目的は手段を正当化するか

 答えはNOである。法的解釈として、情状酌量としてその目的が考慮されるのだとは思うが、自分は法律に対する詳細な知識はないし、自分が関わらない限り、その判断は専門家に委ねるしか無いと思っている。もっとも法律って本当は義務教育における必須科目であるべきとも思うが。

だが、いかなる手段が用いられたとしても、その手段に頼った目的ともたらされた結果の評価は変わらない。むしろ、変わるべきではない

私が手段と目的についてかなり真面目に考えたのは、(もちろん何度も人生における実体験で考えたり、究極の選択といった、自分の価値判断に問いかける本を読んで少し考えるときもあるが)、香港の民主活動家 周庭(アグネス・チョウ)氏が、学生中心の反政府デモなどで積極的に活動していた(それが許されていた)時に、日本のマスコミへのインタビューで、非常に危ういと心配になった時からである。

彼女は平和的手段だけではなく、時には、過激なデモも否定すべきではないと、明らかにそのインタビューでは語っていた。もちろん、明確に暴力を示唆したとは思わなかったが、権力に抗うには、時には過激な戦闘的行動が必要だとも語っていた。残念なことに明確にどのマスコミのインタビュー科思い出せないし、彼女は日本語でどれだけ正確に自分の意図を伝えれたかも定かではないのだが。 目的のためには戦闘も辞さないと語るその言葉がとても危ういと私は感じた。

それを聞いた時、絶対に中国は許さないだろうと感じていたし、インタビュアーがそれについて、暴力的手段、過激な手段はたとえ目的が民主化でも危険だと思うなど、諭すような事を期待したが、まだ20前後の何の戦闘組織もおそらく持たない学生の「真っ直ぐな勇気(蛮勇)」をそのまま流していただけだった。いや本当にマスゴミである。日本のマスコミは、アイドルのように、民主化運動に立ち上がる香港の若者すら消費しただけだった。

実際どこまで、香港の学生と一般市民によるデモは過激化したのか、そこに暴力的行為があったのかは、私は知らない。だが、正義のデモが加熱すればするほど、それを押さえつけようとする力と比例するように、いつのまにか暴力的戦闘行為へと形を変えてしまうのは容易に予想がつく。そうなると、政府がその暴力を理由に、治安維持で制圧するのは簡単だ。民衆の抵抗は、力勝負を示唆してしまった段階で、大抵の場合簡単に敗北する

本題に戻ると、彼女が述べた手段は、何らかの暴力的抵抗、戦闘とも取れる運動を許容した段階で、間違ったと私は思う。もちろん第三者として気楽な立場で言っている。 その考え方は、やはり危険で、たとえ目的が崇高であっても、批判されてしかるべきだった。そして周りの大人達は、その点においては注意するべきだったのだ。本当に彼女と連帯していると思うなら

一方で、周庭氏を含む香港の民主化の維持を望んだ学生達の目的の善悪は、手段がどうであれ、私は心の底から支持している。

西山事件でもこれは、全く変わらない。

手段がどれだけ批判されてしかるべきであっても、(その批判に事実じゃない、誇張や虚偽、一方的な解釈、がまじっていることは、見ていて不快で仕方がないが、どうせ水掛け論で終わる)

新聞記者であった西山氏が、女性官僚をお酒の力も借りて誘惑し、連れ込み宿で男女関係になり、その関係を通じて目的を達成した後、簡単に関係を絶ち、一人の女性の人生をムチャクチャにしたという事実は、批判されて当然だろう。 

しかしそれで明らかになった外務省機密文書に書かれていた、沖縄返還にかかわる密約の、情報としての価値は何も変わらないのだ。情報通りなら、国民を騙した佐藤内閣、国家による国民への犯罪でもある。

西山氏の犯罪として、西山事件あるいは外務省機密漏洩事件と記憶されるように、目的のために取った行為は存分に批判され罪を問われたが、その手段で明らかになった情報の精査、追求が十分にされなかったことは、国民にとっての大きな損害だろう。

沖縄密約事件政府のついた国民への大嘘である。



あとは、個人による犯罪の西山事件と考えるか、国家の嘘である沖縄密約事件と考えるか、どっちに自分の価値基準を置くかそれだけであり、私はやはり、沖縄密約事件自民党政府による国民への嘘こそ、国民が記憶し伝えていくべき事柄だと思う(結果的にその時用いられた手段も当然記憶され伝えられるが、それでも、沖縄密約事件が国家の嘘、国民への犯罪であることに変わりはない。

以下は蛇足だと思うが、罪状にもなく、レイプとして訴えられてもいないのに、西山氏の行ったことはデートレイプだ、重大な性犯罪だと騒ぎ立てるなら、糞のように卑劣な行為を民事で認定された山口裕之について、目を血走らせ、怒りの涙を流して、なんて最低の男だと騒ぎ立てるべきだろう。
まずそれをしたのち、あっ、そういえば、西山氏もなら、わかる。

西山氏と、山口氏、どちらが性犯罪として語られるべきか。それすら判断できない人たちがいくら西山事件はデートレイプとして、西山氏を批判しようが、フェミがどうこう騒ごうが、歪んだ認知の人の妄言としか私には思えない。









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