本気の恋(葉子)

【小説】


親友の沙映子と賭けをした。「死んでもいい」ほどの本気の恋にどちらが先に落ちるか、という賭けだ。

勝負は16歳のときから始まった。わたしは当然のことながら勝つ気満々だった。なぜならわたしのほうが顔もかわいいし、スタイルだって断然良かったからだ。

沙映子は表情が暗く身長も不思議なくらいに小さかったし、何よりもオーラがどんよりとしていた。

実際に高校時代はわたしが大きくリードしていた。卒業するまでに3人の男の子とつきあったし、彼らはみな「大好きだよ」とか「葉子、世界中で一番きみがかわいいよ」とか言ってくれた。

でも、わたしは「死んでもいい」と思えるほどの気持ちにはならなかった。沙映子に嘘さえつけば賭けはそこで決着したけど、そうはしなかった。たぶん、いつでも勝てるという余裕があったんだと思う。

だって沙映子は好きな人が見つからなくていつでもオロオロしていたし、まれに彼女を好きになる奇特な人が現れても、いろいろと文句をつけてはつきあうこともしなかったから。

そして勝負は大学に持ち越された。沙映子はもっと上の学校に行けたはずなのに、受験の日に限ってお腹をくだし、目指す大学にことごとく落ちた。結局、わたしにとっては第一志望だった二流校に沙映子も入ることになり、ふたりともに東京にアパートを借りて、18歳の春を同じキャンパスで迎えた。

わたしの勝ちを目の当たりにしなきゃならない沙映子に多少の同情を覚えながらも、わたしは入学早々に勝負に出た。

ふたりして入ったサークルの新歓コンパに露出度の高い勝負服で参戦し、2年上の飛びきりのイケメン先輩と一気に距離を縮め、その夜、彼にお持ち帰りされた。

沙映子は相変わらずオロオロとしていて、コンパの間中所在無げにしていた。わたしがイケメン先輩と仲良くしている様子に、「葉子、あの人はよくないよ」とか「たぶん悪い人だと思う」とか言って邪魔をしようとした。そして、深夜の街に消えて行こうとするわたしたちをいつまでも羨ましそうに見送っていた。

結局、そのイケメン先輩とは2ヶ月で別れた。彼が二股どころか何人もの女の子とつきあっていた上、「お金を貸してほしい」と言われたからだ。沙映子の言う通り悪い人だったが、わたしは強がって「顔だけで中身のない人だった。まあ、いい人だったんだけどねー」と嘘をついた。

それから顔も性格も頭の出来も中の上くらいの凡庸な男の子たちと、季節ごとに入れ替わりつきあったが、どれもこれも「死んでもいい」には程遠く、わたしはだんだんと恋愛に飽きていった。

そんな頃、沙映子がある男の子と一緒にいるのを見かけるようになった。

男の子は渡辺くんといって、わたしたちと同じクラスだった。大学に入って一年半も経つのに、わたしは彼と一度も話をしたことがなかった。

渡辺くんはクラスのみんなとあまり交わらずに、コンパにも花見にもキャンプにも参加せず、教室や図書館でいつもひとりで本を読んでいた。いわゆるノリの悪い空気の読めないタイプだった。

わたしは沙映子に「つきあっているの」と聞いたが、「うーん、たぶん、つきあってはいないと思う」という煮え切らない返事が帰ってきた。

「じゃあ、なんでいつも一緒にいるのよ」と聞くと、「よくわからない」とか「なんとなく」とか言われ、わたしは頭に血がのぼった。

沙映子と話した翌日、わたしは渡辺くんを捕まえて問いただした。

「渡辺くん、沙映子のことどう思っているの?」

「えっ、なぜそんな質問をぼくにするの?」

「だっていつも沙映子と一緒にいるじゃない。どういうつもりかを聞きたいの」

「どうしてそれを聞きたいの?」

「どうしてって、沙映子は親友だからに決まってるじゃない」

「ふ~ん、そうなんだ」

「ふ~ん、そうなんだって何!ちゃんと答えなさいよ」

「では、答えるよ。本当は答える義務なんてないけどね。ぼくは彼女のことを友達だと思っているよ。彼女はとても信頼のおける人だし、素敵な女の子だと思う」

「じゃあ、ちゃんとつきあいなさいよ」

「じゃあ、ちゃんと向きあいなさいよ」

「?」

「もう、ぼくは行くよ。きみの質問には答えたし、きみに興味はないので」

わたしは一方的に話を終わらせられ、あっけにとられて彼の背中を見送った。

「きみに興味はないので」だと?いったい何様のつもりなんだ。わたしは怒りに肩が震えた。そしてその日のうちに沙映子に忠告した。

「沙映子、渡辺くんはよくないよ。あんな冷たい人とはつきあわないほうがいい」

「渡辺くんと話したの?」

沙映子はびっくりした顔をして、次に怒りだした。

「どうして渡辺くんと話したりするの?彼に何を言ったの!」

「えっ、ちょっと沙映子、何怒ってるの。渡辺くんが沙映子のことをどう思っているかを訊いただけだよ」

「それで、彼は何て?」

「友達だって言ってた。それに信頼できるし素敵な女の子だって言ってたよ。でも」

「でも?」

「私に興味はないからと言って、話を途中で切り上げられた」

沙映子の怒りは収まったが、代わりに悲しそうな顔をした。

「しばらく葉子とは話したくない」

沙映子はもともと小さな体をさらに小さくして去って行った。

いつもうっすらと笑顔を絶やさない沙映子が、驚き、怒り、悲しみ、そして落胆の表情をわたしに見せた。

わたしはショックだった。わたしは沙映子のことが心配だっただけなのに。「しばらく話したくない」という沙映子の言葉が頭のなかで繰り返された。


沙映子と仲直りができないまま冬休みを迎えようとしていた。わたしはずっと苛立っていた。大学でも不機嫌を露にしていたから、クラスの友達もサークルの友達も、少しずつわたしのまわりから離れていった。

目にするもの、耳にするものすべてがにくらしかった。キャンパス内で楽しげに語り合う声、単調でメリハリのない教授の講義、声高にビラを配るこの国を変えようとする学生、運転が慎重過ぎて何度も赤信号にかかる学バスの運転手。

なかでも一番にくらしかったのが、沙映子が渡辺くんと肩を並べている光景だった。そんなとき、わたしは教室にいても学食にいてもすぐに席を立ち、視界から彼女らを外した。

ついこの前までわたしがいた景色にわたしがいなかった。すれ違うあの子たち、あの子たちのひとりはわたしだった。去年つきあった凡庸で優しい彼、彼の隣にわたしはいた。わたしの見る景色にわたしは不在で、大学に行くといつもひとりだった。見るものすべての色が褪せて、夢のなかにいるようにモノトーンの映像が静かに流れてゆくだけ・・・。いったい、わたしはいつからここにいるのだろう。

学校が休みに入ると、わたしはアパートの部屋からほとんど外に出なくなった。昼夜を問わずうつらうつら微睡み、食欲もわかず、たまにコンビニでスナック菓子を買ってきてはボリボリとかじった。日に何度か携帯が鳴ったが電話に出ることもメールを見ることもしなかった。

ある日、目覚めると部屋の天井に二匹の蝶が舞っていた。蝶はついたり離れたりしながら白いクロスに文字を書くようにヒラヒラと舞った。わたしは蝶の軌道を指でなぞるがうまく文字にはならなかった。何か知っている文字のはずなのに、その字が思い出せない。わたしは歯がゆくて「うう」「うう」と唸った。言葉を発しようとするが、唸り声しかあがらなかった。頬を涙が伝っているのが、その温かさでわかった。泣いていると思った瞬間、さらに涙が溢れた。わたしは沙映子の名を叫んでいた。


気がつくとベッドに寝ていた。わたしの部屋ではない。白いシーツが体を覆い、腕には管が刺さっている。左側に白いカーテンがベッドを隠すようにかかっている。

誰かの足音がしてカーテンがそっと捲られた。心配そうに眉間に皺を寄せた沙映子と目が合った。

沙映子は、見る見るうちに顔を歪ませ、涙がポロポロとこぼれてきた。

「ごめん、ごめん、葉子、ごめん」

沙映子はいまにも崩れ落ちそうに片手でベッドの枠につかまった。

「沙映子」絞り出した声は予想よりも小さかった。

沙映子はベッドサイドで床に膝をつき顔を近づけた。そして「葉子」「ごめん」「ばか」を泣きながら繰り返した。

わたしは胸の奥底から何か大きなかたまりが込み上げてきて、いきなり子どものように大きな声をあげて泣いた。同室の人から「大丈夫ですか」と声がかかり、看護師がやってきて「感情を高ぶらせないようにしてください」と言われたが無理だった。ひとりじゃない、沙映子がいてくれるという安堵感に、わたしは迷子の子どもが親に会えたときのように感情を露に泣いた。沙映子とともに涙が枯れるまで泣き続けた。

後から沙映子に聞いた話では、冬休みに入り何度電話してもわたしがつながらないため、アパートの管理会社を訪ね、鍵を開けてもらったという。

部屋の外にいるときからわたしが唸り声をあげているのがわかり、痩せ細って床に倒れているわたしを見て沙映子はすぐに救急車を呼んだ。

医者の見立てでは極度の栄養失調。それに情緒不安定からくる首肩の硬直から気道が細くなっていたという。あと2日もそのままでいれば死んでいたかもしれなかった。

入院3日目、沙映子は毎日病室に来てくれている。わたしの体調はだいぶ回復し、明日には退院できるという。

「渡辺くんがね、葉子に謝りたいって。明日退院するとき車で迎えにきてくれるって言ってるけど、どうする?嫌ならことわるから遠慮しないで言って」

わたしは渡辺くんとの会話を思い返した。いま思うとずいぶんと傲慢な態度をしてしまったな、と恥ずかしかった。

「ううん、わたしこそ謝りたいから、来てもらって」

沙映子は笑顔で頷いた。素敵な笑顔だった。そうだ、沙映子はかわいくて素敵な女の子だった。だから高校の入学式の日に声をかけたのだ。

退院の日、沙映子は渡辺くんとふたりで迎えにきた。わたしと渡辺くんは照れながらも互いに謝り、そんなやり取りを見る沙映子の目はとてもうれしそうだった。

アパートへと向かう車のなかで、わたしはふと思い出して渡辺くんに訊いた。

「渡辺くん、あのとき、『ちゃんとつきあいなさいよ』ってわたしが言ったのに対して、『ちゃんと向き合いなさいよ』って言ったの覚えてる?」

渡辺くんはハンドルを握りながら、前方を見ている。

「ああ、うん。それはもう、いいんじゃないかな。それよりさ、今日、3人でクリスマスパーティーをしようか」

「1日遅れだけどね」取り繕うように沙映子が言う。

「クリスマスパーティーか。じゃあ、ケーキ買わなきゃだね」

わたしはまた泣きたくなってきて、窓の外に目を向けた。


抜けるような青空の下、桜がきれいに咲きほころんでいた。教室に入りあらかじめ決められた席に着くと、目の前にきれいな黒髪の小さな頭があった。自己紹介ではおどおどとして、ひどく緊張している様子が伝わった。なぜだか、わたしが守ってあげなきゃと思った。

「ねぇ」わたしは声をかけた。

振り返った顔が少し怯えていた。まっさらな子どものような顔をしていた。中学時代、背が高く大人びて見られることにコンプレックスを感じていたわたしにとって、うらやましくなるほどに小さくてかわいかった。わたしは沙映子に見つめられて、胸の奥がツーンと痛んだ。

「ねぇ、わたしたち友達にならない?」


tamito

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