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「永遠の少年」 私の田原総一朗論

「田原カフェ」にかねてから興味を持っていた。「もしも田原総一朗が、カフェのマスターになったら」というテーマで、田原さんと主に20人くらいの若者がその時々のゲストを交えて早稲田にある喫茶「ぷらんたん」で議論するというイベントだ。

知ったきっかけは、元ゴールドマンサックスで一昨年に名著「お金のむこうに人がいる」を出した旧知の田内学さんがゲストとして出たことだった。you tubeで視聴すると、そこでは80代後半の田原さんが、40代の田内さんを交えて20代と驚くほど対等に、相互に敬意を持って交流していた。

私は昨年出した「13歳からの地政学」で、かなりの高齢の「カイゾク」と10代の男女2人がフラットに交流する様を描いた。そこには分断が深まる世代間をつなぐ営みが広がってほしいという願いがあった。

もうすでに評論家、ジャーナリストとして国民的な知名度を持つ田原さんはどういう思いでお金にもならないイベントをやっているのか。そもそも日本では功成り名を遂げた高齢者が若者と交流することは少ない。ましてや対等な立場で議論に応じるなんてことは極めてまれだ。私は現在、海外に住んでいるが、一時帰国の際にはかならずイベントに参加したいと思っていた。

すると、田原さんを支えてカフェの運営に当たっている田中渉悟さんから、私の帰国のタイミングでのゲストとしての参加の打診があった。私が持っていた問いへの答えを探る上で、これ以上のチャンスはない。何より大変光栄なことだ。
すぐに快諾し、イベントへの準備を始めた。田原さんの著作も読みあさった。

そして5月18日のイベントの夜を迎えた。もうコロナ対策も一区切りしていたので席の間を隔てるアクリル板もなく、イベントの前の対談企画を含め田原さんと計3時間半、10センチの近距離で議論することになった。(もちろん私はこの直前の検査で陰性判定を受け、万が一にも迷惑をかけないようにしていた)これほど近距離で田原さんと長時間対峙する機会に恵まれた人は多くはないと思う。本当に幸運だった。
そして、私は自らの問いへの一定の答えを見つけた。それは田原さんは「永遠の少年」であるということだった。

人は歳をとるにつれ、世の中について知ったつもりになり、そのように振る舞い始める。そうした方が心理的に楽だし、多くの人は若い世代の手前、無知を認めるのは自分の能力不足をさらすような思いにとらわれるためだ。そして知ったつもりになる度合いと比例して知的好奇心が減退していく。
ところが、私が接した田原さんにあふれていたのは、それと真逆のあり方だった。それは異常なまでに強い知的好奇心と、無知を認めることができる自信だった。

イベント中、田原さんは「朝まで生テレビ」などのテレビ出現で見られた姿と同様、私にも矢継ぎ早に問いを投げかけることがあった。私は近距離から発せられる鋭い質問に気押されそうになりながらも必死に答えた。すると、私の回答の一つに田原さんが「そうだったのか。面白い」と目を輝かせたことがあった。

その瞬間、私には雷に打たれるような衝撃が走った。そして、深い納得に至った。これは、自分の前に果てしなく広がる世界にわくわくしながら飛び込んでいく少年の眼差しそのものだ。この人は知ることを純粋にこの上もなく
楽しんでいる。そして、世界にはまだまだ自分が知り得ていない面白いことがあることをわかっている。それを知り尽くし、面白がって生きていきたいのだ。

矢継ぎ早の質問も総理を何人も退陣に追い込んだ追及のスタイルも、相手を論破したりやり込めたりするのが狙いではない。ただ自分が興味を持ったことを徹底して知りたかったからなのだ。だからこそ、田原さんは自分が激しく追及した政治家とも良好な関係を維持することができた。こんなに邪気のかけらもない人に悪感情を抱くことなどできるだろうか。

そして、こういう人には一切の権威が通用しない。どんなに偉い学者や権力者が言っていて、それを世の大多数の大人がありがたがって聞いていたとしても、自分が本当に肚で理解できなければ決して納得しないし、問いかけをやめることはない。決して他人に自分の理解や判断を任せることはしないのだ。太平洋戦争を少年として経験し、世の権威のもろさ、いい加減さを痛感されたことも影響しているのかもしれない。

高校生や20代の若者とフラットな対話をしている背景も、これでよくわかった。それは謙虚さを狙ってやっていることでなく、自然体の所作なのだ。少年の好奇心を持ち続けている人にとって、若者に対してえらそうにする意味も必要もない。むしろ若者は自分との年齢差が大きいだけ、面白い対話の相手、取材対象になっているのだろう。

私はこれまで高齢の要人や識者と話すときは、相手の言うことがどんなにおかしくてもとりあえず耳を傾け、意見を求められても極力異論を唱えないようにしてきた。正直な思いを伝えたら自分の話を否定されたと感じ、怒り出す高齢者が少なくないからだった。

しかし、田原さんのキラキラする目を見た後、私はこの場でこうした世の「敬老精神」は全く無用であり、むしろ最大限に失礼なことだと思った。この人は少年の心で私に裂帛の気合いで向かってきている。それに対して納得できないことは譲らず、全力でぶつかっていくことこそが礼儀であると思った。

だから、私も田原さんの言っていることで同意できないことには遠慮なく意見を述べ、曲げることはしなかった。自分のテーマに真摯に向き合うことを少しでもやめて自分の心に噓をついたら、ゲストとしてここにいるに値しないと思った。

その結果、田原さんは「それは違う」という定番のジェスチャーを幾度も繰り出し、机をたたくという異例の事態にもなった。ただ、私は田原さんが異なる意見を持つ人に悪感情を持つことはないと直感的に確信していた。意見や立場の違いも楽しめるのが本当の教養人であり、ジャーナリストであるためだ。「きょうは本当に面白かったよ」。イベント直後、田原さんは私に満面の笑みを見せた。

人は好奇心の衰えと共に老いる。言い換えれば、好奇心が強い人の心は老いず、歳をとるのは決して恐ろしいことではない。私は田原さんとのイベントを終えてホテルに戻る道中、歩きながらそんなことを考えていた。心も体も軽くなるような、そんな夜だった。

上記のサムネイルも含めPhoto by http://chiikitoeizou.com 動画は以下のリンクで視聴できます。ありがとうございました


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