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【第6回】live

皆さん、生きてますかー?(笑)

たむとろは元々たむの脳内をさらけ出すために始めたものだが、にしてもたいそうなテーマを書くわけで。

きっかけは、つわの生き方留学と、休学して自分の見つめなおし手をしている中で、「生き方」についてめちゃめちゃ考えていたこと。

また、2〜3月にめちゃめちゃ本読んだ中で、自分の「生き方」が変わって来たなってめちゃめちゃ感じていたから。

それはどっちかって言うとbeing(あり方)に近い「生き方」なんだけど、今回はlive(生きる、命)に近い「生き方」の話をするよ。


・生きるとは何か?

だっぴで聞かれた質問。私の回答は

「我思う故に我あり」

なんでかと言うと、東京にいた時に、自分の生き方(beingとcareerって意味での)について迷った日があって、小雨降る中、傘もささずに、何も持たずに高架下を2時間くらい行ったり来たりすることがあったのね。

その日出した結論は、「この先のことはわからないけど、『我思う故に我あり』って言葉がめちゃめちゃしっくり来た」ってこと

自分のことを考えているとき、自分の「生き方」「生きる」「live」について悩んでいる苦しい時、

自分は「生きている」と実感する。


・生きる意味は?何をするために生きているの?

わからんくない?少なくともまだ。それを見つけるために生きている感じもするよね。逆説的かもしれないし、もはやそれすらおかしく、矛盾しているのかもしれないけど、わかんないな。

見つけようとはしているけどな、少なくとも現段階では見つかっていないし、見つけたとしても変わることもある。

見つけて(考えて)→行動して→やっぱり違うってなってまた考えて、見つけて→行動する・・・その繰り返しなんだろうなって思う。


・じゃあ生きている理由とは何か?

生物的に言うならば、心臓が動いていて、血液に血が送られることで酸素が細胞にいきわたり・・・

いや、そうじゃないんだけど(笑)お前はなんで(田村和也はなんで)生きようとしているのか

これは簡単で、

「死にたくない」

これだけよ。俺はこれが強烈に強い。それはいつからかわからないんだけど、物心ついたころから異様に恐怖している。

今でも、一人になると(例えば風呂に入るときとか、トイレに行ったときとか)不意に考えてしまって不安になり、恐怖する。

じゃあ、人間的にはどうなのか?使命と言い換えてもいいかもしれない。
人間としてなら子孫繁栄だろう。これに私は色を付けて、「後世に伝える、よくしていく」ことも人間の使命なのではないかと思う。

自分が先輩から、大人の人から、親から、社会からよくしてもらったのだから、後輩に、子どもに、これからの子どもと社会に、還元する。

それが人間としての営みではないか。


好きな風に書きなぐった。

根拠のないことを書いていることはご了承いただきたい。

私の持論である。

-------------(おまけ)-----------

冒頭で少し触れた、最近私の生き方が変わってきたというのは、

頭→心

猪→犬

という感じである。

前者は、もともと頭でっかちで、頭で考えることしか取り柄がなかった→心で感じて動くこともできるようになった。当然頭は使えるわけで、使うところでは使うことができている状況だ。よき。

後者は、イベント一筋で突き進んできた→待てを覚えたのと、道端に生えた花のにおいをかぐくらいには余裕ができたということ。前者とのかかわりがありそうなのだが、それがなんなのか今一しっくり来ておらず、言語化できていない状況。

この話はわかる人しかわからず、自分をさらけ出しているのか微妙なので、最後にちょろっとだけ書く形となった。

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