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バーチャルと!時は有限。

時間⏳というのは待ってくはくれませんよね。
私たちが暮らしている世界でコントロールできないものの一つではないでしょうか?

ヴァーチャル世界は、場所という概念を崩して遠くにいる人と人とが今まさにその場にいる状態を生み出すことに成功しました。

でも、時間を超えてコミュニケーションを取ることは、今の時点では全く不可能です。
過去の音声とか動画を使って、今の人がその場にいるかの様に作ることはあっても、過去の人間がそれに反応することはありません。また、過去に存在したものをITやAIを使って再現することはできるけど、それは過去のものとはやっぱり別物です。
そのくらい、時間というのは残酷。
砂時計の様にひっくり返すこともできないしね。

ドラえもんの道具で、時間の流れを可視化できるものがありました。確か、のび太くんがぐうたらしているのを諌めるためにドラえもんが用意した道具で、時間の流れが見えるだけでしたが、子供ながらかなりインパクトがありました。この頃からどこかで、時間は有限だってことを意識していたんだと思います。

この時間は有限というのは大人になればなるほど意識するものだとおもんです。ただ、有限とわかっていながら、日常をただただ過ごしてしまうということがよくあるので、この話を出す時はドキドキ💓しちゃうんですけどね。一度過ぎた時間は戻ってこないんです😅

なんて、書き出しになったのが今朝起きてXをチェックしていたら、よくお邪魔していVRChatのラジオ配信「赤トラ、黒トラ」の配信終了のお知らせを見たから。昨日はClusterの方で作業してて気がついたら日が変わって、「あっ、行きそびれた!」ってなってました。(まだ、追っかけ配信見てないので衝撃発言は後でチェックしようと思います)

ヴァーチャル世界(これは、ヴァーチャルに限ったことではないけれど)に数年いると、いつも当たり前だと思っていたものが終了してしまうことはよくあります。イベントや集会もそうだし、人々のコミュニティーもそう。永遠に続いていくといことは、その主役が人間である限りありえないからね。

受け手はいつも続くものはずっとあるって思うのですが、出し手は毎回、楽しんでもらおうとその取り組みにかなりの手間暇をかけているんだと思います。そう、フィジカルの時間を使って。(私が、Cubeをはじめ、単発イベントやる時にも感じてたけど)

わたしもnote書くのに時間を使ってるって言えますよね。

じゃぁ、楽しんでないの?と言われると、みなさん楽しいから続けてこられているんだろうなとは思うけど、そこはバランスなんですよね。
常に変化をどこかで求めている人なら特に新しいことにはチャレンジしていかないと。

ちょっと話が横にそれると、人が時間を使い続けるための理由というのも必要だと思うんですよね。これ、リアルの世界もそうだけど、人は常に理由を意識する意識しない別として天秤に⚖️かけています。うん、選択の連続だからね。

とまぁ時間は有限なので、人一人に与えられた時間の中をどういう配分で使っていくかは、その人に与えられた権利(選べる国でよかった!)かな。たいてい何かが終わる時というのは、次のフェーズに進む(新しいことに時間を使う)タイミングが来たからだと思います。

だから、一言「ありがとう、お疲れ様でした」と言いたいですね。

まだまだ黎明期のヴァーチャル世界、いろんな取り組みが行われていて、一つ一つのイベントが人々の記憶に刻まれていっています。Youtubeとかにも残っているので、その瞬間を記憶できるのは素晴らしいなって思います。
将来、「こんなことあったよね」って振り返ることはできる、けどいつまでもそこに止まってちゃダメだよね〜

って、自分に言い聞かせつつ😅

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