【第5回】子どもとの関わり観
一昨日と昨日、久しぶりに会うその“生き物”に私はわくわくとドキドキだった。
最初は緊張というか、抵抗があるというか。しかし体は覚えていて、徐々に関わり方を思い出していった。
その生命力に元気をもらうと同時に、どうにもならない感覚を味わった。
これだ、この感じ、長らく味わっていなかったこの感覚。
そう、子どもだ。
----------------------------
何この始まり(笑)
子どもの面倒を見る(?)ボランティアをさせていただいた。
そこで考えていたこと→私の「子どもとの関わり観」ってある程度あるけど、考えたことなかったな。
それは考えるしかねえ、ってことで考えてみた。
・子どもの社会に踏み入らない
→けんかや揉め事になった時、殴り合いが始まらない限りは止めに入るつもりはない。子どもには子どもの関わり方がある。言いたいことは言えるし、やりたいことはやるだろう。大人がわざわざ入って注意とか、整理とか、仲介する必要はない。
また、仲直りすればいいとか、「ごめん」で許されるとか、泣いたら泣かした方が悪いだとか、そんな考えは
「まじ何言ってんの?」
大人の社会で「ごめん」で許されるの?泣いたら勝ちなの?なんでもかんでも仲直りってできるの?
大人ですらそれができないのに、子どもにその価値観を押し付けるなよ。それは大人が作り上げた幻想だろうが。そんなもん押し付けんな。
だから私はどっちの味方にもならないし、どうするのかは本人の意思を尊重する。泣いたからと言って助けに入らない。せいぜい声をかけるだけだ。「嫌だったね、うんうん、で、どうしたい?」みたいな(笑)
我ながら結構残酷(笑)
・法に反しない限り自由
→公共の福祉ってあるじゃん。あれって人権に反しなければ権利を行使していいという話ですわ。それでいいじゃん。
クラスでルール決めたり、家でルール決めたり、それは自由だけど、明らかに必要ないルールはあるわけだし、皆が合意できてないならそりゃ守らないよね。
麴町中の工藤先生の考え方してるわー(笑)
・大人が怖いと思ったら止める
→これはいつだったか忘れたが、誰かに聞いたことだ。子どもに自由にさせたいと思いつつ、どこまでさせていいのか、危険なことはさせたくないと思うだろう。この基準はちょうどいいなと思って使っている。
私は幼少期にかなりやんちゃしていたので、子どもたちに人のこと言えないんですよねー。なので私の怖いと思うラインはだいぶ向こう側にありますね。
・ある行為だけではなく、なぜその行為をしなければならないかと、その意味も教える
→子どもって素直なので、メリットかデメリットがないと動こうとしない。あいさつをするように教えても、その意味と必要性を教えなければ、あいさつをしようとは思わない。そういうもんだ。でも逆に、それさえわかれば、ちゃんとあいさつができるようになるだろう。
しかしそうは言っても難しいわけで。今日考えていたのは片付けの必要性の説明。SDGsの「作る責任使う責任」なんていいなって思った。これを説明の題材にできなかなって考えていたけど、噛み砕いて話さないと難しすぎる。
「子ども向けのSDGsしつけ教材」とかあったらよさそう。誰かやらない?(笑)
----------------------
何かほかにもある気がするが、とりあえずこんなもんだろう
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?