「国の儀式として行う葬儀」を誰が決定するのか

安倍総理の国葬儀の定義を、岸田さんは(内閣府の見解だと思うが)「国の儀式として行う葬儀」と答えたのだが、では、

誰が「国の儀式として行う葬儀」を決定するのか

これが、自分がわかるように簡略化した場合の法律上の論点だと私は思ってます。これってほとんど国語の問題なので、未成年(小学生も)考えられるはず。 まず、安倍さんの功績とか、国が使うことになる経費とか、立場は、一旦全部忘れて、Aという個人で考えてみる。

法学者でも意見は分かれているようだが、岸田さんの答弁から提示されたのは、内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第四条第三項第三十三号において内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務に関することが明記されているという。

すなわち、国の儀式の事務を執り行うのは、内閣府ですよ。(当たり前の気がするが)ってことだろう。

さて、あなたの所属するサークル(or コミュ)で、(なんでもいいんだが)、あなたが、こんな企画をサークルの企画としてやりたい。個人じゃ大変だし、サークルの半数近くは賛成してくれるはずだ!!と考えたら、普通は、全体会議などで意見を聞く。 ところが、サークルの構成員があまりにも多く、参加しているかどうかわからないのもいるし、あなたとは意見が合わない人も結構いる。まてよ、サークルの会則では、サークルとしての活動の事務は、実行部委員が行うと書かれている。 しかも、あなたは実行部委員ではないか!! そして、他の実行部委員も、あなたの企画に前向きで、実行部委員の部会では、ほぼ全員賛成。よって、この活動は実行部委員だけで決定しました。会の規則にも書かれてます!!

(この後を予想すると、サークルの会員から集めた予算で、サークル主催の活動として、銘打って派手にポスターをはり、会館をかり、それなりに盛況だったが、サークルの会員の半数近くは、そんな企画、サークル主催でやらないでと、不満を述べたり反対することとなった)

とした場合、その企画内容に賛同するかどうかではなく、今回のサークル活動は、会則に則って行われたかどうかである。

普通に、順序立てて考えれば、活動における事務を行うのは、活動が決まってからである。だが、どこにも、どんなサークルの活動を行うか、実行部委員が決定できるなど書かれていないのだ。

今回、国葬に賛成した人が、自分たちなりの敬意や、追悼の意を表すのも、それを国の儀式としてやりたいと思うのに、何の問題もない。

だが、反対に国の儀式としてやりたくないと思う人もいる。それも当然なのだ。 だからこそ、民主主義なら、国民の意見を聞くというのは大切であり、最低でも、国民の代表としての政治家同士の国会での議論によって、決定されなければならなかった のは明白だろう。

反対するのは自由だが、そっとしておいてくれ(どうせ、国の儀式としてやるんだし)なんてのは、自分たちが静かにお見送りしたいという気持ちや、故人への敬意という、個人的な思いと、国(国民全体の集合)が行う、国事を混同し、完全に民主主義のシステムそのものを否定しているのではないか。

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