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すべての人は一貫している。一貫性がない人はいない。

やること言うことがころころと変わる人に対して「あの人は一貫性がない」と批判するが、そもそもすべての人は生まれて死ぬまで、ずっと常に一貫しているとオレは考えている。

一貫性がないと言っている人は、その相手の人の表面的な言動だけを捉えて一貫性がないと判断しているに過ぎない。
相手の言動の奥にあるもの、本人すら気づいていないメンタルモデル、人間という動物が持っている逃れられない本能が一貫してその人の言動をコントロールしている。

そのメンタルモデルや動物的本能にとっては一貫性がある言動でも、表面的な効率性や有効性を求めるオレたち現代人には一貫性があるようには見えないのだろう。

そもそも一貫性があることが良いことだという認識自体が怪しい。
やっていること、言っていること、好きなものが、考えや意見がどんどん変わってもいいと思うのだが、世の中はそうは考えていないようだ。

それはなぜか?それはすごく簡単な話で、一貫性がある人間の方がをコントロールしやすく、支配しやすいからだ。だから支配者層は被支配者に対してあたかも一貫性があることは良いことだ、立派な人間だ、一貫性のない人間は使えない、半人前だと教え込む。

しかしはじめに言ったようにすべての人間は一貫している。何に対して一貫しているかというと、死なないために、生き抜くために一貫した行動をとっている。
そのために肉体的、精神的痛みから逃れようとする。現代ではとくに精神的な痛みを避けることばかりしている。

そして人間は本能的に“目の前の”痛みを避けようとする。“目の前の”快に飛びついてしまう。生き抜くためには、いま死なないことが絶対条件だから、先のことよりもいまの痛みを避けることに瞬間的に“一貫して”飛びついてしまう。

一貫性がない人を見るとき、一貫性がないと自分を責めたくなったとき、その奥に一貫してあるものが何なのか探求してみると、見えてくる世界がまったく違うものになると思う。

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