知事のパワハラと、県民の行政への評価は、全く関係ねーんだよ

 斎藤知事は、兵庫県民の一部にとっては「立派な知事」であったかもしれない。また著名人で、斎藤氏と仕事関連で会った人は好印象だったと述べている方もいる。だが、その著名人は、「それはあくまで自分への態度について、私がどう感じたかであり、今ニュースになっているパワハラ行為とは何の関係もない事実なら批判されて当然であり、残念に思う」と述べられていた。

至って当たり前の感覚であり、それを革新的で若い知事への、老人や既得権益層、守旧派による陰謀論などと、自分の感覚だけで誤解したりしないのは当然だろう。事象をしっかり切り分けた、適切な評価、判断をしていると思う。

学校では立派な教師であり生徒の信頼を勝ち得ていた人物が、家庭では暴力をふるうダメオヤジであったり、他の未成年に悪事を働いている場合、(ものすごくよくあることだが)その学校の生徒の意見など、その教師が犯した罪とは何の関係もないのと同じで、行政の場における、部下、関係者への知事のパワハラに関する事実関係と是非について論じる時、県民の知事への印象会ってみた感想など、実際のところこれっぽちも意味を持たない

意味があったとしても、せいぜいワイドショーの、近所の人達の、犯罪者への、好意的隣人としての印象と同じくらいの意味しか持たないのだ。

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