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デザインをロジカルに説明することの、限界とその先

2020年11月頃に執筆した記事に、加筆・修正を加えたものです。

デザインのロジックについて。たまたま同じ日に、意見の異なるツイートを見かけて興味深かった。

  • なぜこのようなデザインになったのか、ロジカルに説明できないデザイナーはダメだ。何となく感覚でデザインしていては、実力は伸びない。

  • デザインにおいて、必ずしもロジックは正義ではない。むしろ、ロジカルに説明できない魅力を宿らせることがデザイナーの使命だ。

これらは、それぞれ文脈の異なる意見なので、対立するわけではない。どちらも正しいとわたしは思う。

ロジックは大切だ。しかし、ロジック至上主義に陥ってもいけない。このバランス感は難しい。

近年、デザインのロジックについて語られる機会が増えてきたと思う。これまでは、デザインと言えば「見た目を綺麗にすること」と誤解されていたが、今ではデザインの力で生み出される優れたユーザー体験が、競争優位の要素となっている。

そして、エンジニアがそうなったのと同様に、デザイナーも内製化が進んだ。自社にデザイン組織を構えるようになり、デザイナーは、デザインの知識や文脈を共有していないメンバーと協力するようになったのだ。

すると、共通のプロトコルがないため、コミュニケーションがうまくいかない。それを埋めるのが、ロジックというわけだ。そんなわけで、「なぜこのようなデザインになったのか」を伝えられるスキルが重要性を増した。

ロジックの重要性が問われるようになる中、ロジック至上主義とも言える言説も見受けられるようになった。デザインは、全てロジカルに設計されるもので、ロジックを説明できないデザインは駄目という極論である。こうした考え方を持つ人が、デザイナーにも、デザイナーではない人の中にも増えたように思う。

わたしはというと、デザイナーをしていた頃は(※)、「ロジカルなデザインをする」とよく周囲に言われていた。これは後天的に身につけたもので、新卒で入ったシステム開発会社で、1人デザイナーとして働いていた時、デザインの意図が周囲に伝わらず、悔しい思いをしたのがきっかけになっている。

※ 追記: この記事を書いた時は、エンジニアとして働いていた

企画の意図を理解し、明確なターゲット像を持ってデザインしているのに、ただの装飾の話だと思われたり、ユーザーではなく決裁者の好みで要件が変わってしまう。なぜ、こんなにもデザインが理解されないのだろう。そして、それを突破できない自身の実力の無さに悔しさを覚えた。

そんなある日、エンジニアの本棚の中に、「インタフェースデザインの教科書」という一冊を見つけた。オライリーが出版している本で、同出版社はプログラミングに関する本しか売っていないイメージがあったので、意外だと思った記憶がある。

その中で、UIデザインのテクニックが言語化されてまとめられており、その知識を活かして上司に説明してみたら、うまく納得してもらえた。それが成功体験になった。

さらに場数を踏んで、デザインにおいて「なぜそうしたのか。あるいは、なぜそうしなかったのか」を伝える経験を積んだ。気付くと、周りから「ロジカルなデザインをする人」と思われるようになっていた。

しかし、わたしは自身を「ロジカルなデザインをする人」だと自認していない。逆の工程でデザインしているからだ。ロジカルなデザインに見られるのは、デザインにロジックを付随して、ステークホルダーに伝えているからに過ぎない。

実際には、感覚的にアウトプットを行った後で、ロジックを後から付け足している。結果として、周りからは、それはロジカルにデザインされたものと認識される。

なぜ、そんなことをする必要があったのか。前述のように、プロトコルが違うので、デザイナーの理屈をそのまま伝えたのでは突破できないからだ。そのために、ロジックを用いる必要があった。

そもそも、ロジックが「ある」「ない」という二元論はおかしい。本当にロジックがないデザインとは、目隠しをして適当に絵を描くようなものだ。実際には、多かれ少なかれ、アウトプットにはその人の知識や過去の経験から染み出す何かが存在する。だから、正確にはロジックが「言語化されているか否か」なのだ。ある、なしではない。

それでも、わたしは時々、自身が詐欺師であるように思うことがあった。ロジックなど一切用いずに、ビジュアルの力だけで納得させられるようなアプローチができれば、どんなに良いだろうか。ステークホルダーとの間に、圧倒的な信頼関係が築けていて、「あなたが作ったものなら信頼するよ。」という状態を作れれば良いのだが、ほとんどの場合はそうじゃない。

感覚(センス)だけでデザインしたと言って、同僚のデザイナーなら、アウトプットから暗黙知を読み取れるしれない。プログラマーがソースコードから意図を読み解くように。しかし、デザイナーではない人には無理なのだ。

だからといって、ロジックは完璧ではない。なぜなら、ロジックは本来複雑な事象を単純にモデル化したものだからだ。つまり、ロジックにした時点で、必ず抜け落ちるコンテキストが存在する。

ロジックを用いてデザインの正当性を証明したところで、そもそも演繹的に導き出したデザインではないので、正確にはステークホルダーのニーズを汲み取り、都合の良いストーリーテリングをしているに過ぎない。

あるいは、わたしはデザインについて、あらぬ幻想を持っているのだろうか。本当に優れたデザインであれば、説明など無くても、見せただけで相手を納得させられるのではないかと。だから、デザインにロジックを用いて仕事を進めながら、どこか邪道であるような背徳感を抱いているのではないか。

説明せずに、良いものであると納得させる。どうだろうか。芸術作品に関して、多くの人々の見方からも分かるように、それは期待できないように思う。筆のタッチや光の描き方など、技巧的な部分を捉えられる人は、同じように、その技術が分かる人だけだ。

その他の人々にとっては、絵に込められたコンテキストと、それを含めたストーリーという名のロジックが重要視されているように思う。実際、大学でデザインを学んだわたしでさえ、そうなのだから。

そんなわけで、デザインのロジックについて、わたしの考えは堂々巡りを繰り返した後に冒頭の結論に帰結する。ロジックは大切だ。しかし、ロジック至上主義に陥ってもいけない。

ロジックは、簡潔で、明確で、気持ちの良いものだ。しかし、全てを説明することはできない。それを理解した上で、わたしたちはロジックを用いて相手の立場に寄り添い、コミュニケーションする。しかし、これは何もデザイナーだけが抱える問題ではない。多かれ少なかれ、全ての職業で通ずるものと思っている。

あなたの幸運を全力で祈ります!