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書くと言う行為

色々とやりたい事が、以前よりちょっと明確になってきたので、やっぱり体と時間が足りないってなっている、たもんです。

時間は有限って分かっているけど、生きているとそれを強く感じるポイントがいくつかあるわけで、この数年はそれを強く感じてますねぇ😓なんて書くとしんみりしちゃうのですが。

こんな書き出しになったのは、「書く」ということが公私含めて私は多くて、そのことについてこの数ヶ月考える機会があったから。

「書く」と言う行為は、他の人に何かを使えたいから行うわけですね。この伝えると言う行為は、表現と言いますが、書く以外にもたくさんの方法があります。今主流になっているのは「動画」でしょうか?

アートは伝え手が伝えたいことを相手の五感に訴えて、そこからの反応まで期待している(と私は解釈)から、その伝え方がダイレクトであってインダイレクトですね。

「声」で伝える方法はインターネットで手軽になりました。ポッドキャストが代表例といったところでしょうか。

そう考えるとヴァーチャル世界のイベントは比較的新しい表現手段と言えますね。

そんな数ある手段の中から私が選んだのは「書く」と言う行為です。作るのに時間はかかるけど、気軽だから。唯一のネックは「書こう」と自分を奮い立たせないといけないこと。単なる独り言ならいっくらでも書けるけど、人に何かを伝えたいと思うと、パワーは必要になります。

昨年、毎日1500字を始めたのは、ヴァーチャル世界で出会った人々がいろんな活動をしている中、わたしはワールドクリエイターでもないしイベンターでもないけどできることはなんだろうと模索している時に「文章なら何かできるかも」って思ったのがきっかけでした。それで、noteを始めたもの、なかなか最初は続かなかったんですよね。というのも「頻繁に書く理由」がなかったことと、やっぱり慣れてなかったので一つの記事を書き上げるのに時間をかなりかけていたから。そこで、「毎日書いたらなれるんじゃないかしら?」ということで毎日1500字というのにしたんです。

その結果、確かに、文章を書くということに対しての抵抗はなくなりましたが、そうなってくると、次に求め始めるのが「質」なんですが、これはまた別の次元で難しいなって。(noteはスピード優先なので誤字脱字が多いんだけどね・・・💦)

昨日もちょっと別のところで、ライターをやられるている方とやりとりしてたんですが、「書く」ということの対価が次の焦点になるからです。実は私も、文章を書くことで原稿料をいただく機会はあります。(文書が上手い下手は別にしてね)この時の文章は、校正に校正を重ねていくので、noteの様んみ生の原稿がそのまま掲載されることはないのですが、それ以上に大切なのが、文章のテーマです。

頻繁に文章をアップし続けていくとネタがなくなることがあります。文章を書く身としては常にネタをストックしておくのですが、どのネタをどの媒体に書くのかってことが重要になるのですね。なので、お仕事向きに使えるネタは封印していかないといけなくなります。いつかヴァーチャルでお仕事欲しいなって思うと尚更ね〜
だから、頻繁にアップするってやっぱり大変だなってなるわけ。(ネタはあるけどネタがないってなるので・・・)

ちなみに、今こうして文書を書いてはいますが、子供の頃は作文の時間が苦痛で苦痛で仕方がなかったです。45分授業の残り5分ぐらいで白紙の400字詰め原稿用紙をめのまえに「う〜ん」「う〜ん」ってなってた方。
国語の成績もそんなに良くなかったんだけど、まぁ、書き方を知らなかったというのが一番大きかったのかも。
大人になってもしばらくは文章書くのがすごく苦手でしたね。でも、書いているうちに自分の方ができてくるもの。
反復って大切なんだなーと思いつつ、これは守破離の守の段階がようやく身についた状態。次を見据えていかないとね〜

はい、今日の話はヴァーチャルとはあまり関係なかったですねぇ。えぇ、このnoteはたもんの雑記帳ですから😀

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