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“はなみずたれみ”について(2)

豪雨の合間に妻子が出会った野良猫は、少しずつ元気を取り戻しているらしく、座ることもできるようになった。前足はやはり折れているようだが、額を撫でてやると嫌がることもなく目を細めて小さく短く鳴いた。

診察の結果は、やはり猫エイズに感染していた。

ジッとしていると、よくハナを垂らしている。わかりやすく風邪をひいていると思っていたが、猫エイズのせいで免疫力が低下しているのかもしれない。

多聞と四門に出会ったからよくわかる。保護猫の譲渡会はたくさんあるし、野良猫が幸せになる道は増えたし、広がりもした。だけど、多聞と四門のように幸せな毎日を送れる猫は、まだまだ一部だと思う。

年老いた猫、片目や手足のない猫、病気を持った猫の引き取り手が現れることは少ない。

だからこそ、多聞と四門がいつまでも幸せであり続けられるように…。僕らにはその責任がある。

そして、僕らが、そして僕がつなげる手の数は限られている。

妻も、こういう結果が待っているかもしれないことはわかっていたはずだ。人は落胆したくないために、あらかじめそれを避けようとする。時にそれは、「対策」ではなく、「逃げる」という選択をする。

だけど妻にはそれができない。不利と思っても、落胆しないために、傷つかないために、その道を避けるという選択ができない。不器用で、雨粒に顔を向けて立ち尽くしているようなところは、出会った時から変わらない。

「私たちが里親になるか。」

苦し紛れにそんなことを言う妻に、今の僕は無言で返すしかない。

「鼻水垂れてるから、はなみずたれみ。」

「何それ。」

「拾った猫でも、名前がないと何かと不便だから。」

名前だけでも、少し笑えるものがよかった。

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