星を数えるように

【シークエンス】


峠をやや下ったところにある山小屋で

一週間ばかり過ごしたことがあります

50代半ばくらいだろう男は記憶を辿り

遠くを見るような目で庭の松を眺めた

とても穏やかな天候が続いてましてね

雨や風や荒廃などこの世には存在せず

何か大きなものの慈愛に包まれたよう

そんな日常から切り離された日々です

朝に目覚めると陽が昇り鳥がさえずり

昼に雲が生まれては流れゆく様を見て

夕に真っ赤に染まる空が世界を照らし

夜に文字通りの満天の星を数え続けた

男は気持ちのどこか溜めた息をそっと

そっと吐き出しコーヒーに口をつけた

僕は辛抱強く男の本当の言葉を待った

三日ほどは染みついた嘘がぼろぼろと

身体のあちこちから剥がれ落ちてゆく

そんな浄化を心を無に受け入れました

それから数え始めたのです失ったもの

これまでに自ら棄てたもの否応なしに

棄てざるを得なかったものの数をただ

星を数えるよう飛ぶ鳥を数えるように

それでいくつありましたかと僕は問う

99まで数えてそれ以上はやめましたと

かき回したコーヒーにミルクを落とし

男は二度目の溜めた息を静かに吐いた

なぜ数えるのをやめたのですかと僕は

ゆっくり抑えた口調で訊き間を埋めた

男は一冊のノートを取り出し僕に渡し

ここに99個書き抜いていますと言った

そこには几帳面な文字で失ったものが

まるで詩のよう言葉を積み重ねていた

人名があり本の書名があり地名があり

ライナスの毛布のようガラクタがあり

感情を表す言葉の数々があったそして

99個目には夢とあり補う言葉があった

「現実が夢を踏み潰してしまった」と

子供の頃から思い描いたさまざまな夢

未来が閉じゆくなかそれでも抱えた夢

そうした夢を現実がすべて踏み潰した

男は20歳ばかり若い僕の目を見て笑う

夢を見るのは若者の特権なんですよと

僕は夢を見る漠としているが夢を見る

ただそれは残る時の問題なのだろうか

僕は問いかけるその峠の日々で朝日は

夕陽は流れる雲や煌めく星はあなたの

心にどう映ったのかと僕は問いかける

あれは一時の幻です私の現実ではない

僕は自分のなかのほんの小さな希望を

胸の奥底から取り出して男に手渡した

これが不恰好な僕の希望ですあなたに

このみっともない塊に光は見えますか

人の希望はみな不恰好でみっともない

けれどどんな希望にも例えわずかでも

産まれたばかりの赤ん坊のよう純粋で

まばゆい光が宿っていますあなたにも

あなたにもあるはずだ生きている限り

男は僕の不恰好な希望を僕に返し言う

もう一度探してみますそのひとことが

光を放ち僕を確かに照らした言葉とは

本当の言葉とはこんなにも美しく輝く

僕は道に迷った男を一人残し席を立つ

彼はきっと見つけることができるはず

人は死ぬまで例えわずかでも夢を見て

希望を持ち続けるそういうものなんだ


tamito

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