少し先の未来で、海 ①

【小説】

 

 今朝も旅の空にある夢を見た。

 どこか田舎の海沿いの道を歩いていた。ひとりで。

 淋しくはない。むしろひとりでいることはわたしにとって最上の癒しなのだ。

 少し冷たい風が頬にあたるのが心地よくて、寄せては引く波を見ながらかなり長い距離を歩いた。

 二羽の鳶が風に流されて、歩くわたしの頭上でいつまでも静止している。空に雲はひとつもなく、シアン100パーセントで宇宙を透かしている。
 いや、もう少し濃いか。マゼンタを20くらい配合していそうだ。

 海沿いの道には車の通りがなく、人影もない。
「世界の終わり」という言葉がふと頭に浮かぶ。

 もう誰もいなくなってしまったのだ。〈ここ〉に残っているのは〈わたし〉ひとりきりなんだ。結局、行きついてしまった社会は後戻りをすることなく消滅してしまった。わたしひとりを残して――。

――と妄想を膨らませていたら、ふいに目の前を何かが横切った。

 それは道路の真ん中あたりで足をとめ、こちらを振り返った。

 猫だ。

 白黒のまだ若い猫がわたしをじっと見つめている。鼻筋から口のまわり、首もとにかけてと、四肢がまるで靴下を履いているように白い。産まれたばかりのように艶々とした毛並みで、真ん丸な黒い目が何かを物語るようだ。
 わたしは驚かせないようにゆっくりと腰をかがめ、おいでおいでと手を伸ばした。

 猫は微動だにせず、身を屈めてじっとわたしを見ている。
 何にもしないよ、おいで、と笑顔をつくってわたしは身を乗り出すように手を伸ばす。

 金縛りにでもあったかのように動かずにいる猫に、わたしは緊張が解けるよう話しかける。

「ねえ、きみ。名前はなんていうの? わたしはカエデ。秋になると真っ赤に紅葉するもみじの楓だよ。きみはなんていうの?」

 猫は少しリラックスしたように、右手を舐めては耳のあたりの毛繕いを始める。

「わたしに会ったから身だしなみを整えているんだね。それにしてもきれいな毛並みだよ。黒と白の配色もほんとうに素敵だ。足は靴下を履いてるみたいでかわいいし」

猫は、身体中を舐めまわしながら、それでも目だけはわたしから離さない。

「そうだ、クツシタにしよう、きみの名前!」

 少し大きな声に一瞬フリーズして、おもむろに四肢で立ち上がり、猫はわたしに向かってそろそろと歩きだす。

「おいで、クツシタ!」とさらに手を伸ばそうとしたとき、凄まじいクラクションの音とともに風を巻いてトラックがわたしの目の前に迫った――。

 

 わたしは天井の辺りからベッドで寝ている〈わたし〉をうつらうつらと眺めていたが、突然のトラックの出現にハッとして吸い込まれるように〈わたし〉の身体に戻った。

 心臓がバクバクと脈打つ。生命の危機に際して身体が信号を発している。
〈大丈夫。これは夢だから〉と言い聞かす。が、〈夢だから〉で済まされないことをわたしは知っている。これは現実に起こるタイプの夢だ。
 子供の頃から何年かに一度は見てきた 、現実と不可思議にもつながる夢。理由はわからない。心が身体から一時的に離れる現象とも何か関係があるのかもしれない。
 いずれにしても、この数日のうちにわたしの身に危険が迫るということだ。

 どうしよう…。
 少しずつ治まっていく動悸の在りかを探して、わたしは右手で胸をそっと押さえた。

 

(つづく)

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tamito

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