ミッション、係長の意図を探れ

お掃除系の会社に就職した。新卒入社。歳は20。いろいろと人並み以上にやらかすも、順風な社会人生活を送っている。ルーチンワークが基本の僕の仕事だが、ちょいちょいイレギュラーは起こるので落ち着かせてはくれない。

ようこそ非日常。詰まらない毎日に刺激的なエッセンスをおすそわけ。トラブルよろしく解決の過程を楽しんでくださいと。そんなイレギュラーだが、先日も発生した。

その日、大関先輩は不在となった。会社は委託業者だ。忙しい現場があれば助っ人として招集もされる。大関先輩は古巣の現場へ向かったというわけだ。

5人現場から1人抜けた。女3人僕1人。ハーレムばんざい!と思えない駄目な僕。その日の仕事はいつもより忙しくなったが、無理なくまわる。

大関先輩不要論が脳裏によぎったが、これが会社のリスクヘッジ。1人抜けても大丈夫なように人数設計されている。

ただ、男1人は何かと心細い。できることなら、こんな非日常はこれで終わりにしてほしかった。はじまりは車好きのドライブ係長の訪問からだった。上司であるノッポの姉さんと密談してると思いきや、後日大関先輩は連れて行かれたのである。

ドライブ係長には気をつけろ。そう思った矢先、ドライブ係長は再び訪れた。

5人と雑談のあと、やはりノッポの姉さんとの密談は始まった。「今日はサンダル洗浄もあるから、そろそろ仕事はじめよっかー」。ノッポの姉さんのさりげない宣言で席払いされる僕ら下っ端4人組。

いつもはそんなこと言わないのに。「大事なお話があるから4人は席を外して」と言わないところに怪しさが増す。嘘つきは饒舌になる。嘘ではない根拠を訊ねてもないのに口にする。

これは調査が必要だ。いたずら心に火がついた。

業務には居室の清掃も含まれている。密談中の居室のだ。楽なお仕事なので、あまり僕のところへはおりてこない。この日はこれを取りにいった。

「今日は張り切ってるねー」。小結姉さんには気づかれた。いたずらのためには張り切るのが僕だ。普段は手を抜いてるわけではない。この日が120%なだけ。仕事じゃないんだから真面目に真面目に。居室を掃除する権利と一緒に、タモリイズムが僕にも降りてきた。

密談中の居室に入る手立ては揃った。勝負は出会い頭。いたずらと思われないギリギリの振る舞いをそこでぶつける。

忍び足で居室へ近づく僕。盗み聞きなんて卑怯なことはしない。バレたときのリスクが大きいからだ。あくまでもエレガントに。扉の前で立ち止まることなく居室へと侵入した。

コンコン、失礼します、扉の開口、ほぼ同時に行った。びっくりしているドライブ係長。ノッポの姉さんは目を見開く。僕は予定通りすっとぼける。

あきらかに話が止まった感がそこにはあった。長い沈黙。ここから先は何も考えてなかった。突撃すれば何か知れるだろうと。考えてみれば、そんなことはない。ただただ話が中断されるだけだった。

「仕事には慣れたかい?」。ドライブ係長は僕に聞いてきた。いきなりの質問でテンパる。詰まる息、吹き出る冷汗、とにかく落ち着けと自分に言い聞かす。

今までの失敗から創り上げた対策をここで使うのだ。おそらく考えて真面目に答えるのは不正解。はじまりの言葉は挨拶みたいなもの。大切なのはテンポとタイミング。嘘でなければ適当でいい。相手が求めているのは、とりあえずのリアクションだ。

「ぼちぼちです」。僕の返答にドライブ係長は笑ってくれた。「うちに来てみるかい?」。間髪入れずに放たれた冗談めいた質問で、僕はノックダウンさせられた。

おどおどしている僕を助けてくれたのはノッポの姉さん。「まだ1年目ですよ〜」。笑う上司と係長。とりあえず僕も笑っておいた。

居室を出ると大関先輩が待ち構えていた。「おまえよく入っていけたな」。なぜか褒められた。聞けば誰もが今日の居室掃除は避けたかったらしい。

僕はいたずらを仕掛けたつもりだったが、実際は周りに流されて空回りしてるだけだった。まだまだ修行が足りないね。

あの日の密談は何だったのか。その答え合わせは唐突にやってきた。

「タモツ君、異動できるお話があるけどどうする?」。なんですと? ノッポの姉さんはさり気なく僕に伝えてきた。「係長はタモツ君がほしいんだって。無理にとは言わないけど」。

こんなときの返答の仕方は知っている。おそらく考えて真面目に答えるのは不正解。はじまりの言葉は挨拶みたいなもの。大切なのはテンポとタイミング。嘘でなければ適当でいい。相手が求めているのは、とりあえずのリアクションだ。「いきます」。そう答えた。

僕に集まる視線。すこし間を置いてから一斉に突っ込まれた。「もうすこし考えてー」。

またやらかしてしまった。たしかに間髪入れずの「いきます」は、僕がこの職場を嫌ってるように思える。そんなことはないのに。この場の返答は保留が正しかったのだ。

失敗はすぐに取り返す。僕は5秒ほど熟考してから再度答えた。「やっぱりいきます」。メリットとデメリットを天秤にかけてみたが答えは出ず、最後の決め手は「楽しそうだから」だった。

この職場が嫌いでないことを含め、頑張って説明して納得してもらえた。僕の異動がそのときに決まったわけだ。

それから約1か月後、この職場での最終日には送別会も開いてもらえた。相変わらず口数の少ない僕だったが焼肉はおいしかった。

別れ際にことばも貰った。「がんばってね」は上司のノッポの姉さん。「何かあったら連絡しなよ」は小結姉さん。「絶対に戻ってきたら駄目だからね」はかわいい先輩。「いやいや、来月も定例会で会うでしょ?」は大関先輩。そして「お世話になりました」は僕だった。

帰り道、独りになると自然に拳はガッツポーズ。脱出成功のそれではなく、ミッションコンプリートのそれ。いろいろあったけど楽しかったと思えたことが少しうれしかった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?