政治決定権は男女による分配が必要

民間までは私がどうこういうことじゃないし、大学をクォーター制度にしろとは自分は思わない。でも、それは結局女性が、政治決定権を今の人口比率に近い形で持ってから、其の上で、選ばれた議員たちがどうしても必要だと思えば、それから決めればいいことだと思う。 

私は、会社によっては女性の比率が多いとか、男性の比率が多いとかいうのは当然だと思っているので。(職種によっても

でも、国民や地方自治体が選挙で委託する政治決定権だけは、男女同じ比率でのデメリットは考えられない

これ別に男女の違いを認めるか、認めないかとか、そういうのとは違うんですよ。もっと根本的な問題だと思う。

男性として、社会や国政を考えた時、立案、決定する人たちの中に、女性が同じ比率で存在しているほうが、ずっと国民全体にとって有益な判断が行われるに違いないと、私は思ってるわけ。

今の状況は、明らかに二つの性、二つの違う肉体機能をもっている、男女の半分の性の知能や、その生活に即した思考を、ほとんど政治決定に使っていない(比率が極端に低い)のは、国家としての損失だとホンキで思ってます。

私は、子供作る気がないから、個人としては本当どうでもいいんだけど、むしろこれからの若者とか少子化を問題だとするなら、絶対にそうしたほうが、出生率も上がると思いますよ。

政治家としての決定権が半分ずつあるなら、少なくとも政治決定においては、女性の地位がとか、男性が搾取しているとかいう、性にまつわる格差問題はその時点でなくなる。(その逆もしかりです)

政治家の資質って何なのかと考えても、私は、大学入試や、アスリートなどの、何かの数値で明確に図れるものではなく、単純にどちらの性も、決定権を同じ比率で持っていて当然だと思うんですよ。

万が一、政治家の資質を図る数値があったとして、結果的にどちらかの性が、その数値では政治家に適しているとしても、集団において男と女が、ほぼ同じ比率で存在するなら、その集団が委託する政治における立案と決定権は、常に同じ比率に近い状態を保つのが当然で、それが極端に違うということは、明らかに政策決定のプロセスも、その認否決定も歪んだ状態と思ってます。


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