官房機密費の精査、公開こそ、政治改革の入り口ではないか?
そもそも、使途を一切明らかにしないでいい予算なんて認めれるわけ無いだろう。少なくとも政権が変わる毎に、独立した機関により、その使途が適切かどうか精査され、しかも記録されねばならない。
ただ一つ、国家として、認められるべきかもと、ずるい大人である私が思うケースは、「日本国民の生命に関わる事態に限り、何らかの集団や個人に金銭を支払うことでの解決を意図した、対外的には国家として非公式にしておきたい働きかけ」ぐらいだろう。
一方で、その用途として絶対にありえないと誰でもわかるのが、与党の政治体制を維持するための、選挙活動や、マスコミ対策、あるいは、国際的な倫理として、公平性をもとめられるイベント等での誘致活動名目などである。
これらは、絶対に許されてはならない使い方であり、それでも使うというなら、せめて公表されて当然であろう。
(公表できない事をやっているなら、国家犯罪そのものではないか。他に言いようなどあるものか)
ところが、これらのためにこそ官房機密費が使われてきたというのが、様々な政治家や関係者、あるいはマスコミ関係者の証言で明らかになっている。いかなるイデオロギーであれ、こんな出鱈目を与党、内閣に許している私達の鈍感さは、もう民主主義国家として手遅れのところに来ているのかも知れない。
というわけで、これからの世代であるはずの、若者の皆様、お疲れ様。日本の民主主義は、本当に終わってます。
もはや、官房機密費の精査と公開だけがテーマで、国政選挙や、次期総理指名選挙が行われても当然だと思うが、クソ自民党からはやっぱりそんな声は出てこない。
だから、お前ら自民党の議員は全員、本当にクソ野郎、終わってます。マジ、全員政治家として失格なので、今すぐにやめろ。
後、いかなる野党でも、官房機密費の使途精査と公開だけを、政治改革の争点として戦っても、票は絶対に入ると思う。それが言えない野党、本気で主張できない政党の政治改革など、所詮は偽物だ。
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