それだけで十分なのかもしれない。
朝散歩という名の、夜明け前のスロージョギングを毎日の習慣にしている。
ときどき走っていると急にテンションが数分から数十秒くらい上がるときがある。高揚感、幸福感、すべてを肯定したくなるような気持ちになる。そのままの気持ちよさをそのままウッファーっと感じる。
自分が気持ちよさそのものになっている感じだ。
走りながら両腕を広げ胸を開き、空気をいっぱいに吸い込むと同時に血液が身体中、とくに上半身に流れ込む。ホルモンが勢いよく巡っているのがわかる。たぶんアドレナリンやドーパミン、セロトニンだと思う。
オレは人間を機械的、物質的に捉えるのが好きだ。いまはそういうふうな見方を自分に採用している。それがオレを快適にしてくれる。生きるためのオレなりの知恵だ。
しばらくするとさっきまでの高揚感は嘘のように消えていく。ホルモンがひいていったなぁと思う。オレは何事もなかったように走りつづける。
あらゆるものはつくられ流れては、吸収され分解されて消えていく。
確かなのはいまここにオレが居るってこと。いずれ消えていくとしても、いまは居る。少なくとも感じている意識はある。それだけで十分なのかもしれない。