猛獣使い
どうせ今だけ
田原総一朗さんと開いている「田原カフェ」が、そろそろ20回目を迎える。昨年から運営担当として、進行役と場のコーディネーターをやらせていただいている。
立ち上げたとき「高齢の田原さんの話を聞きにくる若い人なんていないよ」
「田原さんと言えば朝まで生テレビで人の話を聞かないおじいさんでしょ」と散々言われた。
ところがどっこい、今では20代を中心に多いときで40名ちかく集まる会になった。
田原カフェでは、田原さんはなるべく聞き役としてその場に居座っていただきながらも、時に参加者さんに対して「それはどういうことなの?」「それはちがう!」とツッコんでもらうことで、場を盛り上げるのが定番になっている。
それが話題を呼んで、何回も足を運んできたり、わざわざ遠くから来られる方もいる。
取材やコラボのお申し出もいただくようになり、とても上手くいっていると自分でも思う。
その反面、卑屈に思うことも少なくなかった。
「上手くいっているのは今だけにちがいない」
「どうせみんな田原さんや有名な人と写真撮りたくて来ているだけ」
と、バチが当たるようなことをひそかに思い続けたこともあった。
今は田原さんの下で学ばせていただく立場でなので当然だと言えば当然だが、田原さんの知名度や強烈なキャラクターに頼ってばかりの自分に物足りなさも感じていた。
田原さんは89歳。とっくに平均寿命を超えている。冗談抜きで毎回「これが最後かもしれない」と思いながら運営している。
田原さんが元気でいるうちはたくさん頼って胸を借りていられるが、どうやって田原さんから学んだことを自分の手と足と頭で実践していくか、いつも考え続けた。
田原さんとは学生時代からのお付き合いではあるが、田原さんに頼るばかりではなく、自分と運営の仲間がいるからこそ田原カフェは成立する、という価値を発揮したくてもがき続けた。
二人の田中さん―13歳からの地政学―
だけど、最近になってやっと「自分のしていることには価値がある」と自信をもって思えるようになった。
その転機となったのが、5月18日の田原カフェvol.16に来てくれた、二人の田中さんだ。
この日のゲストとして出てくださったのは田中孝幸さん。
新聞記者として国際情勢の最前線で取材をされており、『13歳からの地政学』(東洋経済新報社)という本の著者でもある。
田中孝幸さんは親友がクロアチア人だった縁で、学生時代にボスニア内戦を現地で経験した。
実際に人が目の前で死んでいく様子、破壊されていく街の様子に衝撃を受けた。「どうして戦争が起きるのか」を研究しようと思い新聞記者に。
現在はウィーンに駐在し、ウクライナ戦争の取材もされている。
コロナが猛威を振るっていた頃、自身のお子さんにも伝わるような、分かりやすい国際情勢の入門書を書こうと思い、出来上がったのが『13歳からの地政学』だった。
国際情勢の裏にある「地政学」の考え方を分かりやすく小説仕立てで解説しているこの本は、19万部超えのベストセラーになり、幅広い世代に読まれている。
この日は田原さんと田中孝幸さんとで「世界は一つになれるのか?―みんなで話す地政学―」というテーマで対話をした。
田原さんは私が初めてお会いした8年前からずっと日本の安全保障のことを考えられている。16回目のイベントではあったが、この日は田原さんがいつもより饒舌な気がした。
第二次大戦後から冷戦までの東西対立が崩れて、アメリカ主導の国際秩序が続いたかと思いきや、不安定な中東情勢や中国の台頭、昨今のウクライナ戦争など、世界の国同士はいたるところで対立している。
「世界平和」なんていうけど、そもそも国同士がみんな仲良くすることは可能なのか?という意味も込めて「一つ」という表現を使わせてもらった。
日本のような島国では感じないが、世界の大半の国は国境があり、隣国と接している。一国の中に多様な民族や言語のちがいを抱えている国もあれば、自国民としての「アイデンティティ」が不安定な国民から構成されている国もある。そうした些細なちがいこそが、戦争の火種になるのだという。
田中孝幸さんは実際にボスニア内戦を経験したことで「国があることはあたりまえではない」ということを身をもってして体感されている。国同士が共存するための知恵を「シェアハウス」を例に説明されたのは、田中孝幸さんだからこそ説得力がある。
毎回ゲストがちがうと会の雰囲気も異なるが、この日はBGMをあえて使わず、田中孝幸さんの淡々とした低音ボイスがぷらたんに響いた。きっと参加者さんも、田中孝幸さんの言葉の底にある何かを感じ取ってくれたにちがいない。
全編をYouTube「田原総一朗チャンネル」で見られるので、田中孝幸さんの「本気」をぜひ味わってほしい。
noteも書いてくださりました。
田原さんのブログでも取り上げていただきました。
二人の田中さん―ひろのぶと株式会社―
この日は客席にもう一人の田中さんも来られた。
田中泰延さん。「やすのぶ」ではなく「ひろのぶ」と読む。(以下ひろのぶさん)
電通のコピーライターを経て独立し『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)がベストセラーに。
今では自身の出版社「ひろのぶと株式会社」を経営されている。かつて自身が本を書いたときに感じた印税の不公平さを変えたくて、自ら会社を立ち上げられた。
実は田原カフェの開催に至るまで、ひろのぶさんは大きな貢献をしていただいた。
3年前、田原カフェの会場の喫茶ぷらんたんがコロナ禍により存続の危機に陥った。早稲田大学が完全オンライン化をしたことで、学生街である早稲田から人がいなくなったのだ。
ぷらんたんは創業70年(当時)の老舗。「ここを失くすわけにはいかない」と早稲田の学生さんがクラウドファンディングを立ち上げた。学生時代に常連だった私も運営に入れてもらい、たくさんの方に支援を呼びかけた。
その中の一人が、早稲田のOBでもあるひろのぶさんだったのだ。
Twitterでクラファンのことを知ったひろのぶさんは、拡散に協力してくれたのみならず、応援メッセージまで書いてくださった。実はひろのぶさんも学生時代、ぷらんたんの常連だったのだ。
そのおかげもあって目標の500万円どころか750万円も集まり、老朽化した店を改修する費用まで捻出できた。そこで店の2階に手を加え、より広々とした空間に生まれ変わった。
田原さんもクラファンでは初期の段階から支援してくださったが、最後の750万円に到達する過程で、ひろのぶさんが自身のTwitter(フォロワー6万人)を駆使して拡散してくれなかったら、店の改修費用までは捻出できなかっただろう。
その改修費用を使って広々とした空間に生まれ変わった店の2階で、田原カフェは開催している。
田原カフェは33歳以下限定のイベントではあるが、この日は特別にお席をご用意させていただいた。ひろのぶと株式会社の社員さん、作家の田所敦嗣さんにもお越しいただき、賑やかな客席になった。
お誘いしたとき「年齢オーバーしているのに申し訳ない」と言われたが、お世話になった方への恩返しとしては当然である。
ひろのぶさんとお会いしたことは何度か会ったが、クラファン時期も含めて、ぷらんたんでお会いしたことはなかった。せっかくなら、田原カフェに、ひろのぶさんと親交がある田中孝幸さんがゲストの会にお招きして、生まれ変わったぷらんたんを見てもらいたいと思ったのだ。
トリプル田中
クラファンの時に初めてひろのぶさんのことを知ったが、支援の協力をお願いするにあたり、まずひろのぶさんの本『読みたいことを、書けばいい。』を読んでみた。
「文章を書くとはどういうことか」を真面目に、おもしろく書いた本。これを読んで、自分にとっておもしろくないと思ったら、こちらからお願いはしたくなかった。
だが読んでみたら最高におもしろく、とんでもない本に出会ってしまったと驚き、感動した。それでDMでクラファン協力の依頼をさせていただき、今日に至る。
会が終わったあと、早稲田の居酒屋で田中孝幸さん、ひろのぶさんたちと飲みながら語らった。
ウィーンから来てくださった田中孝幸さん、クラファンの恩人でもあり、好きな本の著者であるひろのぶさんと語らう時間は、まるで夢のような時間だった。
「今日はほんまにおもろかった!しょうごさん、あのファシリテーションは誰もができることやない。君は猛獣使いや!」
かつて電通のコピーライターとして活躍されたひろのぶさんから拝命した「猛獣使い」というあだ名。
田中孝幸さんも「今日は本当におもしろかった、ありがとう」と何度もお礼を言ってくださり、肩を抱き合った。
二人の田中さんから認めてもらえたことで、自分は田原さん横にいる人だけではない役割があるのだなと、やっと自信をもつことができた。
田原カフェはあと何回やれるか本当に分からない。
ただ、去年まで「僕はあと(あの世に行くまで)2、3年だ」と言っていた田原さんが、ここ最近は「あと5、6年だ」に修正されてきたので、この調子でもっと長生きしてもらいたいと願っている。
言論猛獣とこれからももっとおもしろい会をやっていきたいし、自分は対話の場づくりをライフワークとして続けていける。
そんなことを確信した一日だった。
帰り際、ひろのぶさんが声をかけてくれた。
「しょうごさん、孝幸さんも一緒に写真撮ろうや!トリプル田中や!」
よく考えたら私の苗字も田中だった。
2023.6.13 20:30 追記
田中孝幸さんがTwitterで、有難すぎる激励のメッセージをくださりました。
全文こちらにてシェアさせていただきます。
恩師の一人が「討論の名司会者や会食の名ホストは、オーケストラの名指揮者と共通するものがある」と言っているのを聞いたことがある。そこに参加する人すべてに目配りし、全体の流れをとらえ、高い相乗効果、満足感が得られるように誘導する。そういう営みが似ているという意味だ。そして、それを立派に務めあげるには努力だけでなく、一定の才能がなければできない。
私が5月、田原総一朗さんがマスター役で開く「田原カフェ」のイベントにゲストで呼ばれた際、運営に当たる田中渉悟さんの司会さばきをみて思い出していたのはこの恩師の言葉だった。そして、私は納得した。田原さんは彼の才能を見抜いて、特に目をかけるに至ったのだと。
田中渉悟さんは、全く無名の30歳の青年だ。田原さんのファンで長くイベントなどを通じて田原さんと関わってきたが、同様の縁を持ったのは彼だけではない。それなのに、自分のそばに置いて多くの時間を過ごす弟子のような存在になったのは、彼だった。
その背景には、彼の神経のヒダの細やかさ、言い換えればその場の全体の空気を高感度でとらえ、瞬時で次の一手を繰り出す動物的な才能を田原さんが見いだしたことがあったと推察する。ちなみに特ダネをとれる一流の記者の大半はこういう資質を持ち合わせている。田原さんは自らがそういう才能を持っているので、同じ資質を持つ人間を見いだすことができたのだろう。
ひろのぶと株式会社の田中泰延さんが渉悟さんを「猛獣使い」と表現されたが、師匠の田原さんも様々な分野の司会で長年、猛獣使い的な存在として知られてきた。一歩間違えれば死に直結するヒリヒリした緊張感で鮮やかなさばきをする「猛獣使い」。この言葉ほどこの師弟のあり方を表すにふさわしいものはない。
私はイベントの後、思わず「また面白い人間が出てきた」と独り言を漏らしていた。そして、無名の若い青年に白羽の矢を立てて育てていく田原さんの気合いに感動を禁じ得なかった。功成り名を遂げた人が親戚でもない孫ほどの若い人を損得抜きに弟子にして育てるなんて、昨今は極めてまれだ。そして、こういう営みがもっと広がればと願った。
いただいたご支援は、よりおもしろい取材・執筆・対話の場づくりをするために使わせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。