恥を知れ、恥を!! 

https://www.otsuma.ed.jp/about/policy

 私がこの手のフレーズが公の場で他者への批判として使われるのを耳にする度、何年も前から感じていたことであり、とある選挙にまつわる人物の言動で、今一度思い出しただけである。

結果的に、それが私の人物評価にもつながっているのも、間違いはないが。その使用者を批判したいと言うより、むしろ、この言葉を他者への批判で多用する行為、目的への警戒、嫌悪のほうが重要である。

議論において、相手を説得したり、批判するため、わざと大げさな言葉、フレーズを使う手法は、それこそイデオロギー関係なく、政治家なら昔から多用してきたが、動画として切り抜かれたり、SNSで広まることを計算し発言するのは発言者の意図通りに、情報として目にし、耳にする大衆の倫理や知能、知識ではなく、ただ情緒に訴える扇動目的でしかない。

一般大衆を扇動する必要があるとしても、心がこもっていないお芝居をしているだけ、つまりは猿芝居だと、多くの場合逆効果であろう。

著名漫画、あるいはドラマでも有名になったらしい、(私は原版を見ていないがネットミームとして認識しているだけだが)「恥をしれ、恥を!」なんて言葉も、そりゃ意味はわかるが、日常会話で使う社会人がいたら、プライベートであれば、(ぷっ!)と笑いをこらえ下を向くだけだし、衆人の目前で使われたなら、あまりにサブくて、わざとらしく、聞くに耐えないと、私なら顔をしかめる

いわゆるダジャレ、つまるところオヤジ、オババギャグよりも、バズり目的という、性根のいやらしささえ透けて見える気がするからだ。

今どき、こんなので扇動される大人がいるわけ無いだろう?!普通の言葉で批判しろよと、私はいつも思う。

なのに、それが効果的に働く、情緒的に扇動されやすい層が、立派な成人でも、かなりの数で存在していて、現実問題への賛否であるのに、ドラマや映画の視聴者気分で、あるいは、一緒になって悪人を攻撃しているという、変な一体感で盛り上がってしまう人がいるのは、つまるところいじめの構図における集団心理と同じく、私達は成人であっても、油断するとすぐに幼児化してしまうからだろう。

「情動に動かされ、理性的でなくなってしまう」のだ。

たとえば、三原じゅん子氏。 元女優だから当然芝居はうまいが、なおさら芝居じみてて、わざとらしいとしか、私には思えなかった。

これと似たようなフレーズで、特に覚えているのが「愚か者めが、このくだらん選択をしたバカどもを絶対忘れん!」だろう。こんなの今どき言ってる大人がいたら、顔が見たいと思うが、自分は投票した事がないのに、投票しましょうとTVでいっていた、元アナウンサー、とうとう何を間違ったか閣僚までになった、政治家だった。


選挙で当選した国会議員であるという事実は、驚愕だろう。

この手のフレーズを使い、大衆を扇動するのは、確かに政治家ではなく、政治屋である。政治家の扇動目的のフレーズは、どんなイデオロギーでも、有権者は慎重に扱うべきだろう。

蓮舫氏の2番じゃ駄目なんですかや、辻本氏の総理、総理、総理や、疑惑の総合デパートが、効果的だったからこそ、反対のイデオロギーを持つ人達は、今度は大衆の反感を盛り上げるため、再利用したわけだが、まだオリジナルなだけ、ずっとましである。

人気コミックやドラマを真似て、「恥を知れ、恥を」なんて公、政治の表舞台で言ってしまう大人こそ、恥ずかしい存在、警戒すべき存在であろう。

そして私が知る、この手のフレーズを使った政治家のほとんどが、私にとっては政治屋でしかないのも、至極当然の気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?