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親父が鬱になりまして

私の父は漫画家なのだが、この春から「うつ病になってマンガが描けなくなりました」という連載を始めた。内容はタイトルの通りで、ノンフィクション。

https://comic-action.com/episode/3269632237294896715

私は恥ずかしながら、そこまで父とコミュニケーションを取る方ではないのだが、昨年の9月ごろから異変に気づき始めた。ちょうど、Typicaをオープンした時期であり、仮にもっと早く気づいていたらおそらくLIGT UP COFFEEを辞めることも、Typicaをオープンさせることもなかっただろう。そう考えると人生はちょっとしたタイミングで大きく変化するなぁと思う。アクセルを踏むべき瞬間を躊躇していると、一生タイミングを逃し続けるのかもな、とも。

父を支えたのは母の存在だ。母がいるから父は生きることを選択できたし、病院にも行けた。現在は退院して、漫画も描けるほどまでになった(絶賛闘病中ではあるが)そして、今、文字通り命を削ってまた、作品を産み落としている。私としては「生きてくれているだけで十分だよ、無理しないでくれよな」と思う反面、描くしかないのだろうなとも思う。人はただ息をしているだけでは生きていけない。自分の役割を全うすることで生きていける。それが父には「描くこと」であり、その適正と才能を与えられている。「描くことでしか存在できない」と本人は思っているだろうし、私も(部分的に)そう思う。描くことが薬になるはずだ、とも。

ちょうどこの前、エヴァが完結してそのタイミングでテレビシリーズから現在の劇場版まで全て見直した。その後監督である庵野秀明のドキュメンタリー「プロフェッショナル」も観た。その全てが人ごとには思えなかった。庵野さんも鬱であり、4部作の最後の作品を作ることが出来なかった(完成までに前作から9年かかっている)だが、妻のモヨコさんの支え(存在)が緩やかに庵野さんを再起させた。

庵野さんは「命より作品」といっていた。事実、命を削っているとしか思えない作品作りを続けている(終盤に差し掛かっても、出来上がったパートをボツにしてシナリオを書き直すなど)何がそこまで彼を駆り立てるのか?と番組では繰り返し問うていた。庵野さんは「それしかできないから」とだけ応える。

きっと父も同じ人種だ。全てを投げ出してどこかに放浪しても、きっと描き続ける。僕にできることは、父を肯定することだけだ。才能を持った人間の創作の泉を枯れさせてはならないのだから。

そして、父の病は私自身の生き方を考えさせるきっかけになった。私には何ができるのか?そして何をするべきなのか。自分自身の呪いに囚われることなく、命を燃やし、世界に貢献できたらと、切に思う。そうして今日も、カウンターに立つ。だが忘れてはいけない。「カウンターに立たない」という選択も取れるのだということを。

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