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依存は制約――ハッピーではないんだ!

社会福祉士養成学校の通信教育課程(←長いから分かりやすく短縮できないものか……)に在籍しておりまして、テキストを読んでいたら、意味がつかみにくいワードに出会いました。一応解決したので、メモっておきます。

福祉ニーズ(社会的ニーズ)のとらえ方のひとつで、三浦文夫さんって方が唱えた「依存的状態あるいは広義のニード」というのがいまいちピンと来なくて、頭の隅に引っかかっていました。(スルーしてもいい内容な気もしますが)

社会的ニードとは、『ある種の状態が、一定の目標となり、基準からみて乖離の状態にあり、そしてその状態の回復・改善等を行う必要があると社会的に認められたもの』というぐらいな操作的概念として捉えておくことにしたい。そして、『ある種の状態が、一定の目標となり、基準からみて乖離の状態にある』ものを仮に依存的状態あるいは広義のニードと呼び、この依存的状態の『回復、改善等を行う必要があると社会的に認められたもの』を要援護性あるいは狭義のニードと呼ぶことにしておく」

三浦 文夫『増補改訂社会福祉政策研究―福祉政策と福祉改革』全国社会福祉協議会,1995,pp.60-61.

というのは、私が、「依存」って、頼れる存在がいるなら、あるなら、むしろハッピーなんじゃない? と考えていたからです。

そんなことで、しっくり来ないな~と、電車に乗ったりしているときにふと思い出して、私を思い悩ませるもののひとつとなっていたんですね。

で、これはもう解決させよう! と「依存」の意味を調べてみました。

[名](スル)《「いぞん」とも》他に頼って存在、または生活すること。「会の運営を寄付金に―する」「―心」

デジタル大辞泉

[名・自他サ変]他のものにたよって存在していること。いぞん。 「大国の経済力に―する」 「生活を親に―する」 「―心」

明鏡国語辞典

なるほど、ちょっとこれは、ニード状態と思えてきましたが、まだ「依存できるならいいじゃーん」とずっと考えてきた私には、のどに小骨がひっかかったような気持ちです。しかし、ついに出会ったのです!

[名] (「いぞん」とも) 他のものに頼って生活または存在していること。

※大増補改訂や、此は便利だ(1936)〈下中彌三郎〉「いそん 依存 或者の存在又は性質が、他の者の存在性質に依て制約さるる関係を言ひ表はす語」

※農地法(1952)三条・二「農地及び採草放牧地を主としてその労働力に依存するだけでは」

精選版 日本国語大辞典―コトバンク

これの、下中彌三郎さんが言ってる「制約さるる関係」っていうので、納得ができました。依存=制約、ああこれは嫌だわ……。スッキリしたーーーー!!!!

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