう「How about having a cup of coffee?」とコーヒータイムがすぐ始まる、コーヒーはインスタントだしカップはまちまちのマグカップ。「as you likeでね」と銘々がコーヒーの粉を仕込みミルク砂糖も自分で選ぶスタイルだが、きちんと添えられたティースプーンや一人一人に渡される綺麗な柄のペーパーナプキンでふしぎと「外国で素敵なおもてなし」気分が盛り上がる。このペーパーナプキンが美しくて、口元を拭いたりくしゃりと丸めたりする気には到底なれなくて、「みんな使わないですよどうしてですか」とマリアンヌはいつも訝しがっていた。逆にどう使うのが正解なんですかマリアンヌ。私も使えなくていつも大事にバッグに入れて帰った。

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 70の坂を越えたと思われるあたりからマリアンヌはだんだんおばあさんになった。どこへ行くにも自転車を悠々と漕いでいたのに、太ももの骨を折ってからは自転車はおろか、歩く姿も弱々しくなった。背中もどんどん丸くなっていった。毎週の教会での礼拝も、姿を見せなくなった。
 そして、ついに彼女が本国へ帰国する手続きに入ったことを知った。

  実は昨日、久しぶりにマリアンヌに会った。 

 彼女の気に入っている小さなレストランで一緒に食事。誰も口に出して言わなかったが、静かなお別れ会だ。でも、緊急事態宣言は明けたし、参加メンバーは全員ワクチンを打ち終えていたし、久しぶりに美味しいものを楽しく食べましょうと集まったメンバーの顔は一様に明るかった。
 車を駐めた場所からお店まで、長い横断歩道を渡らねばならない。信号はない。そして行き交う車はどれも止まらない。私は高く手を挙げた。杖をついたマリアンヌの背中に手を添えてそっと歩く、しかしその歩みはカメより遅い。わたしが子供の頃はあの長い足に追いつくのも大変だったのに。しょんぼりしながらも一緒に歩く。停止している大きな黒いワンボックスカーが焦れてじりじりと間を詰めてくる、失礼なワンボックスに向かって手を挙げ…というよりは歌舞伎役者が見得を切るように手をえいっ、とそのフロントグラスに向けて突き出して、渡り終えた。だいじょうぶだろうか、こんなおばあさんが関空までどうやって行くのかしら、空港内をどうするのかしら、飛行機の中はいいとして、向こうにはお迎えがいるのかしら。すぐ入国は叶うのかしら。

 聞いても「だいじょぶですよ」とサラリと言われるのだろう。マリアンヌは友達がとても多い。長い人生のうちにしてきたことがそこここで実り、今のマリアンヌに帰ってきているんだと思う。何よりいつも心に信仰の火を燃やし、祈りを重ねて過ごしたマリアンヌには「神様のお守りがある」揺らがない。

 友達といえば、引越しにあたり今まで愛用したたくさんの品々を譲り渡す話がどんどん進んでいるという。ソファ、テーブル、テレビ、ベッド、小ダンスなどなど。捨てるよりも、かつて親しくした人たちに引き続き使ってほしい思いがあるとのこと。食事の途中にその話は突然降ってきた。「あなた、私のデンチレンジもらってください」「あなたは家族が多いから、二つあったら便利ですよ。お持ちなさい、デンチレンジ」電子レンジのことだ。今時電子レンジは生活必需品にて持っていない人はいない。みんなに「あるからいいです」と断られてしまってマリアンヌはすっかりお困り…を超えて、おかんむりだったようだ。「ふたつあったら便利ですよ。あなたのところ、置くところあるでしょう」
 置くところのあるなしはさておいて、旧知の友が困っているのを見過ごすわけにはゆかず受け取ることにした。ちなみに、わたしのキッチンには電子レンジ、すでに2つある。
 同席の仲間がいきなり「英語でも電子レンジのこと”チン”っていうの?」と言い出したので私は口に含んだばかりの水を吹くところだった。マリアンヌはクッソ真面目なので動じず「英語ではmicrowave ovenですよ。たいていmicroと略す人が多いです」と教えてくれた。チンも大概だが、あれだけ存在感のある機械をmicroとは恐れ入る。

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 そのまま話題は引越し後の彼女の住まいに移った。ストックホルム郊外の、緑の多い静かな街にもともと小住宅を有しているマリアンヌ。今までも夏の暑い間、冬の寒い間は帰国(「日本の夏は暑すぎます、日本の冬は確かにスウェーデンよりは寒くないけれど、住宅の防寒がなっていません」とのこと)し日本とスウェーデンを行き来していたので転居というよりは今回ちょっと荷物の多い帰省となるのだろう。その場でスマホを取り出し、グーグルアースでその街の航空写真を眺めてみたら、何しろ緑の多いうつくしい街並みでため息が出た。なんて素敵なところなんだ。ずっと散歩していたい。

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「行けるようになったらすぐ、会いに行きます」

 私たちはとても熱心に言った。

「そうですか?でもわたしは不自由ですから、そんなにおもてなしやご案内できませんよ」

 マリアンヌは淡々と言う。その穏やかな笑顔の陰には「日本人はみんな遊びに行きますと言うけれど言うだけでしょう?」と書いてある、太文字で。

ところがどっこい、私たちは行きますよ。この厄介な感染症の災禍をくぐり抜け次第必ず。

だからマリアンヌ、お願い。元気でいてね。美しい街の美しい道を歩こう。FIkaと呼ばれる美味しいお茶の時間を持とう。あなたの帰国を、あなたとのお別れにしたくない。

 

#一度は行きたいあの場所

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