人間は多面的、Vtuberは多層的

Vtuberの「層」

 人間は多面的、というが、Vtuberはそのうえ多層的だ
 単純に言えば、
「ビジュアルと世界観」
「配信者としての(公的な)言動」
「配信外での(私的な)言動」
「中の人の存在」
などが日常的に入り混じり、その時その時の雰囲気や文脈で上に来たり下に来たり繋がったり離れたりしている。またそれを彼ら自身、Vtuber同士、そして視聴者が(程度は違えど)共通認識としている。

また視聴者の間で共有されたイメージを自分に還元する、というアクロバットができるのも面白い。

参照してほしい記事↓


Virtualというシェアワールド

 そして「バーチャル界」という特殊なシェアワールド。この環境のおかげで、キャラクターのビジュアルがあり、動き、「Vtuber」と名乗り、ある程度のキャラクター性があれば世界観を壊さず共存できる。

 シェアワールドといえば、クトゥルフ神話や東方Project、SCP財団が有名だと思う。キャラクターをシェアしているという面では、初音ミクなどのボーカロイドにも同じことが言える。詳しくはまた書く。

 いままで数々のシェアワールド企画が行われた痕跡を、私たちはネット上で見ることができる。基本長続きはしない。世界観とキャラクターにある程度の強度が必要だからだ。

 Vtuberの活動拠点「バーチャル界」と、「Vtuberが何なのか」この二点が共有されている。認識を作り上げ、広めたのは間違いなく親分ことキズナアイさんだろう。彼女がVtuberという単語を占有しなかったため、該当する要素を持つ者や、新たにYoutubeにデビューしたものがシェアし、今につながったと感じる。そしてより多層的な意味合いを持たせたのはにじさんじだろう。Vtuberの遍歴をざっと学んだ感想だ。

 シェアワールドではよくあることだが、端へ行くほど強度の弱い、グレーゾーンになる。設定をすべてさらっていくとどこかで矛盾が起きる、なんてのは「そういうもの」で済まされる。大勢が好き勝手に創作しているのだから人気な設定が主流になるし、マイナーな設定は押し流される。

 「Vtuber」は初期に比べて広義になった。らしい。↓参考記事・動画

 シェアワールドも人気が出ると混沌としてくる。日々どこかで設定が生えていくからだ。Vtuberもこれだけ広がったので、初期とは世界観の雰囲気が違うと思われる。

 しかし、大まかなイメージや、説明するときに使われる表現にはあまり変化がない。「キャラクターが動き、しゃべり、私たちは交流できる」「良いビジュアルの皮をかぶって動画や配信をする」この二つの言い方が傾向としては多いと感じる。

 なぜこのように、破城しないまま広がったのか。個人の使いやすいように解釈して定義を拡大していくと、いづれは崩壊するのがシェアワールドなのに、だ。
バーチャルという概念については、「バーチャル界」の定義があいまいで、初期から人それぞれだったため、許容されてきたのではないかと思う。

「Vtuber」に関しては、Youtube上で活動している、もう少し広げるなら動画投稿や配信をしているという点から外れると名乗りにくいため、共通認識があまり崩れなかったのだと思う。VtuberをVtuberたらしめる大きな要素が一つあるというのはシェアワールド的には「お約束」となるので大事。

Virtual世界≠仮想世界

Virtualとは、「事実上存在する」と訳せる。事実上存在する世界。仮想世界や電脳世界というよりもしっくりこないだろうか。Vtuberは、私たちと同じ世界に住む人間だったり、バーチャル世界の住人だったり、異世界の住人だったりする。どう考えてもそれらの世界は地球のように地続きではない。が、確かに存在する。

では彼らはどうやって交流しているのか?答えはそう、「Virtual」だ。複数の異なる世界がインターネットを通じて交わっている場所。そこが、Vtuberの言動や視聴者の想像で、イメージとして出来上がっていく。それら一つ一つが事実として積み上がり、結果としてそこがバーチャル界になる、というとらえ方を提案してみる。シェアワールドの究極系とも言えそうだ、と個人的には感じている。

実在している人間とオフで交流することがこの概念の例外にあたる。

(今後また書き足したり、新たな記事を書いて引用したりします。今回はこの辺で。)


 


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