ハイキックの少女(仮)⑦ 完結

【小説】

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地上350メートルから落下しながら僕は、人の心に棲む闇について考えていた。

どれほど愛にあふれた幸福な幼少時代を過ごし、大した挫折もなく気の置けない友人たちに囲まれてまっすぐに育ったとしても、大なり小なり人の心には闇が棲んでいる。

そして、それはどうにも逃れようがなく、人生のある瞬間に唐突に顔を覗かせ、自己を真っ向から嫌悪させ、その後の半生に大きな影を落とす。

ヒトが心を持ったが故の宿命。心は高度な知性から生じた副産物だ。食べて寝て繁殖して、食べて寝て繁殖するなかで知恵が生まれた瞬間。それは偶然の産物とはどうしても考えにくい。

それは、ヒトの大いなる第一歩であるとともに、闇の誕生でもあった。では、なぜ、ダレが、ヒトに心を与え、闇を植えつけたのか。

闇は歴史上、さまざまなかたちで我々の世界と接点を持ってきた。それは「鬼」や「ドラキュラ」、「悪魔」などと呼ばれ、この世界の暗部にひっそりと棲み、時おり陽のあたる場所に現れては人を喰らい、また陰の世界に身をやつした。

では、なぜ、今になって、これほど多くの闇が出現するようになったのか・・・。


〈結界が壊れたからだよ〉

〈北川?〉

顔をあげると北川ミナの顔が目の前にある。

〈この世界の結界が壊れたの〉

〈結界・・・〉

〈結界は人と人との間に絶妙なバランスで張りめぐらされていたんだ。ヒトが心を持って以来ね。それが壊れたの。だカら、こノ数十年で常識デハ考えラレない猟奇的ナ犯罪ガ増加シタんダ〉

〈きみはなぜ、そんなことを知っている〉

〈ソレハ、私ガ・・・ダカラ〉

〈えっ、なに?〉

〈・・・・・〉


〈伏せて!〉

僕は北川ミナの腕に頭をしっかりと抱えられ、コンクリートの地面に激突した。


ーー目が覚めて瞼を開くと、涙が頬を伝った。

また、同じ夢だ。これで何回目だろう。

僕は脛椎と脊椎を骨折し、まったく身動きがとれない状態で、天井の染みを睨みつけている。

スカイツリーからの落下は一瞬の出来事だった。僕は闇と合体した北川ミナに抱きかかえられ、繭に護られる蚕のようにして地上に激突した。

北川ミナに、「さよなら」も「ありがとう」も言う余裕すらなかった。

地上に激突したヤツは、即死すると同時に北川ミナを含め4体に分離され、僕はその北川の薬指と小指が欠損した左手を爪がくい込むほどに強く握りしめていたという。

僕が助かったのは明らかに北川ミナの意思によるものだ。彼女は合体したヤツの身体のなかで、もう人には戻れないことを悟ったのだと思う。

すべてをモニターで監視していた榊さんは言う。

「北川を吸収したヤツの身体に、しばらくして異変が起こった。それはちぐはぐな手足の動きに現れていたし、目の色も暗い闇の瞳に時おり鮮やかな色が浮かんだ。北川はヤツの身体のなかで目覚めて、あなたを攻撃しようとするヤツの意思と闘っていたんだ。強化ガラスに体当たりしたのは北川だよ。ヤツを倒して、そして、あなたを傷つけないために、北川は飛んだ」

どうせなら、僕も一緒に合体されればよかったんだ。そうすれば、何か二人して助かる道があったかもしれない。

僕は入院している5ヵ月もの長い間、あの闘いを毎日毎日振り返った。何度も何度も結末を変えるよう想像力を働かせ、そしてその都度、絶望した。

落ちてゆく夢も何回も見た。

夢はいつも同じところで終わり、救いはひとつとしてなかった。

彼女は人と人との間の結界が壊れたと言った。そして、自分を・・・だから、と謎めいた言葉を残した。彼女はいったい自分が何者だと言いたかったのだろうか。

考えてもしかたないことはわかっている。それは僕の夢のなかの出来事で、現実に起こったことではないのだから。

5ヵ月もの長い入院期間を経て、僕はようやく退院の日を迎えた。

退院に際して榊さんからこう言われた。

「検査の結果、あなたの身体のなかからh因子が見つからなかったのね。何度調べても欠片も存在しなかった。まるではじめからなかったようにね。だから、もう、あなたが覚醒することはないので、対策本部としては、あなたを監視する必要がなくなったわけ。もう、あなたは自由の身だから」

僕は複雑な思いでその話を聞いた。僕のなかの怒り。僕のまわりの人を傷つけ、僕を傷つけ、そして北川ミナの命を奪っていった闇。闇の出現理由はまだ解明されていないし、闇との闘いはまだ終わっていない。僕は北川ミナと合体したとき、彼女の記憶を一瞬にして体験した。北川ミナは闇を憎み、闇と闘うために自らを鍛えてきた。それは僕も同じだ。

僕は、僕自身のために、そして、北川ミナのために、これからも闇と闘い続ける。

「榊さん、僕はこれからも闇と闘いますよ。例え、政府の依頼を受けなくても」

「北川ミナに殉ずるためか」

「殉ずるわけではありません。闇と闘うことで闇を理解して、その存在理由を知るためです」

「ふん、そんなことは科学者の仕事だ。あなたがそんなことをして何になる?」

「人と人の間にある結界を修復して、元の世界に戻すためです」

「結界? 編集者がずいぶんと非論理的なことを言うんだな。いずれにせよ世界は、もうこの世界は後戻りはしない。起きたことに現実的に対処し、未来を予測して備えるしかないんだ」

「たぶん、あなたと僕は、根本的に進む道が違うんですよ。僕は知っている。闇の本能を、闇の戸惑いを、そして闇の本質の一部を」

「・・・わかった。だが、ヤツらはこれからも進化していく。ひとりで闘うなら十分に気をつけることだな」

僕は榊さんに頭をさげ、「ありがとうございました」と告げて、病院を後にした。


冬空がきりりと晴れ渡って、青く、高い。

街をゆく人々は隣を歩く者と楽しそうに会話をする。クリスマスの飾りつけで賑やかな通りを僕はひとり歩く。世界は、あの闘いなどなかったかのように、穏やかで、そして美しかった。

ただーー。

ただ、この世界にもう北川ミナはいない。彼女はたぶん、僕の身体からあのわけのわからないh因子を吸いあげて去っていった。僕を助けるために。

僕は左手を見つめる。

視界がぼやけて薬指と小指が見えない。

右手で目をこすると、涙がこぼれた。

もう一度、左手を見ると、そこには5本の指があった。


(完)


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※本作は、マガジン『闇との闘い!』に掲載した以下の作品の続編です。

真昼の決闘

3分間の決闘

決闘!ヒーローショー』(全3回連載)


tamito

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