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おだやかな幸せについて−その3−

私は京都で店舗を持っていない、フィルムに特化した出張写真館を営んでいる。

写真館では事業理念として、「 おだやかな幸せ 」をお客さまにお届けするということを掲げている。その事業理念を基に、日々の写真撮影やその他の仕事に臨んでいる。

そうは言っても、「 おだやかな幸せ 」自体はカタチが見えないものなので、あまり想像しにくいものだと思う。 

これまでの投稿で説明してきた通り、「 おだやかな幸せ 」とは、おそらく今の私自身が持ち合わせているものである。それが撮影の時に、肩肘張らず、自然体のままで​「 おだやかな幸せ 」を切り取ることに繋がっていくのだ。

1.おだやかな幸せから得られるもの
2.コロナの時代のおだやかな幸せ


1.おだやかな幸せから得られるもの

写真館ではおだやかな幸せがギュッと詰まったフィルム写真をお届けしている。

当たり前のことを言うけれど、つまり撮った写真には、家族の、個人のおだやかな幸せが写真に写っているということだ。

例えば、ここぞ!って時にしか着ないような服を着なくてもいい。いつものお気に入りの服を着て写真を撮る。

そうすることによって、日々のささやかな幸せを、ありのままの姿で残すことができる。

背伸びをせず、なるべく等身大で、伸び伸びと写真に写る。


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写真が手元に届いて改めて見てみると、日々のおだやかな幸せを確認することができると思う。

前回のおだやかな幸せーその2ーの記事で、私の日常の中のおだやかな幸せを挙げていったところ、意外と身近なところで感じられることに気づいた。

どこか慌ただしくて、することが多い毎日の中で、つい見落としてしまいがちな「 おだやかな幸せ 」が写真には写っている。

その写真を確認することによって、辛い時や、行き詰まった時、その写真を必要としている時に、その人を勇気づけられたり、そっと背中を押してあげられるんじゃないかなと想像する。

そういうことで、私は写真撮影を通して、「 おだやかな幸せ 」を写真という形にしている。

その写真を振り返った時に、その写真を撮った時のおだやかな幸せがよみがえって、何かの力になれればいいなと思う。

もちろん物質的には、フィルム写真をお届けしているので、お客さまはその時の自分が写った写真を得られるんだけれど、長い期間で考えてみると、きっとそうなんだ。


2.コロナの時代のおだやかな幸せ

新型コロナウイルスの影響下で、暮らす日々の中で「 おだやかな幸せ 」はどうなるんだろうと考えた。

幸い、私自身の中にある「 おだやかな幸せ 」は、そこまでコロナウイルスの影響を受けていないように思う。外に出る機会は以前に比べて減ったが、日常の中でおだやかな幸せを見つけることができる。

別に私自身、がんばって幸せでいなくちゃ、笑顔でいなくちゃという姿勢はこれっぽっちもないのだが、ささいな出来事がしみじみとありがたい今日この頃である。( 別に感傷的でもないので誤解のないよう )

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新型コロナウイルス感染という見えないウイルスにいつ感染するかという不安と一緒に生活しなくてはならない。

このような状況のなかでも、赤ちゃんが生まれたり、お子さんが1歳を迎えたり、学校に入学、卒業する人たち、結婚する人たちがいる。

コロナウイルスの影響下、それらの幸せな人生の節目節目で、「 おだやかな幸せ 」が必要とされるかどうかは分からないが、いつ依頼をいただいてもそこに「 おだやかな幸せ 」が写せるように、日々の些細なおだやかな幸せを見落とさないようにしていきたい。

写真館というハコはないけど、写真館はいつでも、お客さまの「 おだやかな幸せ 」が撮影できるように待っている。







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