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個人的に好きな建築とその要素を集めたものがあったとして、それは批判しようがない - 『建築の多様性と対立性』 : まったり建築論批評 #3

まったり建築論批評の第三弾は、ロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』である。

え・・・知らない?ヴェンチューリも知らない?

そんな方もいるかもしれない。というのも、ロバート・ヴェンチューリは、コルビュジェやミース、そしてライトやガウディなどと比べると正直そこまで有名じゃないと言っていいだろう。著書としてもこの本『建築の多様性と対立性』と『ラスベガス』、そして設計した建築でいえば「母の家」(当著ではチェストナット・ヒルの住宅として紹介されている)が少し有名なくらいだろうか。ただ、さらにもう一つ言うと、その著書の内容も建築も一般の建築学科の学生の好みではないことが多い気もする。少なくとも私が学生の時には、ロバート・ヴェンチューリが好き!なんて公言する人はいなかった。

いやいやじゃあなんでこの本を取り上げるのよ、と言われそうだが、この本の序盤においてヴィンセント・スカーリーは以下のようにこの著作を説明しているのだ。

「一九二三年のル・コルビュジェ著『建築をめざして』以降、建築について書かれた著作のうち最も重要な本なのである。」

p. 12

すごい褒める!なんならこの「まったり建築論批評」シリーズの第1弾はそれこそコルビュジェの『建築をめざして』だったわけで、ならその後にこの著書を取り上げようじゃないかと思った次第だ。後述するが、実際にこの著書の中でコルビュジェとその作品はかなり多く出て来ることもある。

ただ、著書の題名は少しわかりにくい。『建築の多様性と対立性』。何が言いたいのかさっぱりわからない。まあ『建築をめざして』よりはいいか。もし卒業論文でこんな感じのふわっとした題名をつけようとしている人がいたら、絶対にやめた方がいいと言われるような題名だ。だって何を論じたいのかわかりにくいし、たとえ現代にあって重要視されている「多様性」と「対立性」なんて用語があっても、その定義が難しいというか無理だろう。相当自信がない限りやめておこう。

ちなみにこの初版本は、ニューヨーク近代美術館から発行される現代建築の理論的背景に関するシリーズ本の第1巻として出版されている。しかし第2巻以降は出版されていない。三日坊主もいいところだ。ただ、この著作が相当良かったのか、それがシリーズものとしてではなく単独の本として発行されたという経緯がある。

それではちょっとその内容を読んでみよう。そうするとその序文に次のように謳っていることがわかる。

「本書は建築批評のひとつの試みである」

p. 25

素晴らしい。なんといってもこの「まったり建築論批評」を始めたきっかけは、世の中の建築に関する論考を批判的視点で見ようというものだった。そしてコルビュジェが『建築をめざして』で多くの建築や建築家を批判したように、ヴェンチューリも批評をするとまず宣言している。さらに、この著書に対して批判をされることに対しても以下のように述べている。

「自分の著述に対する反応を、複雑な思いで見つめるのは、理論家の宿命であろうか。私の場合、私の意見に賛成する人々よりも、批判的な人々の方が好ましく感じられることが往々にしてあった。前者は、本書中の私の考えや方法をいたずらに誇張したり取り違えたりすることがままある。それではまるでパロディだ。」

pp. 31-32

まったく同意だ。私も最初に書いたように、世の中の建築界における巨匠や教授が書いた本や公演をうっとりしながら読んだり聞いたりすることには嫌悪感しかない。まあ当時は私もそうだったが、彼らの言うことは正しいと思い込んでしまっていた。たとえその話が難解で理解しにくくてもまあ正しいんだろうななんて考えてしまう。いやいや、みんなもっと批判的な視点で物事を考えよう。

ということで、 著者も望んでいたようにそろそろこの著書を批評していこう。これまでもそうであったがこのシリーズの性質上、批判的な意見を書いていくことになる。したがってここから先は有料とする。

この書評は、伊藤公文役の『建築の多様性と対立性』SD選書174、1982年第一刷、2010年第一六刷、鹿島出版会 を文献とする。本文中において引用ページしか書いていないものに関しては、全てこの本からの引用である。


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