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【第26弾】”変”であること

最近友達と飲んでいた際、隣の席にたまたま別の友達がいた。
合流して飲んでいたのだけど、そこで言われたことがある。

たむは何しているかよくわからない人で、よくわからないって言われることがうれしい人だよね。
たむなら何しても驚かないもん。

と言われた。そうか、私は何しているかよくわからないことが強みなのか。

確かに、「何しているかよくわからない」とか「変」って言われることがうれしい(笑)

一方で、その一言で片づけられている感もあって少し悲しかった。
それは私が、自分というもの(私はこれがしたいんだ!ということ)をわかりやすく前に出していないから、かもしれないけれども。


さて、今日は大学生になって、冬から春になるたびに思っていたことをご紹介しよう。この想いは年々強くなっている。

一言で言うと、

面白い大学生が社会に出ると面白くなくなってしまうことが悲しい

である。


詳しく

私は大学生になってから、たくさん行動して、たくさんの人と会ってきた。

その中には「世の中的な普通の大学生」とは少し違う大学生がいた。

学生団体をやっていたり、地域に出て行っていたり、海外を飛び回っていたり、イベントで毎回会う人だったり、会社で(数カ月~1年という)長期インターンをしていたり、などなどである。

そんな”面白い”大学生、”変”な大学生が、社会に出たとたん”普通”の職業に就く。これまでやっていた活動を辞めてしまう。

あんなに面白かったのに、あんなに尖っていたのに、あんなに素敵なことをやっていたのに、あんなに面白かったのに、あんなにすごかったのに、
”普通”に就職活動をして、”普通”に教員採用試験を受けて社会に出ていく。

私は1年生の内から活動していたので、同年代より先輩方の知り合いの方が多い。そして数少ない同年代の知り合いも今は4年生となり、私は休学していた関係で同年代は私より早く卒業していく。

その先輩方と同年代を見ていて、せっかくこれまで面白いことをしていたのに辞めるかよ、、、ってやるせない気持ちになる。

まるでみんな大人になっていっているみたいで、私がまだ”面白いこと”をやっているのがバカみたいで、私が幼稚みたいで、程度が低いみたいで、、、

すごく悲しい。


一方で

「詳しく」を読んで、誤解を招かないで欲しいので補足する。

”面白い”(あるいは”変”な)大学生が”良い”わけではないし、”普通”の大学生が”悪い”わけではない。それは人それぞれ自分がありたいようにあればいいと思う。

そして”普通”の職業に就くことが決して”悪い”わけでも、”面白くない”わけでもない。”普通”の会社に行っても”面白い”ことはできる。
一方で親や周りの人の過度な期待や同調圧力、奨学金などの理由から自分のやりたいことを曲げてしまっているのであれば、それはすごくもったいないと感じるし、そういった世の中は変えていきたいと思っているが。

さらに私が”面白い”人だと勝手に思っているだけで、当人は自分が”面白い”
と思っているかはわからないし、そう言われたいのかもわからない。

それに、今はまだ面白いことをしていないだけで、これから面白いことをしていこうとしているのかもしれないし。

そもそも”普通”とは何か、”面白い”とは何かを定義していない。
なんとなくニュアンスで感じ取ってくれることを期待しているが。

なので「詳しく」を読んで気を悪くされた方は申し訳ない。
この「一方で」を読んでいただきたい。


私自身は

最後に私自身はどうしたいかである。

現在教育学部の4年生(半年休学したので5年目の半年は在学している)

教員採用試験の勉強もしていないし、公務員講座も受けていないし、大学院の勉強もしていないし、就活もしていない。

中学生高校生の頃は反抗期がなかった。大学生になってから”反抗期”だと感じている。それは親にではなく、社会にである。
とっくに終身雇用が崩壊しているはずなのに、昭和ではなく令和になっているはずなのに、その事実に気が付いているのに何もできていない世の中の人々に、その人々がつくる現在の社会に反抗している。

つまんねえ。

義務教育終了後に入試を受けて高校に入って、入試を受けて大学に入って、就活して就職する。その世の中の”普通”のレールに乗りたくないって反抗している。
脳が死んだ状態でそのレールには乗りたくないって反抗している。

人は反抗期を乗り越えて子どもから大人になっていく。
(なお最近は反抗期がない子どもも増えているらしい)

私はやっぱり”面白い”人でありたいし、”面白い”ことをしていたい。

何しているかよくわからない人って言われても、”普通”な人と言われるよりはよっぽどましだ。大多数の1人になるのは、サイレントマジョリティーになるのだけはごめんだ。

大人になってしまうことが”普通”の道を行くことなのであれば、私は子どもでいい。


一方で、、、


面白い人であり続けることの難しさを感じている。楽しいことだけ、やりたいことだけやって生きていけるとも思えない。

やりたいことの前にやらなければならないこともある。

具体的に最近考えていることは、
私はやりたいことがたくさんあるのだけど、これをすべてやるにはどうしたらいいか考えた。
結果、「お金」と「人」がたくさんいることが分かった。

安定なんてクソくらえと思っていた私が、必要最低限生活できるだけのお金があればいいくらいにしか思っていなかった私が、お金を稼ぐことの必要性を感じている。

むしろ面白いことをしている人にこそ、社会に影響を与えている人にこそお金を与えるべき。ビジコンや寄付ってもともとそういう仕組みだし。

話が逸れたが、何にしろお金は稼ぐ必要がある。
それはやりたいことだけやって生きていくためにだ。

これは大きな心境の変化だ。


まあ、だからと言って、やっぱり大人にはなりたくない(笑)

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