物事の捉え方は千差万別。
こんにちは。ちゃんたもです。
最近いろんな人とはなしてるとおもうこと。
おなじ言葉だったとしても捉え方って人の数だけあるんだなぁと。
あのひとのあの発言どうかと思う。
あーやっていわれてたけど大丈夫だった?
あのひとにこんなこと言われたんだけど!
って話を聞くことがあって
例えば、家族関係があまり良くないa子ちゃんがお爺さんの法事で仕方なくひさびさに実家にかえったら親戚たちに。「次からは帰ってこなくていいよ」といわれたらしく落ち込んでた。
その子にとってはすごく冷たい言葉に感じたみたいだけど、
私はその話をきいて、おじさんたちは無理してかえってこなくていいよって優しさとして受けとたった。もちろん前後の温度感があるけどね。
例えば結婚式を行ったbくんは、友人えらびで苦労したすえ考えた招待客。
呼べなかった友達に会った時。「俺呼ばれてないんだけどー。呼べよー」と絡まれたとのこと。bくんは一生懸命考えて呼ぶ人呼ばない人えらんだのに、そんな図々しい話あるかよと思ってとても不快だったとのこと。
私はそのはなしをきいて、呼べなかったことを気遣ってよそよそしくされるよりいっそ笑い話にしたほうがお互い楽かとおもっての発言かなって思ったり。
逆もしかり。
私がちょっとかわりもののcちゃんと仲良くしてると周りからなんであなたはcちゃんにあんな非常識なことされて仲良くできるの?
といわれて、私はすごく高圧的で責められてる気分になってしまったけど、夫は心配してくれてるんじゃないのと。
確かにそういわれたらそうかもしれないと納得しちゃった。
自分自身でもそのときのメンタルによって同じ言葉でも捉え方がかわってしまうのだからそりゃあ人の数だけ千差万別な捉え方はあるだろうなとおもうんだけど、
正直相手の心のなかはどう頑張ってもみえない
発せられた言葉がすべてだから、
「きっとこういう気持ちでいってきたんだろう」ってことは考えても正直無駄っていうか、答えはでないんだよね。
そうなったら
コントロールできるのはその言葉を発せられて自分がどう受け取るか。それ次第でほんと人生たのしくなる気がするんだよね。
だからやめてほしいことを伝えたいときは遠回しにいわないで、はっきりいう必要があるし、はっきりと注意された時にそれをしっかりうけとめて。その言葉にはそれ以上の悪意を考える必要はないんだよね。発せられた言葉がすべてだから。
それってようは捉え方次第だからどんな悪意もこちらの受け取り方が悪意ととらえなければその悪意はなくなるし、
愛情もそう受け取れなければ愛情でなくなってしまう。
人がなんといおうと自分の捉え方で常に楽しく生きていけるよね♪ってはなし。
ほかのひとの話をきいておもうのは、私はたぶん楽観的で人の悪意に気づかないことが多いのかもしれない。
それは逆に気付かずひとを不快にさせてる可能性もあるから気をつけようとおもったよね。
できるだけ誤解をあたえる言い方は避けようとおもうのと、だからといって回りくどく話そうがその人がいやだとおもっちゃったらそれはその人の捉え方の問題だからと区切りをつけていきていくよ!
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