見出し画像

当時のアメリカ人が思う、アメリカ的じゃない建築の収集 - 『建築家なしの建築』 : まったり建築論批評 #2

まったり建築論批評の第二弾は、バーナード・ルドフスキー著の『建築家なしの建築』だ。

実はこの本を好きな人は結構多いのではないだろうか。まず何といっても読みやすくて面白い。写真が多いため、スラスラ読むことができる。これまでこのシリーズで言っていたような、建築家先生による難解で複雑な言い回しであったり、長々した文章によって構成されているわけではない。それなのにその主題も示唆に富んでいそうでなんか勉強した気になる。

というのもそもそもこの本は、1964年にアメリカのニューヨークで開催された同名の展覧会が始まりであり、そこで収集された写真に著者の解説が加筆されたものとして出版されている。企画展が思ったより好評だったので、それらをまとめて本にしちゃいましたといったところだろうか。したがって、もともとが展覧会であるがためにその展覧会で用いた写真がずらりと並んでいる。そしてよく美術館であるような絵や写真の横にあるちょっとした説明がその横に申し訳程度に付されている。

ただ、単に読みやすいだけではない。著者はこの展覧会や著書を通じて、伝統的な建築史に問いを投げかけている。現状認可された、いわゆる「建築家先生」の手によるものだけがいわば「建築」とされる狭い観点に挑戦し、建築史に記録されない無名の建築に光を当てているのだ。その内容が著者によって述べられている部分を引用しよう。

「本書<建築家なしの建築>は、これまで建築史の正系から外れていた建築の未知の世界を紹介することによって、建築芸術についての私たちの狭い概念を打ち破ることを目指している。」

(p. 16)

なかなかこれは示唆に富んでいる。正直なところ現代だってテレビに出るのはそのいわゆる「建築家」であり、その建築家が設計した有名な建築しかマスコミは公表しない。しかしながら、新築着工件数を見ればわかるとおり日本だけで見てもかなりの数の建築は建てられており、それらは決して一般の人に紹介されることはないのが事実だ。現代にも通ずる何とも良さそうな題材じゃないか。

実際この本を読んでみると、確かに自分も注目していなかった建築や都市が登場する。そして、そのような建築や都市に、自身でも思っても見なかった機能がついていたり、さらには現代抱えている問題に対する解決法じゃないか、なんて思うこともある。しかしながら、もしきちんと読まなければ、読んだ感想が、「へぇー面白い」で終わりがちでもある。

まとめると、この本は写真が多く取っ付きやすい。そして面白い。それなのに示唆に富んでいる指摘がなされる。そうなるとやっぱりこの本にも信奉者がいるのだ。「風土的な建築には目を見張る部分があるよね。無名な建築にも勉強になる部分があるよ。自然発生的にできた建築にはちゃんとした理由があるんだ。土着的な建築には、現代の設備はなくても建物や都市というハードでうまく対応している。田園的な風景はその土地のものを使っているから素敵なんだよな。」なんて建築学科の学生でいきなり言い出した人がいたら、大抵『建築家なしの建築』を読んだ後だろう。決して悪いと言っているわけではない。ただ、批判的な視点で読みましたか、と問いたくなるというだけである。

しかし、この本には先ほど述べたように写真に簡単な説明しかついていないため、まったりでも建築論を批評するのはなかなか難しい。そこで、この本の「序」という部分に注目した。よく言う「はじめに」とかで述べられる部分であり、ここに著者の考えが多く記載されている。したがって、この部分への批評が多くなっていくし、少し細かい批評になってしまっているのにはご勘弁を。

そしてこのシリーズ、「まったり建築論批評」は著書に対する批判がそこそこある。したがってこれ以降は有料とする。ただ、この本をただただ面白い本だとしか思ってなかった人は是非読み進めてほしい。


ここから先は

7,197字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?