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プログラマーから最終的に法律業界に転職した理由(しかも今はリメイク作家業との2足のわらじ生活)

大学時代というと、もう20年以上も前のことになるけれど。

いわゆる外大生(=外国語大学に通う大学生)だった。

と言っても、今じゃその専攻語学の読み書きも全然できないお粗末さよ。

それが恥ずかしくって、大きな声で「外大卒」とか「〇〇語専攻」ってことすら言いづらいくらい。

ちなみに、前回のブログで少し話したけど、就職難のため、最初に入った会社は、専攻語学とは無関係のソフト開発の会社だった。


それから色々あって、今はリメイク作家業と並行して、法律事務所で秘書の仕事もしている(事務所によっては「法律事務」とか「パラリーガル」とか「事務局」って言ったりもします)。

「プログラマー」から「秘書」ってかなりかけ離れているよね。

しかもその間に商社の営業事務とか、雑貨の商品企画会社でウェブショップ運営とかもしたりしてた。

えっと、一体私は何者なのでしょう?笑

ということで、今日は

「なぜ私が今、畑違いの法律事務所秘書のお仕事をしているのか?」

ってお話をしてみようかと。



職を転々としながら、自分探しの日々

前述のとおり、プログラマー枠で採用され新卒で入った会社は、結局1年足らずで退職してしまった。

その後、神戸の貿易商社で国内営業事務を3年間ほど続けた。

それなりに楽しいOL生活を送っていた。

けれども、ふと自分のその後の人生をイメージすると、どうしても少しモヤっとするような感覚を覚えるように。

「このまま何となく同じ仕事を続け、結婚して、仕事をやめて、専業主婦になり、子どもを産んで、お母さんになる。そんな平凡な人生を過ごしていくのかな?」

その違和感はやがて、

「いや、1度しかない人生だ。もっとチャレンジする人生を歩んでみたい!」

と思うように変化していった。

そのタイミングで、その当時からスタートした大きな司法制度改革、いわゆるロースクール(法科大学院)が近々新設されるらしいぞという話を知った。

最難関の司法試験も、司法制度改革で誰でも弁護士になれるチャンスが大幅に開かれるって!?

「私でも、頑張れば弁護士になれて、もっとバリバリと働くキャリアウーマンになれるかもしれない!」

と、私の中に弁護士になる夢がにわかに広がっていった。

それで、結局勤めていたその商社を退職し、夕方からの司法試験予備校に通うことに。

で、仕事を辞めて収入がなくなってしまったので、生活と実務の勉強を兼ねて、昼間は法律事務所で秘書のアルバイトをすることにした。

早朝から出勤前まで、勉強

昼間、法律事務所でアルバイト勤務

夕方から夜まで、司法試験予備校でまた勉強

そんなハードな生活を2年続けた後、初めてロースクールを受験した。

元々私はそんなに頭の回転が早い訳でもなく、論理的思考もあまりできなかった。

つまり、今思えば、法曹の適性なんてほぼなかったんだろうけれど、それでも何とか某ロースクール1校だけ合格することができた。

もちろんロースクールに行っただけでは、すぐに弁護士になれるのではなく。

卒業後に司法試験を受けて、通った後も、まだまだ学びが終わる訳ではない。

それでもロースクール入試合格で、ようやく弁護士になるスタート地点に立てたことが、とてもうれしかった。

そのロースクールに入学するため、法律事務所でのアルバイトも、その春まででやめる約束になっていた。



思わぬ不可抗力で夢を断念


喜びいっぱいの春、新しくロースクール生としてスタートする予定だった。

ロースクールの学費は学資ローンで、保証人は父になってもらうつもりだった。

それがね…
その父に、多額の借金があることがいきなり判明。

そんなの聞いてないよー!

それはもう…絶句しかない。

保証人を頼むどころの話ではなくなった。

で、悩みに悩んだ末、どう考えても経済的な見通しが立たないため、ロースクール入学は断念。

弁護士になる夢も、そこできっぱりと諦めた。

その一連の経緯は、当時勤めていた法律事務所のボス(事務所代表)に話すことにした。

すると、なんと辞めるはずだった私を雇用延長してくれた上、アルバイトから正社員に格上げしてくれた(泣)。

そして、さらに予想外の展開が!

「ロースクールに入ると無収入になり生活が大変になるから、それならいっそ結婚をして一緒に住んでもいいよ」

と、当時付き合っていた彼(現在のオット)がロースクール入学前に言ってくれていたんだけど。

状況激変で、ロースクールには行けなくなっちゃったけれど、結婚の話はどうするよ?って話に。

普通に考えると、仕事は続けられることになったのだから、もう一緒に2人で住まなくても良くなったよね。

なんだけど、これもある意味、運命というか、タイミングなのかなぁと思い、結局30歳で結婚をすることに。

雨降って、むしろ地が固まってくれたのか!?

そして、結婚の翌年、息子を妊娠し出産した(早)。

あの時、何も問題もなくロースクールに入学し、そのまま司法試験を目指していたら?

もしかすると、今のような結婚して、子供がいて、リメイク作家をしている私ではなかったかもしれない。

人生とは本当に筋書きのないドラマのようだ!

すったもんだした借金まみれの父。

あまりにショックで、一時絶縁状態だった。

実はその後、父は病気で亡くなってしまい。

残された家族は、もちろん相続放棄一択だよ。

普通は「相続放棄ってどうするの?」って右往左往するかもしれない。

でも、不幸中の幸いか、私は法律事務所での実務上で相続放棄をどうするかの手順も学んでいた。

だから、父の相続に関する法的な手続は、ほぼ全部私がすることになった。

色々大変だったけど、今思い出すのは、穏やかで優しい父の顔だけ。

あの時も思った。

人生に無駄な経験なんて何1つない。

そして、あの時ロースクールに行かないという選択肢を選んだこと。

それに後悔は微塵もないし、もちろん父のせいだとも思ってはいない。



その後の職歴(~2019年)

結婚してもしばらくその事務所で働いていたが、出産のため退職。

子どもが1歳になるまでは、専業主婦もしてみた。

けれども、専業主婦生活が性に合わず、別の法律事務所で、また秘書の仕事を始めた。

そして、その翌年(2013年)から、パートが休みの日に、個人事業でリメイク作家としての活動を並行してスタート。

2014年夏、日傘のオーダーメイドを始める

2017年、日傘のオーダー制作に追われ、土日も休みなく制作

結果、心と身体を壊してしまう(片耳が聴こえなくなる)。
で、2つの仕事の両立は困難と判断し、法律事務所の仕事をやめて、専業作家になる。

2019年、作家業を続けつつ、雑貨企画制作会社でアルバイトを始める。

数年前までの職歴をざっくりまとめると、こんな感じかな。



「好き」を仕事にする。その本当の意味に気づく


ここ数年、自分のこれまでの人生の棚卸と、本当に自分がしたいことをじっくり考えてみた。

とにかく発信をどんどんしたり、色んなところに顔を出して、集客をして、日傘制作の注文を沢山もらって売上を上げたいのか?

いや、違う。

そんな「事業としての集客」をしたいのではない。

それよりも、1人のリメイク作家として、

【日本の素晴らしい文化である着物が着物として着られなくなっても、また形を変えて価値を付加できる唯一無二のリメイクアートとしての着物日傘の作品を世界に発信していく】

そんな「ライフワーク」を、細く長くでも生涯続けていきたいんだ。

その初志を思い出すことができた。

また、私は自分の経験や知識を活かし、自分ができることで、ダイレクトに困っている人の役に立ち喜んでもらえる。

そういうことに、仕事のやりがいや幸福感をとても感じる。

だから、仕事で報酬を得たりやりがいを感じるのに、「日傘のオーダーメイド」という作家の仕事だけにこだわらなくてもいい。

自分が今まで通算10年以上経験してきた法律事務所秘書の仕事でも、それが十分可能だと思った。

どんな仕事であれ、やると決めたら、その場所で心から「ありがとう」って言ってもらえる仕事がしたい。

それで、新天地を求めて、また転職を決めた。

そして、昨年春から、また新しくご縁があった法律事務所で、週数日働かせてもらっている。

法律事務所秘書の仕事って、もしかすると外から見たら華やかなイメージがあるかもしれない。

けれど、その実、言ってみれば結構何でもあり!

デスクワークや接客、受付、お金の管理、力仕事も含めた雑務、おつかいなど、マルチタスクを文句を言わず全部こなしていかないとならなくて。

頭も使うし、気も使うし、体力も使う。

本当に忙しくて、ゆっくりコーヒーを飲んだり、ランチに行ったりも全然できず。

でも、今の秘書の仕事が心底好きだし、忙しくっても迷いはない。

仕事が終わると、心地のいい疲れを感じる。

法律事務所には、毎日辛い悩みを抱えた方々がご相談にいらっしゃる。

秘書は弁護士のサポートをしながら、弁護士と協力してクライアントの問題解決にあたるやりがいのある仕事だ。

小規模ながらも、チームワークが欠かせない。

そのお仕事を、ある程度自分のペース配分で、気持ちよく任せてもらえるのがありがたい。

今の職場の雇い主でもある先生方には、思い切って私のライフワークの日傘制作のことを最初に面接でお話した。

わざわざ隠すことではないし、素行は隠したってバレるからね(笑)

どんなふうに捉えられるかはドキドキだったけど、ワークライフバランスを大切にする複業について理解し応援してくださった。



◇ ◇ ◇ ◇

今は秘書の仕事と作家業を両立し、秘書の仕事で得たお金を軍資金として、作家活動に当てている。

多くはないけれど、将来パリで個展を開くという夢のための夢貯金も。

傍から見たらすごく回り道かもしれないけれど、それが私のスタイル。

いっぱい悩んで、いっぱい失敗もしてきたから、今の私がある。

そんな私の今までの経験が、もしかしたらどこかの誰かの勇気の一歩に繋がるかもしれない。

そんなふうに思って、ワクワクしながらこのブログを書いています。




またすごく長くなっちゃったけど、ここまで読んでくれてありがとう♡

Tammy

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