吹っ飛んだ

医療系の研究施設で働いている。仕事は基本的に定時で終わりだ。残業もめったに無い。そして僕は独り暮らしをしている。つまり自由な時間が多いのだ。

暮らしている町は田舎だ。冬になると雪も積もる。車のタイヤもスタッドレスに履き替えた。荷室にはスキー道具が常駐している。つまり仕事が終わるとスキー場へ直行できるのである。

シーズン券を買った。さすがに平日の昼間は仕事があるのでナイター限定のものにした。価格は3万円弱。計算では毎日通わなくても余裕で回収できるお得な券だ。

そう、僕はスキーもやる。所属している草野球チームの選手層は厚い。ウインタースポーツを嗜む者も数人いる。そこで結成したスキノボ部。部長は僕だ。一番上手いという理由もあると思う。でも胡坐をかいていてはダメだ。得意なものには更に磨きをかける必要がある。故にシーズン券を買ったというわけだ。

「スキノボ部」という名前は僕がつけた。スキーとスノーボードをやる者の部活だからだ。とはいえスキー派は僕ひとり。部内でスノボ派を優勢にさせないためにもスキーで頑張るのである。

基本姿勢はクラウチングだ。前傾姿勢で空気抵抗を抑える。両腕は前に伸ばして肘は絞る。曲がるときは両板のエッジを立てて、体は地面に付きそうなくらいに倒す。右のポールは左手で、左のポールは右手で弾くように曲がるのだ。

スキーの板には安全装置が付いている。転んだ時に足のひねりを防ぐため、板は勝手に外れるようになっているのだ。初心者用の設定では軽い力で外れるようになっている。一方、上級者用の設定では強い力でも外れないようになっている。そうしないと滑るだけで外れてしまうからだ。それだけ上級者の滑りは板に負担を掛けている。もちろん僕の板の安全装置もMAX固めだ。

観光スキーの領域は超えたと思っている。もっと練習したいが、休日のゲレンデでスピードを出すのは危険だ。一方で、平日夜のゲレンデは本気組が多い。皆、遊んでいるというよりも練習している。僕もそこに混ざっているというわけだ。

何回か仕事を休んで遠くのスキー場にも出かけた。もちろん独りだ。そこは競技にも使えるゲレンデがある。本気組も多い。かっこから違う。スノーウェアではなく、ぴちぴちのレーシングスーツだ。その彼ら彼女らの描いたシュプールが教材となる。全力でなぞるのだ。そうすることで気付けることがある。

上には上がいる。正直、全力ではなぞれなかった。3ターンくらいがやっと。スピードのレンジが違ったのだ。それでも食らいついていく。案の定、僕の滑りは破綻した。

恐怖から一瞬だけ腰がひけた。すると板は曲がってくれなかった。遠心力は発生せず、僕は倒れた。こけたのである。いや、こけたというレベルではない。スピードが出ていたから、吹っ飛んだと言っても嘘ではない。相当な距離を飛んでしまったのである。

まだまだ修行が足りない。僕は全然上級者ではなかったのだ。ナイターに通った。とにかく滑り込んだ。大切なことは板の中央に重心を置き続けること。ゆっくりも滑った。片足でも滑った。お陰ですこしレベルアップしたと思う。極限域でも板をコントロール出来てきた。

すると次の壁が現れた。脚力だ。スキーは曲がるとき、板をたわませる。故にそこそこ強い脚力が必要なのだ。その日も終盤は疲れていた。脚力も最後まで保たなかった。回転中に外側の足の踏ん張りを緩めてしまったのである。板は外れた。予想はできていたので、こけることはなかったが、その日の練習は終わることにしたのだった。

おそらくこの壁を超えるには体力づくりが必要。筋トレ&走り込み。そう思った瞬間に僕の中で何かが変わった。「これくらいにしておこう」。気持ちが吹っ飛んだ。そこまでの熱量は持てなかったのである。

正直ゴールは見失っていた。大会に出たいわけではない。誰かに勝ちたいわけでもない。自分の中にある壁を突破することがおもしろかった。けれども次の壁の高さを見たとき、諦めてしまったのだ。

別にスキーを辞めるわけではない。スキノボ部の活動は続けていくだろう。観光スキーはそれはそれで好きなのだ。だが上を目指すことは辞めた。ただそれだけのことである。

すこし寂しいがそうしてよかった。嫌いになる前に距離を置けたのだ。きっとスキーよりも好きなものはあるはず。まだ出会っていないだけだ。空いた時間はそれを探すことに充てようと思う。


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