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怖れや不安はない。興味関心からくるワクワクがあるだけだ。コンフォートゾーンはただの幻想。
失敗するかもとか、うまくいかないかもかもしれないとか、できないかもということを動物や小さな子供たちは考えていないように思う。基本的にうまくいく、できるという前提で動いているように見える。
思考より先に行動ありきで、そもそも失敗も、うまくいくも、うまくいかないも存在していない。
まずは行動する、維持・継続する、繰り返す、やり直す、再挑戦する、やめて違うことをする、飽きて違うことをしているように思う。
彼らは不安や心配などの思考をしない。
コンフォートゾーンが広いんじゃなくて、狭すぎて、というかそもそもなくて、それが普通だから、不安はなくて興味関心しかないのかもしれない。
※前提として、動物として備わっている命を守ろうとする本能的な恐怖とコンフォートゾーンのすぐ外にある怖れや不安は別物として考えている。
大人はいろんな経験をすることでコンフォートゾーンが生まれ、そのためにコンフォートゾーンの外側に不安が生まれたのかもしれない。
コンフォートゾーンやその外側にある不安や怖れは後天的なもの説をオレは勝手に唱えたい。
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童心に戻る。
そう考えるとコンフォートゾーンなんて後付けの幻想に過ぎないと言っても過言ではないように思えてくる。
あらためて上の図を考えてみると、コンフォートゾーン(安心の領域)→恐れの領域→学びの領域→成長の領域、となっているが、オレなりに書き換えると以下のようになる。
『 退屈な領域→興味関心・遊びの領域→学びの領域→成長の領域 』となる。
だから不安や怖れを感じたら、それは新しいことへの挑戦をしようとしている興味関心の合図で、実はワクワクしている身体感覚(内受容感覚)を、頭が不安や怖れと勘違いしているだけなのかもしれない。
どちらも心臓がドキドキするから。
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