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故あって札幌

 敬老の日の3連休、北海道へ行った。どうだ羨ましいだろう。数少ない読者にのっけからケンカを売っても仕方ないが、性分だからつい自慢をしたくなる。鼻につくと言われてしまえばそれまでだ。
 初日の夕方に新千歳に着き、エスコンフィールドで野球の試合を観戦した。見事な球場だったが、そんな話はちょっと調べればいくらでも出てくるだろうし、ぼくが書くまでもあるまい。ひねくれ者のぼくですら認めたくなるような良い球場ではあった。

 2日目の目的は別に羨ましがられるようなことではない。外祖母が札幌在住なので、顔見世を兼ねての北海道だった。彼女がパーキンソン病と診断されてからは初めての対面である。
 実は今年の夏、母が様子を見にいき、彼女とビデオ通話をした。その時の老けように驚いて、これは長くはなかろうと思い慌てて飛行機のチケットを予約した次第である。もっともあちらも、ぼくの老けようには驚いていたようだったからお互い様である。

 当日もすぐに会いに行ったわけではない。午前中、大通公園でオータムフェストが開催されていたので冷やかした。早く行くべきか、だがあまり老いた祖母を見たくないなという思いで、逡巡したことを覚えている。
 東京から持ってきた手土産の和菓子に加え、白い恋人を調達したのはそんな迷いへの贖罪意識の表れだったのだろうか。
 結局、予定していたよりも早く祖母の家へ向かった。幼い頃に訪れたきりの、札幌ドームの反射光が眩しかった。かつて憧憬を覚えたあの眩しさは今、ぼくの目を射し鬱陶しさを覚えるだけである。

 道すがら、昔ながらの札幌式住居を見かける。玄関に風除室があり、屋根の傾斜が独特のあれだ。母の実家もそういうところだった。だが今はもうない。コロナ禍の最中、祖父が亡くなったときに処分した。ぼくが向かっている祖母の家は、ただの面白みのない集合住宅だ。
 入口がいくつにも分かれ、それもまたぼくをまごつかせた。入口のライトはどこも点いておらず、真っ暗な共用廊下は足元も覚束ない。当然、インターホンすらすぐには見つからず、建物それ自体が来訪者を拒んでいるようにも感じられた。

 昔のぼくなら引き返してしまったかもしれないが、くじけずに祖母の家に着いた。直接会ってみると、なんのことはない。そこまで老けてもおらず、小さい頃のイメージの延長線上の祖母だった。強いて言うなら、歩き方が少し危なっかしい。ソファにかけていると、腕の震えが止まらない時がある。まあ貧乏ゆすりの亜種と思えば大したこともあるまい。
 昼食を食べた後、ぽつぽつと互いの近況を語るが、顔を見てしまうとそこまで語ることも無い。叔父も同居しているのだが、ぼくに輪をかけて寡黙である。黙々と煙草をくゆらせ、近所のパン工場から焼きたてのパンの香りが間を埋める。居心地は悪くなく、かといって良いわけでもない。

 そんなふうに過ごしていると、日頃、昼寝の習慣のある祖母と叔父は、どうやら眠くなったらしい。
 祖母がソファで、その向かいあわせに叔父が、そしてぼくも隣の和室で大の字になって昼寝をした。窓からの風は少し肌寒いくらいで、近所の製パン工場から、ほのかに甘い焼きたてのパンの香りがのってくる。
 一時間に満たないあの短い時間は、まさしく幸福というものだったろう。

 後の予定もないということで、晩御飯も食べていく。ベーコンとマカロニ、ミニトマトのサラダ、そして茶碗飯。あの時食べたマカロニのふにっとした感触とマヨネーズとややパサついた卵、そしてミニトマトの酸味は、2か月経った今でも容易に思い出せる。
 実をいうと夜はそのへんの寿司屋にでも行こうと思っていた。だがどんな名店でも、あの日の晩に敵うものは出せまい。

 一息をつき、ホテルへ戻った。昼間は暑かった秋物がほどよい気温だ。駅に向かう道中、すでに星が出ていた。身も心も重くなるような雲もまた、点々と空に浮かんでいた。

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