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僕は、田村和也です。

みなさん、どうも!
田村和也です。

今回は改めて、田村和也という人間がどんな人間かを
過去の人生を振り返りながら書いていこうと思います!

これを読んでいただけたら僕の人間性を
構築する要素がざっと理解できるはず!

ぜひ、お時間許す限り、ゆったりと、
読んでやってください〜〜


1:泣き虫で家族に愛される、幼少時代


1997年2月5日、二人姉弟の弟として爆誕。

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和也の『和』は平和な子に育って欲しい
という意味で付けてくれました。


当時の両親の教育方針は、

”どんなことにも幅広く触れること”
”礼儀や挨拶を忘れないこと”
”頑張る人をバカにしないこと”
”生まれてきて良かったと思ってもらうこと”

人として大切なことを幼い頃から教わります。


しかし、早生まれということもあってか
成長も追いつかず、引っ込み思案で泣き虫でした。

幼稚園では、工作がうまくいかないとすぐに泣き出し、
外遊びでは一人で夢中になって砂場で遊ぶことも。


2:『いい子』に育つ、小学校時代


創設2年目のピカピカの小学校に、ピカピカの心で入学。

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この期間に今の自分にも深い影響を与えたことが2つ。



1つ目は多種多様な繋がり

母親の親友と家族ぐるみの繋がり
家のマンションの繋がり
親子劇場という月1で観劇やキャンプを楽しむ繋がり

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年齢も、性別も、価値観も、バラバラな人が集まって
仲良くなることが当たり前の環境にいた結果、

人とフラットに関わる価値観が生まれました。

年上のお兄さんお姉さんに追いつきたいと、
挑戦して食らいつく根性も少しずつ養われていきます。



2つ目は、応援

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当時の自分の1番の持ち味が大声(笑)
その持ち味で誰かの頑張りを励ますことにやりがいや楽しさを見出します。

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これがきっかけで、毎年応援団長を勤め続けます
小4から今の今まで応援に関わるようになります。



ただ、そんな環境での1番の欲求が『承認』だった。

どんな人にも好かれたい
すごいと思われたい
必要とされたい
愛されたい

そうしていくうちに、誰かに従う正解についていく
『いい子』に育っていきました。

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先生に勧められたから、児童会長をやる。
親に勧められたから、習字を習う。
友達に言われたから、頼まれたことをやる。


『自分らしさ』って言葉がどんな意味をなすのか、それは他人によるかもしれないが、当時の僕は『自分らしさ』に無関心になっていった、かもしれない。


3:人との関わりに悩む、中学時代


中学校入学。

当時、一番感じた衝撃が、『グループ分け』だった。

思春期真っ盛りの中学生がイケてる人とイケてない人を
分けて、選んで、見下す、雰囲気が気持ち悪かった。


フラットに人と関わることが当たり前だったからこそ

「なんで、話す人を選ばなくちゃいけないの?」

と何度も疑問を持ちます。
そんなことを思っても、一人にはなりたくなかった。
居場所を探して、自分の心とは違う選択をした時も。


背が低い、弱々しい、常に笑っている。
そんな要素を持つ『いい子』の僕は格好の標的。

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『いい子』から『いじりやすいいい子』になります。

その内、今まで以上に人の顔色を伺うように。
人との関わりに悩み、いじめにあったことも。

いただきますの挨拶で一発ギャグをかます毎日を
半年間やり切ったのはいい思い出です(笑)

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そんな中でも
大好きな応援・新たに出会ったバレーボール
に愚直に取り組み続けます。

上の写真のスポンジボブのコスプレを着て
はっちゃけているのは紛れもない、僕です(笑)


4:鬱憤から解放された、高校時代


高校入学。

待ち受けていたのは体罰だった。
中学から始めたバレーボール。ポジションはリベロ。

声と負けん気でレギュラーの座を掴み取った後に
出場した県大会で、緊張の余り怒涛のレシーブミス。

次の練習日から、一個上のキャプテンにビンタをされ続ける毎日。ストレスで腰も痛めて、受け身の人間性が深まっていきました。


それと同時に

『人は対等であるべきだ』

という思いが加速していきました。


そんな鬱憤が溜まり切った後、
2つの挑戦で変わることができました。



1つ目が、学祭の応援団長

各学年1クラスずつ縦割りでブロックを作って優勝を目指します。その中で、体育祭の応援団長に立候補しました。

30人以上の組織をまとめるのは初めてで、
空回りの連続だった。

その中で

自分にできることを誰よりもやる
人にたくさん頼りまくる
誰よりも熱量の高さを体現し続ける

そんなことを大事にしていく内に、助けてくれた
みんなのおかげで、組織が一つになっていきます。

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どんなキャラの人も、溢れんばかりの声と熱量で組織を盛り上げます。そんな状態で最後の円陣を組んだ時、組織が100%以上に活性化された喜びを味わえました。

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心が震えた。

その時に五感で感じた一瞬を、一生忘れない。



2つ目が、大学受験

直感で、運命を感じた神戸大学に進みたいと宣言。

周りの先生や友達は「まあ、頑張れよ。」の声。
当然だ。
高校自体もレベルがそこまで高くなく、僕自身の学年の順位は中の上。

それでも、諦めたくなかった。


悩んでいた5月。当時の担任の先生から頂いた言葉が



「今まで何千人と生徒を見てきたけど、
お前はちゃんと成長して、合格するよ。」


自分の可能性を十二分に信じて後押しする
その言葉に心が震えた。

今まで原動力だった「誰かに必要とされたい」から
「信じてくれる人のために、
自分の意思で成し遂げたい」
に変化していきました。


そこからの僕は、人が変わったように勉強に明け暮れます。ただ闇雲にやるのではなく、自分で各教科に受験日までのロードマップを敷いて、必要な教材を真っ直ぐ取り組み続ける。塾に行かずにやり切りました。そんな努力もあってか、本番のセンター試験では学年で1番の順位をとって合格を果たしました。

自らの意思と行動で成功できることが誇らしかった。


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上の写真は、大学に進んだ後に修学旅行で関西に来ていた先生ととった写真です。受験期に「神戸に受かったら、修学旅行の時にお会いできますね!」と話していて、そんな夢が叶った瞬間でもありました。先生とは、今でも定期的に連絡して慕わせてもらっています。


5:自らの幸せに気付いていく、大学時代


大学入学。人生の転換期になる出会いが2つ。


1つ目が、『本気』のバレーサークル、MST

自分に求めよ
他人に頼る強さを持て
燃え移せ

という3つの理念を掲げる暑苦しいサークルだ。

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サークルの合宿なんて旅行の代名詞に使われるが、MSTでは本当の合宿です。4泊5日、9時〜17時でバレーをやり続け、深夜2時までMTG。チーム間でお互いの価値観を本気でぶつけ合いながら優勝を目指します。

他にも、涙を流して人と向き合うところ、コートに出ない人も同じ熱量で応援するところ、イベントにも全力で楽しむところ、組織のために本気になれるところ、数え切れないほどの魅力に触れて、どっぷりと沼に浸かっていきます。浸かりすぎて空回りの連続だったのは内緒。。。


幹部も務めて、そんな特殊なサークルの魅力を

いかに残していけるか、
創っていけるか、
伝えていけるか、

幹部同士で毎週のようにミーティングを繰り返して
ぶつかり合いながら組織を引っ張っていきました。

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その時に取り組んだのは、
練習改革と熱い思いを伝えること。

もちろんそれも一つの効果にはなっていた。
しかし、どこか本質的でないことを感じていた。
改めてサークルの魅力を考えた時にたどり着いた答えが


『人との深い繋がり』だった。


繋がりがあるからこそ、どんな人でも気軽に参加できる、本気で求めあえる、人がきっかけで共創が生まれる。

そんなことに気づいた僕は
・先輩の跡を受け継ぎ、サークルに参加できていない人にインタビュー→個性や求める繋がりについてのブログを作成→発信
・鍋パーティなどを開催し、誰でも遊べる場作り
の2つを行います。

周りから見たら遊びのように見えるかもしれないけど、
本気で、組織のため、人のために、最後の1年間やり続けました。


そして、引退時の最後の後輩からのメッセージで

「タムさんのおかげでサークルが好きになれた」

という声も貰えました。


嬉しかった。
自分の想いでやったことが、
少しでも組織や誰かのためになっている。

本当に嬉しかった。



2つ目が、一人旅


『いい子』から少しずつ解放されてきたものの、
誰かの言う正解や、組織の正義に囚われて生きてきた。


そんな状態で、旅に出たら衝撃の連続でした。

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当たり前が通じない
自分で決めることの達成感
ハプニングも楽しむ
挑戦心が加速される


『いい子』の時の自分には考えられない経験の連続。



その中で出会った言葉が


『You are free.This is your life』


『いい子』に囚われてもがく僕に刺さる言葉だった。


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自由であれ
自由を追い求めろ
自由に本気で向き合え


この言葉を、一生問いかけ続けます。



6:『今』を生きるために『これまで』と『これから』を考える、大学院生活


大学院入学。

サボってきた数学の勉強をすること
空回りな自分の人生と向きあって就活をすること

を目的に、苦しみに苦しみながら
自分の価値観とそれに紐づく原体験
未来に向けてやりたいこと、なりたい姿
を言葉にすることが出来ました。

特に、下の記事の話は僕の人生でもあります。


『他人任せ』な人生を生きてきた
『いい子』な僕は

本気で信じてくれる存在がいたからこそ
本気を注げる組織や人がいたからこそ

『自分任せな』な人生を少しずつ生きられる
『今を生きる』僕に

変わることが出来ました。


だからこそ、今度は僕が誰かの力になりたい。
組織や人の応援をしたい。

それが今僕がやりたいことだ。


そんな、暑っ苦しい気持ちを持っています。



7:最後に


ここまで鬼のように長い自己満文を
読んでいただきありがとうございます!
大好きです!!!!!!


ここまで振り返って、思うことは一つ。


僕は、田村和也です。


と言うこと。

悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、変われたこと、
悔しかったこと、感動したこと、涙を流したこと、


どんな時の自分も否定するものではなく、
全ての経験があってこそ、
『今』ここに、田村和也と言う人間がいます。


だから、この先もたっっっくさんの苦しみと喜びが
待ち受けているとは思うけど、言い続けます。





僕は、田村和也です。










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