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いい心配と悪い心配

こうなったらどうしよう、、あーなったらどうしよう、、

仕事をしていると、いろんな不安や心配の言葉が頭の中を飛び交うと思います。リスクヘッジともいえるでしょうか。一般的にこのような考えが深くできる人ほど、仕事の応用力が高いと評価されます。

もちろんこれは、仕事に限った話じゃありません。いろんな場面でリスクヘッジ能力の高さを問われますよね。

ぼくなんかは、今もっとも気になるのは子育てだったりするんですね。

4歳と2歳の息子がいるんですが、長男は受け答えが流暢になってきたんで、親としては言葉遣いが気になってしまいます。次男はやっていいことと悪いことの区別はつくようになったんですが、テンションが上がるとまだ何をしでかすかわからないところがあります。なので公園なんかに行った時は、急に道路に飛び出したり、人とぶつかったりしないだろうかと常に気を配っています。

このように、心配するということは、より安全な未来に導くことができるというメリットがあります。

なんですが、その度合いが過ぎてしまうと、これはまた別問題となります。

『心配症』という名称もありますが、心配し過ぎてしまうと逆にマイナスの方向に物事が運ばれてしまうことが多いんです。

例えば、仕事であればデメリットばっかり目がいってしまって、なかなか決断できなかったりする。そうしているうちに周囲がしびれを切らしてしまって、「この人はウジウジ考えるばっかで仕事をこなすことができない」という烙印を押してくるようになります。

子育てであれば、過度に心配してなんでもかんでも「やめなさい」「大人しくしなさい」と、子供の自発性を抑え込んでしまったりしてしまいます。

親に大切にされ過ぎた子供というのは、結果として自発性を失ってしまい、「どうせ何をやってもダメなんだ」などと後天的に無気力な性格になってしまうことも多いんです。

確かに最近は、小さな子供の失踪や交通事故、虐待などといった報道がよく目につきます。そういうのを見ると「過度に心配するくらいで丁度いい」という見方もできるかもしれません。

ですが、どこかのタイミングで心配の度合いを和らげるようにしないと、結局はずっと過保護の状態になってしまいます。

コーネル大学の人間発達学教授に、カール・ピルマー博士という方がおられます。博士は1200人の高齢者と会って、1人1人と「あなたにとって人生の意味とは?」をテーマに話し合いました。

すると、人生で後悔していることは?という部分で、ほとんどの人が同じ後悔をしていることがわかったんですね。

それは「せっかくの人生を、心配ばかりして過ごしてしまった。」ということです。

もちろん日本とアメリカでは、文化や宗教的思想が大きく異なるんで、基本的な考え方が違うというのはわかります。ですが、人間が抱える本能は欲というのは、人種や国を超えても共通点が多いです。なので、そういった目線で考えれば、この調査結果も参考になるんじゃないかと考えます。

もちろん、自己判断能力が低い小さな子供のことを心配するとか、物騒な世の中になってるから夜にちょっとコンビニまで出かけるだけでも用心するといった心配は必要でしょう。

ですが、やりすぎな心配をしてしまうと、結局は自分の人生を狂わせることになりかねます。

それに、いくら心配しても自分の力じゃどーにもならないこともたくさんありますしね^^; どーにもならないことは放っておくに限ります。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。