見出し画像

ハワイの伝統航海カヌーHōkūleʻaの世界一周航海 オーストラリア


 Hikianalia(ヒキアナリア)でタヒチへと航海してから約1年後、2015年5月から7月にかけてHōkūleʻa(ホクレア)に乗船しオーストラリアのブリズベンからダーウィンへの航海に参加させて頂きました。今回はその航海での体験をお話していきます。

 HōkūleʻaとHikianaliaのハワイ島ヒロ〜タヒチ航海についての体験記はこちらからお読みください。

海から陸の生活へ、そしてまた海へ 

画像1

 タヒチへの航海から帰って家族に再会できた喜びも束の間、その次の週からは仕事も始まり普段の陸の生活に戻っていった。日々の生活のリズムを取り戻していく中で、航海に出る前と後で確実に変わったことがある。それは、今まで当たり前だと思っていたことに対して有難さを感じていること。家族や友達と一緒に過ごす時間、土や草木、花の匂い、ビーチを歩いたときに足裏に感じる砂の感触、海に飛び込み、サーフィンができること、温かいシャワーが使えること、氷の入った冷たい水が飲めること、冷蔵庫や洗濯機、乾燥機がいつでも使える生活。。。その何気ない日常生活の出来事に素直に感謝できるようになっていた。カヌーでの限られた空間で積んである物だけを使っていた航海で、生きていくために必要な物というのは少なくてもいいのだということを学んでからは、無駄をなくし本当に必要な物だけを買うように心掛けた。でも、そんな陸での生活を送りながらも、心の奥底からは沸々と「航海に出たい!」という気持ちが湧き出してきていた。すると不思議なもので、ポリネシア航海協会から、今度はHōkūleʻaでオーストラリアのブリズベンからダーウィンへの航海へ参加できますか?というメールを受けた。私の返事はもちろん「YES」、そして家族のサポートもあり再び航海に参加することになった。

Kuleana(クレアナ;責任、役割)

画像2

 今度はHōkūleʻaでオーストラリアへ。Hōkūleʻaが初めて太平洋ではない海域を航海する。タヒチへの航海とはまた別のキャプテン、クルーとの航海。そして、私に割り当てられたKuleana(クレアナ;責任、役割)は料理担当とクオーターマスター。私は料理が余り得意ではないのに、料理担当になってしまったのと、クオーターマスターというもうひとつの責任重大なKuleanaを任されたために、タヒチへの航海以上に緊張していた。カヌーの上で料理担当というのはキャプテンとナビゲータの次に大事だと言うクルーもいるくらい、長い航海での食事はクルーにとって最も重要であり楽しみの時間だ。それだけに、料理担当のクルーにはプレッシャーが重くのしかかる。それに加えてもう一つの私のKuleanaであるクオーターマスターは、食料や水等の荷物をカヌーに積み込む際に指揮をとる。積荷の重さを配分しカヌーのバランスを考えて配置するため、積み込みが行われる前にローディングプランを作成し、積み込みの際にカヌーのどこに何があるかを把握し、それがクルー全体にわかるようにマニフェストを作成するという大切な役割なのだ。荷物の積み込みが行われた後も航海が始まってからは常に水と食料がどれだけ残っているかチェックし道具や荷物の保管場所が変わる度マニフェストを更新していかなければならない。 

画像3


 タヒチへの航海では初めての長距離航海ということもありベテランクルーに何をするべきか聞いてそれに従うか、ベテランクルーの後について彼らのやってることを真似たり手伝ったりしていたが、この航海では私が率先して行動しなければならないのだ。
 このKuleanaは十数種類あり、クルー全員に割り当てられる。今回の航海はタヒチへの航海とは違い寄港地が多く、オーストラリアの東海岸を沿岸沿いに航海していく。地元の学校や施設の訪問、カヌーツアーとイベントが多数あるため、陸の上で航海をサポートするランドクルーが約5人、そして、途中の寄港地でクルーの交代もあり、実際に最初から最後までカヌーに乗船したのは私を含む8人のクルー(通常の航海は12人)、しかもそのほとんどが若手のクルーだった。そのため1人のクルーに2~3のKuleanaが割り当てられた。 
下記が主なKuleanaである。  

キャプテン 船長
ナビゲーター 伝統航海師
ワッチキャプテン それぞれのワッチ(4~6時間交代で行う見張り当番)のキャプテン 
ファーストメイト キャプテンの助手的存在
クック 料理担当
クオーターマスター 上記
セーフティーオフィサー カヌーとクルーの安全管理に関することを担当
セーフティースウィマー ライフガード的存在
エレクトリック 無線や航海灯などの、カヌーの電気関係の修理等を担当
カーペンター 大工さん的存在、カヌー全般の修理を担当
セイルリペア 帆やキャンパス等の修理を担当
フィッシャーマン 魚釣り担当
サイエンス カヌー上で行うサイエンスプロジェクトを担当 
プロトコル 島に到着した際の儀式などを取り仕切ったり、上陸する際にチャントを唄ったり、クルーにチャントをトレーニングする
エデュケーション 寄港地で行う教育プログラム、例えばカヌーツアーや、地元の学校訪問などを段取り、取り仕切る
コミュニケーション 無線でのやり取りや、ポリネシア航海協会のオフィス、寄港地との連絡係り
ドキュメンテーション 航海の様子を写真やビデオに収めオフィスに送り、ニュース、ウェブサイトに配信
ドクター お医者さん

一年ぶりに再会したHōkūleʻa 

画像4

 ホノルル空港から飛行機で 約8時間のフライトの後ブリズベンに到着、それから車を走らせて約1時間、やっとHōkūleʻaが停泊する港に着いた。私達クルーの目が自然と二つのマストを探す。夕日が沈む少し前ピンクとオレンジが混ざった夕焼けを背景に、これから私達の母になるHōkūleʻaは力強く、そして静かに私達の帰りを待っていた。クルーそれぞれがHōkūleʻaに触れ約1年ぶりに再会できた喜びを噛み締めていた。 
 ニュージーランドからオーストラリアへと航海したクルーは港のすぐ側にあるマリンレスキューという海難救助のボランティア団体が所有する建物の一室を借りてキャンプをするように宿泊していた。久々に再会するクルー達。その顔は航海を終えた達成感と、もうすぐ家族の待つホームへ帰れるというリラックスした表情と共に、航海中のホームであり母親であったHōkūleʻaと、航海を共にした兄妹クルー達と離れてしまうという寂しさが入り混じっていた。 明日には私達クルーにカヌーが引き継がれ新たな航海に向けての準備が始まる。その夜は興奮と緊張であまりよく寝付けなかった。 
 一夜明け、その日は朝早くから地元のカヌーパドラーと共に6人乗りのカヌーに乗りパドリング。この世界一周航海では、こういった地元の人達との交流も大切にしている。2時間近くのパドリングの後、朝食をとりながらミーティング。この日はクルー間でそれぞれのKuleanaを引き継ぎした後食料や水等を積み込むローディングが行われる。私に料理担当とクオーターマスターのKuleanaの引き継ぎを行うのはAna(アナ)という地元ハワイの女の子。彼女のお父さんはミクロネシア出身で1980年代からHōkūleʻaで航海をしているベテランクルーだ。Anaはタヒチへの航海でHōkūleʻaの料理担当だった。私達はカヌーは別々だったが共ににタヒチへと航海しトレーニングしてきた。ハワイ島でタヒチへの出航を風待ちしていた時にはルームメイトでもあったので、その彼女が私に引き継ぎをしてくれるのはとても心強かった。Anaの優しく丁寧な引き継ぎとクルーみんなが力を合わせて頑張ったおかげでローディングは無事に済み、カヌーは正式に私達クルーに引き継がれた。明日には次の寄港地へと出発する。そして、航海を終えたクルー達は今夜飛行機に乗ってハワイへと帰っていく。たった二日しか一緒に過ごしていないが、カヌーの兄妹達を見送るのは寂しい気持ちになった。
 翌朝、朝食後の食器洗いと冷蔵庫の整理整頓をし宿泊していた場所を掃除した。クルー達は訪れた場所を来る前よりも綺麗にしてから帰るということを心掛けているので、その場所を好意で貸してくれた方への感謝を込めて隅々まで綺麗にした。そしてクルー達の荷物をカヌーに積み込みバンク(寝床)をセットした。いよいよ出航だ。

アボリジニの人達との出会い 

画像5

 このオーストラリアの旅では、航海と共にこのレグならではの特別なミッションがあった。

 ・キャプテンクックがこの大陸を発見するよりも何千年も前からその土地に生きていたアボリジニの人々との交流、彼らがこの土地で自然に寄り添いながらどうやって生きてきたのか、そして、どのようにその土地をMālama(care/労わる)してきたのかを学ぶ。
・オーストラリアにはグレートバリアリーフという世界でも最大で最古のサンゴ礁が存在する。世界中の海でブリーチングとも呼ばれるサンゴの白骨化が問題になっている中、その世界にも誇るグレートバリアリーフを保護するために地元の人達がどのような活動を行っているのかを学ぶ。 

このミッションの為にクルー達はそれぞれの寄港地でアボリジニの人達と交流し、地元の学校や自然保護関係の施設を訪問した。
 Hōkūleʻaはクルー間でKuleanaの引継ぎを行っている間、ブリズベン近郊のCleaveland(クリーブランド)に停泊していた。最初の寄港地はそこから東へ約40海里に位置する島だ。その島の英語名はNorthstradbroke island (ノースストラッドブルックアイランド)だが、アボリジニ名はMinjarribah(ミンジャレバ) 。その島の先住民であるQuandamooka(クァンダムーカ)という部族の野生生物保護ユースレンジャー達にCleavelandに来てもらい一緒にHōkūleʻaに乗船してMinjarribah島まで共に航海した。

画像6


 この世界一周航海では長距離ではない沿岸航海の場合、地元の人達も一緒に航海をする。Hōkūleʻaの航海を心と体で感じてもらうためだ。Hōkūleʻaの航海の素晴らしさをどんな言葉で伝えても実際にカヌーに乗って航海を体験しなければわからないことがたくさんある。その短い航海がその人の人生をも変えてしまうこともある。そういう特別なMana(マナ;精神的な力)がこのHōkūleʻaにはあるのだ。私もクルー達も世界中の多くの人達にHōkūleʻaのManaを感じてほしいと願っている。
 Minjarrebha島に着くと60人くらいのQuandamookaの人達が岸壁でカヌーの到着を待っており、私達はカヌーから降りる前にクルー全員でハワイ語によるOli (オリ;チャント) をした。Hōkūleʻaの航海では島に上陸する前に必ずこのOliをする。それは、その島の人達へ自分達が何者であるかの自己紹介をした上で、島に足を踏み入れてもいいでしょうかと敬意を払って上陸許可を求める意味を込める。アボリジニもハワイアンも先住民族であるにも関わらず、後から来た西洋人達に土地を奪われ、島の名前を変えられ、言葉や文化、人権さえも否定された歴史を持つ。そんな彼らにとって、この儀式は特別で大切な意味を持つ。私達がそのOliをした後、今度はQuanndamookaの長老の一人が、その部族の言葉でOliを返した。上陸許可がでたのだ。私達がカヌーから降りてスロープを上がっていくと、そこは緑の木々に囲まれた広場になっていて島の人達がガムの木の葉っぱを燃やした煙を炊いて迎えてくれた。それはアボリジニに伝わる伝統的な身を清めるための儀式だ。私達はその煙の中をぬけて一列になった。そして英語でいくつかのスピーチがあり日が沈む少し前に静かにセレモニーが終わった。

画像7

 翌日、Quanndamookaの人達が彼らにとってとても神聖な場所に招いてくれた。 そこはアボリジニ名Bummiera(ブメイラ)、英語名Brown lake(ブラウンレイク)と呼ばれる湖で、その名の通り水が透きとおった琥珀色をしている。この湖にはKabool (カブール)と呼ばれる虹色の蛇の姿をした精霊が宿るという言い伝えがある。Quanndamookaの長老の一人である女性アンティエブリンが、その湖の精霊であるKaboolと、その土地を守ってきたアボリジニの先祖達に、よその島から来た私達がその神聖な場所に足を踏み入れてもいいか許可を求めるQuandamookaの言葉を唱えた。その後しばらくの静寂の中で私達はその美しい湖を眺めていた。そして、アンティエブリンが3枚の絵を見せてくれた。

画像8

画像9


 一番目に見せてくれた絵には、若く健康なガムの木がキャンパスに描かれていた。その絵は鉛筆で描かれていたが、ガムの木には青々とした葉が生い茂っているのがわかる。その絵の中のガムの木は西洋の文化がこの土地に入ってくる前のQuanndamookaの人々を表しているとアンティエブリンは言った。その木はとても健康で、力強く太い木の根は母なる大地にしっかりと繋がっていたのだと。そして、Quanndamookaの人々がその土地の自然と寄り添いながらどのように暮らしてきたのかを話してくれた。彼らは鳥のさえずりを聞き、風に揺れる木々の葉の声に耳を傾け、空を見上げて雲が創り出す様々な形を読み取りながら狩りと漁に出かけ、森や海の恵みを受けながら生きていた。その土地の自然と繋がることに重きを置いていた。自然と対話しながら、自然が織りなすサインを読み人々の健康な根=ルーツが母なる地球にしっかりと繋がり誇り高く生きていた時代だ。私はアンティエブリンの話を聞きながら彼らの生き方はカヌーでの生き方ととてもよく似ていると静かに感動していた。
 2番目に見せてくれた絵は同じガムの木だが、一枚目の絵のガムの木とは打って変わって、葉は枯れ落ち枝は折れている。弱々しく、頼りなく、病んでいるようにも見える。このガムの木はQuanndamookaの土地が西洋人に侵入され、先住民であるはずの彼らが、その生き方を否定され自分自身を見失っている時代、すなわち比較的近い過去から今現在のQuanndamookaの人々を表している。彼らだけでなく私達は皆、混乱した時代に生きている。新しい物事が次から次へと起こり作られ、何に価値を置けばいいのか判断するのが難しい時代だ。アンティエブリンは静かに、でも力強い声でこう言った。「枯れてしまったように見えるけれど、その木の太い根はまだしっかりと母なる大地に繋がっています。その太い根、ルーツがしっかりと大地に入り込んでいれば、その木はしっかりと踏ん張って立つ事が出来るのです。たとえ、葉っぱや枝を失ったとしても。」私達は全員、アンティエブリンの言葉に胸が熱くなった。
 そして最後の絵には若葉が生え始めた、健康な若いガムの木達が描かれていた。それはQuanndamookaのコミュニティの中でたくましく生きる子供達を表している。彼らは一度失われかけたQuanndamookaの言葉や文化と歴史を学び、すくすくと育っている。ある若者達はこの島の環境のために野生生物保護レンジャーとして活躍している。これからの未来を背負っていく子供達、Quanndamookaの人達にとって彼らは希望の光だ。それはまるで、若いガムの木達が健康な森へと復活していく様子を見ているかのようでもある。
三枚の絵の話の後、私達はただ自然の奏でる地球の声に耳をかたむけていた。そして、アンティエブリンが静かに言った。

画像10

「私達は家族になりました。立会人は必要ありません。鳥や木々、花達が見ていました。私達が家族になるのを認めてくれました。それだけで充分です。私達はもう家族なのだから、あなた達はいつでもこの土地に戻って来てもいいのです。そして、私達Quanndamookaの魂はHōkūleʻaと共に航海をします。」
忘れられない、忘れたくない時間がそこにあった。これこそ、この航海の目的であるMālama Honua(マラマホヌア;地球をいたわる)の物語だ。私達は出会うべくして出会ったんだと感じた。
「たとえ自分を見失ったとしても根=ルーツがしっかりと母なる地球と繋がっていれば、自分を取り戻し、ホームに帰ることができる。」この言葉はクルー全員の心に刻まれた。
 それからの数日間Minjarrebha島で地元の学校を訪問し、地元の人達をカヌーへ迎え入れるカヌーツアーを行い、この島に住む、たくさんの美しい人々と出会った。

画像11

画像12

画像13

画像14


 クルー達は一日だけ、Quanndamookaのユースレンジャー達と共に草刈りなどの土地の手入れを行った。
ユースレンジャー達の役目は島のエコシステムに悪影響を及ぼす外来種の動植物を取り除き、草刈りなどをして土地を手入れし、島のエコシステムに貢献している在来種の植物や野生生物を保護することだ。その野生生物の中には危険な毒蛇などもいる。 でも、彼らは「危険な生き物だからといって殺してしまうのではなく、どうやって彼らと共に生きていくのかを学ぶことが大事なんだ。」と言う。それは、彼らの先祖が歩んで来た道だ。アボリジニの人々は何千年も前から、そうやってその土地の自然と共に生きて来た。危険な野生生物も人々もこの島の一部で、それぞれのKuleanaを持っていることを十分に理解していた。ユースレンジャー達は先祖が辿ってきた道を引き継ぎ、未来へと繋げていこうとしている。それが彼らのKuleanaなのだ。
 そして、いよいよ再び航海に出る前日、ユースレンジャー達がホクレアのパーツの一部にBummiera湖(ブメイラ湖)の精霊であるKabool(カブール)、虹色の蛇を彫刻してくれた。 私達と家族になったQuanndamookaの魂がHōkūleʻaと共に航海する。

画像15

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?