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あした、仲間になるあなたへ。

ものづくりに携わる人間としては、
アウトプットがすべてで、
そのプロセスやポリシーを語るのは
なんだかムズムズする。
そんな思いから、
自分のことを語るのは避けてきました。
でも一緒に仕事をする仲間に対しては、
ちゃんと伝えておきたいと思い、
コピーライターの求人募集をした
このタイミングで書いてみます。

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いま、僕らの会社、PARKでは、
常時20〜30案件の仕事が進んでいる。
その大半はスタートアップ/ベンチャーの
ブランディングで、僕の場合は
ミッション・バリュー策定をメインに、
ネーミングやスローガン開発や
サイト制作、そしてそれらの
ディレクションに携わっている。
今までこの界隈に精通した
クリエイティブの会社が少なかったこともあり、
多くの方から声をかけていただいている。

僕は、コピーライターとは、
チャンスメイカーである、
と自分の中で定義している。
その企業やサービスの魅力や展望を
言葉で磨いて、世の中に届ける。
もしくは、埋もれていた魅力を掘り起こして、
旗を掲げる。
その企業やサービスの「らしさ」を最大化して、
チャンスのきっかけをつくる。
そんな仕事なんじゃないかと思っている。

で、いわゆる従来のプロモーション活動と、
ミッション・バリューなどの
コーポレートブランディングでは、
その言葉の目線が全然違う。
一過性のバズじゃなく、耐久年数の長い言葉で。
かといって額縁に飾るような
高尚でカタいものではなく、
気持ちの着火剤になるような
尖りと生っぽさが大切。
なにより違うのは、
できるだけ経営的な観点から課題を把握し、
戦略実行をグッと加速させる言葉をつくる、
ということだ。

クライアントから明確なお題もオリエンも
ないところから
プロジェクトがはじまることも多いし、
そもそも、このアウトプットじゃない方が
いいのでは?という議論もする。
現状の課題整理と、
未来の戦略整理の壁打ちになる。
それが、ブランディングにおける
コピーライターの
役割のひとつだと思っている。
餅は餅屋、コピーライターは
言葉を紡ぐことに専念して、
それ以外の領域まで手を出すのはおこがましい。
そう思う人もいるだろう。
でも、現実問題として、
経営視点のない言葉なんて、
いくら綺麗なものでも雑音になる。
と僕は思う。

僕自身、それをどこまでカタチにできているか、
まだまだエラそうなことは言えないが、
少なくとも、そういう“重り”を
自分に課さないことには、
過去の実績や資産を食いつぶして、
伸びしろのないコピーライターで終わる
という危惧はある。

一緒に働くことになる、
未来のコピーライターにこれだけは約束できる。
人生を、飽きさせない。と。
時には物流、時にはメディカル、時には金融、
時にはバーチャルユーチューバー、
時にはロボット、時にはビットコイン。
人生で出会わない可能性のあるものが、
すごいスピードで、仕事としてやってくる。
よーわからん、と頭を抱えながら学習する。
そして、その企業の経営を加速させる
成長エンジンとなる言葉をひねり出す。
そんなふうに、他人の人生に深く関わりながら、
自分の人生を増やすことができるのが、
この仕事のいちばんの報酬だと思う。

僕らは「愛はあるか?」を
最上位理念として掲げているけど、
それは生やさしくて幻想的なものではなく、
泥臭く責任をまっとうする積み重ねの中で
生まれるものだと思っている。
だから、この仕事はハードだし、
いろんなものを犠牲にする覚悟と
隣り合わせだとは思う。
でも、仕事を愛して、もしも仕事に愛されたら、
きっと飽きない人生には
なるんじゃないかと思う。

そんな生き方もありかな、と思った人は、
ぜひ一緒にがんばりましょう。
ご応募、お待ちしています。
ぼくのTwitterにDMでもOKです)


[自己紹介を簡単に]

2004年、新卒でコピーライターの事務所に入社。といってもメンバーは僕と師匠の2人だけで、アシスタントとしての入社だ。
師匠の廣澤康正さんは、僕とは27歳も年が離れ、いわゆる先生的なポジションを築いていた(本人的には先生扱いはうざいと思っていただろうけど)。
名前は伏せておくが、日本最大のカジュアルファッションブランドのコミュニケーション活動を一手に担い、僕はそこで、新商品のネーミングやCMや新聞広告のコピーを考えてはほとんど採用されず、シーズンごとに100種類くらい制作する店内の商品POPをひたすら書きまくる修行の日々を送る。
同時に、コピーライターとしての佇まいと、仕事に向き合う男のすべてを教わる。
・クライアントの言うとおりにするな、世の中を見ろ。
・いまできることに安住するな。
・表現の可能性を信じろ。

そこから、30歳手前にして、面白法人カヤックに入社。
当時、おそらくWEB業界でははじめて、コピーライターの専属部署を立ち上げるタイミングで創立メンバーとして参画。のちにPARKを立ち上げる親友であり戦友2人と出会う。優れたテクノロジーを駆使して何でもカタチにできる集団の中で、チャレンジングな企画に携われる面白さを感じながらも、とある案件でカンヌを受賞したとき「これ、俺たいしてなにもやってないじゃん」とふと感じ、言葉が真ん中にある会社に入ろうと、企画会社のオレンジ・アンド・パートナーズに入社。
放送作家であり、くまモンの生みの親でもある小山薫堂氏が主宰する同社で、プランナー/プロデューサーとして地方案件の企画・コンサルに携わる。一切の曇りもなくひたすら楽しい環境ながらも、「自分で会社をつくった方が面白いかも、やるなら早いうちに」と、カヤック時代の同僚である三好拓朗と佐々木智也と2015年、PARKを立ち上げる。

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