多国籍軍をウクライナへ 3

 アメリカを中心とするNATO、EUの国々が、「そこまでの犠牲はウクライナのために払えない」が、彼らの信じる正義を期待して、武器支援を拡大するぐらいなら、妥協した平和のために「無理やり停戦交渉のテーブルにつかせるよう介入」したほうがいい。このままいくら武器供与を続けようが、この戦争は終わらないと思うからだ。

結局、私たちの多くは、ロシアによるウクライナへの侵略を、正義と悪の代理戦争をみるように、ワールドカップを見るように、正義の弱者が悪の強者に勝つというカタルシスを得ようと、ウクライナ国民に押し付けてるにすぎない。

爆撃で死のうが、捕らえられ拷問されて死のうが、支援物資の不足で死のうが、核戦争で死のうが、二次災害で死のうが「当事国の国民」にとっては同じことだ。

「自分たちは死にたくない、被害が怖い」から直接参加はしない。なのに、正義を求め、正義を期待し、正義を押し付けている。「国家」単位で考えても「卑怯で欺瞞的な行為」と思う。

国際社会は「きっと正義は勝つ」と願うだけではなく、自分たちの代わりに正義を求めて戦うようウクライナに望むだけでなく、信じる正義が本当に勝つよう、湾岸戦争と同じように、対イラク戦争と同じように、「ロシアに対して軍事力を行使すべき」だろう。

もしその気はないなら、たとえそれは「正義」でなくても、「平和のための汚い妥協」をするしかない。

自分たちの「平和と安全」のため、アメリカもEU諸国も多国籍軍を構成できない=自らは血を流さないなら、今回の決議に棄権した国々が、どれだけ打算的であれ批判できない。賛成しようが、自らは被害を受けないなら、「すべての国が打算的」という事実は変わらない。 綺麗事や理想を語るくらいなら、国際社会は、多大な犠牲を覚悟してでも「今直ぐにでも多国籍軍をウクライナ防衛、ロシア撤退のため派兵すべき」だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?