仮想世界と「バーチャル世界」

バーチャル世界

多くのVtuberは、自らを「バーチャル世界の住人」もしくは「バーチャル世界を通じて動画を投稿・配信している存在」としている。

ところがこのバーチャル世界という概念、少し厄介。今までゲームやアニメで登場してきた「仮想空間」「仮想世界」と少し違うためだ。

仮想空間、仮想世界は、人間が器具を通して体験し、そしてまた現実に戻ってくるというイメージがある。シミュレーション的な意味合いが強い、といったほうがいいだろうか。また空間内ではアバターを使う場合も多い。

Vtuberが暮らすバーチャル世界が違う点は複数ある。
まずキャラクター的に表現した時、彼らは元から非現実な存在で、「現実世界に戻る」ということはない。あくまで「○○(Vtuber名)」という者がその姿で本当に存在する、という点は揺るがない。
(我々と同じ世界で暮らしているが、バーチャルな姿を投影させているというスタンスのものもいる。しかしその場合でもバーチャルの姿と現実の姿は同一である、とあらわされる)

 次に、技術的な面で必ずしもVR空間に存在するわけではない、ということ。3Dモデルで活動していても、動きはVR空間に投影されるが、視界には現実のゲームモニターを映している場合がある。
 それでも視聴者の目から見ればその空間にいるように見えるが、Live2DではさらにVR空間とは呼べなくなってくる。
 こうなってくると、「意思を持った非現実的なビジュアルを持つキャラクター」であるVtuberが存在する、活動する場所(しかし演者は現実世界にいるので実際にはそういう場所はない)という概念を「バーチャル空間」と表現している感じになってくる。
 「仮想空間」「仮想現実」ではデータ上でも複数人で共有される空間はしっかり存在するため、違いがはっきり分かる。

アバター勢

そして、Vtuberの分類をさらに複雑にしている「アバター勢」についても触れたいと思う。もともと知名度があるなどの理由で「現実世界の人間」であると知れ渡っていても「非現実的なキャラクター」の見た目をしたアバターを身にまとうことでVtuberを名乗ることができる。(クリエイター系職に多い?)
 多くのVtuberは非現実的なビジュアルと共にキャラクターらしい設定や世界観を持つが、アバターの意味合いが強いVtuberは世界観を持たない場合が多い。「非現実的なキャラクター」の中にも平凡な設定(学生や社会人など)の者が多数いたため、「キャラクターらしい世界観」を持つ必然性が薄まり、バーチャルな存在の定義の許容範囲がアバターの意味合いが強い者まで広がったと考えられる。

Ctuber

 ではここでCtuber、またVtuberの声優変更がなぜ広く受け入れられなかったかを考えたい。運営体制などについては論じない。
 私の考えはこうだ。声優変更は、Vtuberの最大の魅力である「意思を持ったキャラクター」という点を完全につぶしてしまうものだったから、だ。

 「キャラクターが意思を持つ」状態について今一度考えたい。
 まず通常の状態では、架空の存在が作り手の意思に反した行動を勝手にとることはない。小説なら書かなければ、漫画なら描かなければキャラクターは行動できない。
 セリフを吹き込むにしても、キャラクターと役者は独立したままだ。
視聴者が「キャラクターが意思を持っている」と認識することはない。

 ではVtuberはどうか。キャラクターと声の主は基本的に同一視される。声の主の行動、考え、性格はそのままキャラクターの行動、考え、性格と認識される。話し方や声のトーン、視聴者と同じ世界に存在するゲームをプレイすること、リアルタイムでのやり取りである程度のリアル感は演出できる。しかし視聴者はそれのみで「生」を感じているわけではない。
 声の主が変われば、同じ見た目をしていても、別人の行動、別人の性格と視聴者はわかってしまう。
 確かにトラッキングを使い、視聴者とやり取りできるリアルさを使ったコンテンツがあってもいいだろうが、その場合「架空のキャラクター」であることをはじめからもっと強調する必要があったと思う。
 「意思を持ったキャラクター」の側面を大多数の視聴者が魅力に感じていたことをないがしろにしてしまったのだと思う。

  声優変更についても、事実は変えられないのだから、認識がイコールとなったキャラクターも共に引退させるか、事実に基づいたガイドストーリーを構築するという手もあったと思う。(これはキズナアイがつかった手法でもある)

Vtuberの定義

 今でもVtuberを定義することは難しい。私は架空のキャラ寄り、アバター寄りがグラデーションのように存在し、「意思のあるキャラクター」を感じられる範囲がVtuberを名乗ることを視聴者から許容される範囲なのだろうな、と思う。なお、この基準は数多存在するV視聴者層の大多数がなんとなくそう認めている範囲なので、人によって「この人も…Vtuber?自分はそうは思わない」ということもあるし、今後変化する可能性もある。今のところ、ゆるいシェアワールドのような幅広さがある。

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