自分の葬式を考えたみた
こんばんは。
今日もお疲れ様です。
今日は「自分の葬式を考えてみた」
と言うお話。
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
僕が死んだら、
よっぽどなことがない限り、
おそらく、葬式をしてもらえるだろう。
だから、
もしものために自分の葬式を想像してみた。
ちなみに今のところ死ぬ予定はない。
むしろ最低でも100歳までは生きるつもりだ。
葬式の形式はこうしなきゃいけないって感じの、
なんかしんみりとした感じだなーっていつも思う。
もっと故人の自由にやってもいいやんって、
僕的には思う。
だから自分の葬式をデザインするとしたら、
まずは喪服を全員禁止にして、
参列者の人たちが、
自分の1番好きな服で葬式に来て欲しい。
その方がいつもの感じで嬉しい。
そして、こんなにも自分たちは、
まだまだ楽しく生きていくんだぜってことを、
死んだ僕に見せつけてほしい。
そしたら死んだ僕も楽しい。
もしかしたら僕が死ぬ頃には、
死んだ人の表情を好きなように変化させる、
魔法のような技術があるかもしれない。
それができたとしたら、
「よかったら顔を見てあげてください」ってやつをやるなら、
僕は死んでいるのに、
お腹がはちきれそうなくらい、
めっちゃ爆笑してる顔にして欲しい。
そして、覗き込んだ人に聞こえる音声で、
「ええ顔してるやろ」って言いたい。
しかも僕の声で。
さらにもしかしたら、
これから先、葬式にもAIが取り入れられて、
僕のデータを取り込んだAIが、
僕が生きてるかのように話す世界になるかもしれない。
僕が話すように参列者たちと会話できたら、面白いなーと思う。
「〇〇さんよく来たねー」って。
「僕は死んでるけど楽しく生きてね」って、
AIに言わせる。
でも、いくら楽しい葬式とはいえ、
家族はきっと悲しいという感情が出てしまうだろう。
僕のお葬式の日には、
家族は僕に対しての感情を全て出し切ってほしい。
僕のことを深く考えるのはその日だけにしてほしい。
たまに思い出してもらえれば嬉しい。
そして、家族みんな幸せで、
毎日楽しく生きていってほしい。
あとは、お経はなくてもいい。
その代わりに来た人たちに、
面倒くさいかもしれないが、
一人ひとり、僕に花をたむけて欲しい。
そして、死んだ僕に向けて、
いま、やりたいことを1つ教えてほしい。
大きな声とは言わない。
耳元で囁いてくれてもいいし、
恥ずかしかったら心の中でもいい。
その人が人生で挑戦する姿を、
僕は空からみたい。
読んでくれてありがとう。