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今夜きっと眠れなくなるディズニーシー乱歩

「ディズニーランドとシーって何が違うの?」

この質問にどう答えようか悩まされるディズニーファンは実は多く、私もその一人である。
東京ディズニーリゾートにある二つのテーマパークは、ひょっとしたら側から見れば同じに見えるかもしれない。どのアトラクションがどちらのテーマパークにあるかあやふやな人もいるだろう。
一方で、ディズニーファンからすればこの問題は深刻だ。東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの間には、“言語化できない明らかな違い”が鉄のカーテンをおろしているのである。

東京ディズニーシーは、世界で唯一日本にしかないディズニーパークである。「冒険とイマジネーションの海」と呼ばれ、しばしば東京ディズニーランドと比較して「大人向け」だとされることも多い。

海にまつわる物語、伝説からインスピレーションを得たこのパークには、冒険とイマジネーションにあふれる個性豊かな7つのテーマポートがあります。
それぞれのテーマポートにはテーマに合わせた様々なアトラクションやレストランなどがあり、歩くたびに時間や空間を超える体験は世界中のディズニーテーマパークで、ここでしかできないものです。
『【公式】7つのテーマポート | 東京ディズニーリゾート』

今回は、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの相違点を検討しながら、東京ディズニーシーの真髄に迫っていきたいと思う。

一介のディズニーファンによる一考察であることをご容赦のうえお楽しみください

ディズニーランドはどうしてすごいのか?

そもそも、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの相違を知るためには、両者のオリジナルとなったディズニーランドについて論じねばならない。東京ディズニーシーは2001年に、東京ディズニーランドは1983年にオープンした。それよりも更に前、1955年に誕生したディズニーランドは、アメリカ合衆国カリフォルニア州、ウォルト・ディズニー自身の手で創り出された。

ウォルト・ディズニーが展開したディズニーランドは、その特筆すべき項目を二つに分解することができるだろう。

ひとつはその内容である。アメリカ合衆国の独立は1776年であり、その元となっているヨーロッパやアジアの国々と比較すれば、建国神話を欠く。そこでディズニーランドは、アメリカ合衆国の建国神話を肩代わりして表現する役割を広く担っていたのである。
例えば、ディズニーランドの外周を走る鉄道「サンタ・フェ&ディズニーランド鉄道」(Santa Fe & Disneyland Railroad)と、アメリカ河に佇む「蒸気船マークトウェイン号」(Mark Twain Riverboat)がある。前者は「ウエスタンリバー鉄道」として、後者は同名で東京ディズニーランドでも馴染みがあるだろう。

1901年、シカゴに生まれ、マーセリーンで育ち、カンザスシティで大志を抱いた若いウォルトは、ロサンゼルス(ハリウッド)にやってきます。この20年あまり、つまり、幼年期から彼の人生を決定した青年期に至る時期、その地理的移動はすべて“一本のレール”で結ばれています。
(柳生すみまろ『柳生すみまろのディズニーランド誕生秘話』63ページ)
当時は多くの人は鉄道と深く関係する人生を送ってきました。とくに中西部や西海岸に長く住んでいる人々は、大なり小なり鉄道と関わって生きてきたといっていいでしょう。こういった人々こそ、ディズニーランドの潜在的ゲストでした。ウォルトの鉄道に対する思いは、ほかのアメリカ人の多くも共有できるものだったのです。
(有馬哲夫『ディズニーランドの秘密』52ページ)

ディズニーランド(あるいは東京ディズニーランド)を走る鉄道は、ヨーロッパから東海岸に移住してきた移民が、西海岸に大陸横断する鉄道をモチーフとしたアメリカ合衆国の夢そのものなのである。そして、蒸気船マークトウェイン号のような外輪船は、アメリカ大陸の河川を航行して上下の移動を司っており、これがまたアメリカ合衆国のフロンティアを押し上げてきたのだ。
このことは東京ディズニーランドでも片鱗が見られる。20世紀初頭のアメリカの街並みを表現したエリア「ワールドバザール」にあるショップ「ホームストア」には、以下のような表記がある。

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(前略)。私の名前と同じマーセリンというその街はカンザスシティーとシカゴを結ぶ鉄道が通る、こぢんまりした町です。幼いころの私は、大きな街に向かって走る列車を眺めてばかりいました。私には、たくさんの家具や雑貨を積んだ列車のようすが、まるで大好きだったドールハウスのように見えたのです。(以下略)。

話を戻そう。ディズニーランドが起こした革新のもう一つは、「テーマパーク」というフォーマットを生み出したことだ。

従来の遊園地は、ジェットコースターやメリーゴーラウンドなどの施設を無造作に置いて、あるいは客の入りを最大化することを目的に設置して運営していました。しかし、ウォルトは、それぞれの施設には物語をつけようということを言い始めます。それぞれの施設にはそれぞれの「テーマ」があるということです。これが「テーマパーク」です。
そこでは、それぞれの施設の物語同士がごちゃごちゃ混ざってしまう可能性があるので、近しい物語の施設は近くに置こうねということになります。確かに、ラブロマンスをみていたら突然拳銃を持ったおじさんが出てきてドンパチするというのは嫌ですし、スペインが舞台の作品で窓を開けたら突然中国につながっていたりしたら困ります。これがいわゆる「テーマエリア」という概念に繋がっています。似たような舞台やテーマの物語を集めて、建物を融通させることで、それぞれの施設が調和するようにしているわけです。例えば、「ファンタジーランド」はファンタジー、「トゥモローランド」は未来がテーマの施設のみを集めて作ります。
『はじめての痛快ディズニーランド入門─四つの誤解とその答え|TamifuruD(たみふるD)|note』

ここでは、東京ディズニーシーにあるコインロッカーの例をご覧頂きたい。

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ここで、テーマパークは大きく分けて三種類のもので構成されていると仮定してみよう。

ひとつは「遊園地システム」だ。ここでは、入り口を潜って向こう側に並んで見えるコインロッカー、あるいはそこに投入する現金などが挙げられるだろう。これらは、東京ディズニーシーが“東京ディズニーシー”という遊園地として機能するために欠かせないものである。
ふたつめは、「テーマシステム」とでも呼ぶべきものである。入り口の右側に「59」という番号が書かれているが、これは、遊園地としては本来必要ない「お飾り」である。東京ディズニーシーのエントランスは、イタリアのトスカーナ地方、とくにフィレンツェの街並みをテーマとしている。そこで、建物に番号をつけることで、その風合いを演出しているわけである。
さて、みっつ目はその中間にある「テーマ遊園地」であろう。“STORAGE LOCKERS”「コインロッカー」という文字や、室内や入り口左側に設置されたライトは、コインロッカーという機能を果たすために必要な「遊園地システム」である。しかし同時に、文字はレタリングされ、街灯はデザインされているわけで、ここには「テーマ」の息がかかっている。

さて、「ランドとシーはどこが違うの?」と言われてしまう最大の理由は簡単で、それがどちらもディズニーの「テーマパーク」であるからだ。
言い換えれば、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの違いは、せいぜいそのフォーマットが同じという程度に過ぎない。ディズニーファンが「ランドとシー、逆に同じところがあるかね?」と思ってしまうのは、器が同じでも内容は全く異なるものであるからだ。言うなれば、「『アナと雪の女王』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『七人の侍』は全部映画だから同じ?」というような具合である。

テクストとしての東京ディズニーシー

そうなると、ここで一種の方針が立つ。東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの最大の違いは、そこにある設計哲学であり、メッセージであり、内容部分であると言える。そして、それらがディズニーのテーマパークというハコに入れられているがために、どちらも同じものに見えているのであると仮定できる。

すると、「テクストとしての東京ディズニーシー」を読むという方法を提案することができるだろう。

「テクストとしての東京ディズニーシー」を考える時、他にテクストとなり得る映画、小説、あるいは論文などと大きく異なる部分はどこかといえば、東京ディズニーシーは異なる七つの立場を代表しているということだ。これは言い換えれば、東京ディズニーシーの持つ根本的メッセージは、七つのエリアの間で交わされる議論によって洗い出されるということである。

メディテレーニアンハーバー:1901年の南欧
アメリカンウォーターフロント:20世紀初頭、1912年前後のアメリカ東海岸
ポートディスカバリー:時空を超えた未来のマリーナ
ロストリバーデルタ:1930年代のユカタン半島
マーメイドラグーン:人魚の国
アラビアンコースト:13世紀のアラビア世界
ミステリアスアイランド:1873年前後、南太平洋に浮かぶ秘密基地

着目すべきは、それぞれのエリアは具体的な年代と場所が設定されているということだ。東京ディズニーランドでは「アドベンチャーランド」や「ファンタジーランド」などの正にテーマらしいテーマを設定して掲げているわけだが、東京ディズニーシーでは異なっている。上述した「テーマシステム」もとい「テーマ遊園地」は、それぞれがこの時代・舞台に則って設定されているのである。

東京ディズニーシーを読む上で重要になってくるのは、これらのテーマエリアが「テーマポート」と呼ばれていることである。つまり、それぞれのエリアはひとつの独立した港町として機能しており、そこには為政者がおり、街の暮らしがあり、アクティビティがあるのである。私たちはその中に飛び込んでいく一人の旅人に過ぎないということが肝要である。

東京ディズニーシーの地政学

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『【公式】マップ | 東京ディズニーシー』

東京ディズニーシーの七つのテーマポートの位置関係は以上の通り。ここで着眼したいのは、その位置関係である。

最初に気付くこととして、「メディテレーニアンハーバー」と「アメリカンウォーターフロント」は、マップ製図上の遠近感を差し引いても明らかに広大であり、東京ディズニーシーのエントランス(マップ最下部)からみて手前側に配置されているということがある。ここはそれぞれメディテレーニアンハーバー=地中海とアメリカンウォーターフロント=大西洋にあたり、ゲストのホームとして想定されているのはこれらのテーマポートである。プロメテウスと名付けらるる火山の中には、南太平洋の火山島であるミステリアスアイランドがある。
次に、通称「奥地」にあたるのが、「ロストリバーデルタ」こと中央アメリカのジャングルであり、続いて「アラビアンコースト」がある。そして、手前のエリアと奥のエリアを繋ぐのが「ポートディスカバリー」と「マーメイドラグーン」になっている。このことは、東京ディズニーシーを楽しむ上でも、“読む上でも”興味深い役割を果たすことになる。

東京ディズニーシーを操る秘密結社

まず私が注目したいのは、メディテレーニアンハーバーで確認できる探検家・冒険家学会(Society of Explorers and Adventurers)の存在である。通称S.E.A.と呼ばれ、スペイン国王から与えられた火山の麓にある要塞で、16世紀の探検家や学者によって設立された。「冒険」「発見」「発明」「ロマンス」をテーマとしており(なんでこのラインアップにロマンスが入るんだよとツッコミたくもなるが)、現在=20世紀初頭まで存続する。

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学会には名誉会員として、古代ギリシアのプトレマイオス、コロンブス、レオナルド・ダ・ヴィンチも名を連ねる。また、イスラーム世界を探検したイブン・バットゥータの姿も見られ、この学会が特定の宗教に傾倒したものでないことも理解できる。「冒険とイマジネーションの海」というコンセプトにあって、彼らはまさに東京ディズニーシーの影の主役といえるであろう。

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(みんなは全員わかるかな?)

さて、彼らは東京ディズニーシーのいたるところに登場する。
同じくフォートレス・エクスプロレーションにあるレストラン「マゼランズ」は言わずもがなフェルディナンド・マゼランの名を冠している。また、S.E.A.が運営しているファンタスティック・フライト・ミュージアム(Il Museo del volo Fantastico)が舞台の「ソアリン:ファンタスティック・フライト」では、レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像を見ることが叶う。

そして極め付けは、メディテレーニアンハーバー=イタリアとアメリカンウォーターフロント=アメリカの間に存在する円形広場、コロンバス・サークル(Columbus Circle)であろう。ニューヨークに実在する地名をモチーフに、実際に人々の憩いの場となっているのである。

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ハイル・コロンビア、デル・ギセイシャ

メディテレーニアンハーバーにS.E.A.があることで、このエリアの主眼が「大航海時代」と「ルネサンス」の賛美であることがわかる。そして、コロンバス・サークルからみてわかる通り、アメリカンウォーターフロントはその延長線上にある「アメリカ独立万歳」のコーナーである。

この例は枚挙させれば暇なく、豪華客船たるS.S.コロンビア号(S.S.Columbia)の存在が端的にその体現である。

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コロンビアとは、アメリカ大陸を比喩して女性に例えたものである。英語において女性として扱われる船にこの名称がつくのは自然なことであろう。船体は赤と青、そして白色を基調にしており、星条旗を思い起こさせる。

アメリカンウォーターフロントを構成するのはニューヨークだけではない。のどかな港町ケープコッドもまたアメリカンウォーターフロントであるが、ここにもアメリカ独立を祝う雰囲気はある。レストラン「ケープコッド・クックオフ」は、村一番の料理の腕を競って料理大会がタウンホールで開催され、その優勝メニューにありつけるという物語。この料理大会はアメリカの独立を記念して開催されている。タウンホールの扉を開けると、足元には大きく1789の文字が現れる。この年、アメリカ独立戦争を指導したジョージ・ワシントンが、アメリカの初代大統領に就任するのである。

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他にも、ケープコッドの有名な灯台は自由の娘たち(the Daughters of Liberty)から寄贈されたものである。彼女らは、イギリスとの交易において不買運動を行うことで、アメリカの独立に貢献したとされる。

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「なるほど、アメリカンウォーターフロントはアメリカの独立を祝うエリアなんだ!」

ところが、そうとも言い切れない事態が発生している。
上述したS.S.コロンビア号の持ち主はU.S.スチームシップ・カンパニーという企業であるが、このオーナーのコーネリアス・エンディコット三世は、とある経済界上のライバルを抱えていた。彼こそハリソン・ハイタワー三世である。

彼のホテル・ハイタワーは、2006年にオープンしたアトラクション「タワー・オブ・テラー」として有名だが、このホテルの酷さといったらもう……最悪である。ホテル・ハイタワーの設立は1892年。巨大なハンマーの形をしており、オーナーのハイタワー三世の趣向で満ちている。

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ハイタワー三世は富豪でありながら同時に探検家であり、世界中を船で旅して芸術品を“保護”してきた。1899年12月31日、彼はコンゴ川上流の村で発見したシリキ・ウトゥンドゥという偶像を公開。「呪いの偶像」と呼ばれたこれを、ハイタワー三世は馬鹿馬鹿しいと言って一蹴した。そして大晦日のその夜、突如ホテルに落雷し、エレベータに乗って自身のペントハウスに向かっていた彼は謎の失踪を遂げてしまったのである。
その後ホテルは閉鎖され、恐怖のホテル(Tower of Terror)と呼ばれていた。コーネリアス・エンディコット三世がこれを買い取ろうとしたが、相対するのは彼の実の娘、ベアトリス・ローズ・エンディコットである。彼女が設立したニューヨーク市保存協会(New York City Preservation Society)がホテルを保護し、ホテルツアーを敢行するのである。

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ホテル内は、彼の強奪した品々で溢れている。それらの一部は原型を留めず、ホテルと彼に都合の良いように作り替えられてしまっている。ここで、彼の性格を垣間見るいくつかの記述を、アトラクションの中で見ることのできる新聞から抜き出してみよう。

Harrison Hightower III, the 'Dragon of Park Place', reportedly conceived this hotel a personification of everything he stands for: Beauty, Power, Elegance and Excellence.
「パーク・プレースのドラゴン」ことハリソン・ハイタワー三世はこのホテルを、自身を表現する全て──美、力、気品、そして卓越の象徴として発想したとのことだ。
(筆者訳)
These were the social elite of the city, including Mayor Chaplin and the city council. Also on hand was President Benjamin Harrison, although he reportedly went straight to his room and slept through the night. Every famous face in New York could be seen, except for Cornelious Endicott III, the second richest man in New York, who reportedly was not invited.
チャップリン市長と市議会を含む街の社会的上流層だ。又一方には大統領ベンジャミン・ハリソン、にも関らず彼は部屋に直行し夜通し寝てしまったと噂されている。ニューヨーク2番手の大富豪、コーネリアス・エンディコット三世は招かれなかったと聞くが、彼を除けば、ニューヨークの面子が揃っているのが確認できた。
(筆者訳)
The goal: to seek rare artifacts and precious works of African art, and rescue them from the savages who hoarded them in squalid seclusion. Hightower's motto: "Primitive art is wasted on primitive people".
ゴールは、珍しい工芸品と貴重なアフリカの芸術を探し出し、むさ苦しい僻地に置いている獰猛な人々から救うことだ。ハイタワーのモットーは、「原始的芸術は原始人には無駄である」ということだ。
(筆者訳)

ねえ……非常に……ひどい。

彼が特に好んだのはインドの品々だ。彼は、ホテル向かって左側にインドの庭園(Garden of India)を併設しており、ここはまさにエキゾティックな雰囲気を醸している。ホテルの右側にはプールが併設されているが、ここもインド風の飾り付けになっており、彼のインド遠征の写真が飾られている。

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Garden of India Here I Have Gathered Works Of Enduring Beauty And Mystery From Distant Fabled Kingdoms To Fashion A Kingdom Of My Own. - HARRISON HIGHTOWER
インドの庭園 名高い彼方の王国から美と神秘に満ちた品々を結集し、私の王国を彩るのだ。ーハリソン・ハイタワー
(筆者訳)

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ラジャのプール(The Rajah's Pool)に展示されている写真

アトラクションのオープン年からすると後付けだが、彼はS.E.A.の会員であることも明かされている(厳密には分会のようなものが設立されたのではないかと言われている)。
彼が後にシリキ・ウトゥンドゥの呪いによって失踪することになってしまうのはなかなか示唆的だ。アメリカンウォーターフロントが抱えるのはこの奇妙な矛盾なのである。「クリストファー・コロンブスのおかげで独立できたアメリカ」に万歳を捧げておきながら、それでも「他民族を支配するような支配欲には成敗が降る」というのは、東京ディズニーシーの永遠の命題としてつきまとっている。

クリスタルスカルを怒らせたのは誰か?

「クリストファー・コロンブスは英雄である」という命題に対して、イエスと首を降るか、彼をこき下ろすか、第三の回答の持ち合わせがあるのか……。

例えば、ロストリバーデルタを考えてみよう。1880年代、中央アメリカの森林を絶え間なく襲っていたハリケーンが突如として晴れると、そこに一本の河川が現れた。その川縁には、未だ嘗て誰も足を踏み入れなかった古代の神殿が眠っていたのである。人々はここを「失われた川」、ロストリバーデルタ(El Rio Perdido)と呼んで集住し、一攫千金の夢を追い求めた。

しばしばここで問題になるのは、「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」というアトラクションの存在である。

アメリカ人考古学者であるインディアナ・ジョーンズ博士は、ロストリバーデルタ沿岸に存在する「クリスタルスカルの神殿」を発見。その中には、永遠の命を保証する「若さの泉」があるのではないかと発表した。すると世界中から観光客が押し寄せたので、彼の助手であるパコはオフロードカーを用いた魔宮ツアーを開設し一儲けしようと画策。けたたましいエンジン音を響かせ、人々はクリスタルスカルの怒りに触れることになる。
この物語では、クリスタルスカルというオーパーツがあたかも実在のように扱われている。ロストリバーデルタのモチーフになっているのはマヤのピラミッド文明であり、一部の学者は、このアトラクションがマヤ文明理解を妨げているとまで言っている。

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しかし一方で、ロストリバーデルタに関しては次のような反論が可能である。ロストリバーデルタは、「伝説や神話という虚構そのもの」を主題に置いているという可能性だ。
以前の記事でも引用したように、ロストリバーデルタで流れる「ラジオCRD」では、次のような音声を聴くことができる。

……イギリスの考古学の専門家たちはこれを全面的に否定しました。グラハム卿は、「クリスタル・スカルは、人間が作ったものに過ぎず、超自然的な力など全くもっていない」との見解を発表。さらに、「ジョーンズ博士はハリウッド映画の見過ぎだ」とまで発言しています。それに対してジョーンズ博士は、「クリスタル・スカルを甘くみると大変なことになる。クリスタル・スカルの怒りを買うような真似だけは絶対にするな」という内容の電報を専門家たちに送ったということです。
『こじつけの美学をこの街で【ディズニーシーレポ③】|TamifuruD(たみふるD)|note』

「クリスタルスカルは虚構である」ということ自体が、このアトラクションに織り込んであるのである。そして、そのことを前提とした上で、「クリスタルスカルは実在した!」のが当アトラクションであると言えるだろう。ここで発言しているイギリス学者たちと、シリキ・ウトゥンドゥの厄災を信じなかったハリソン・ハイタワー三世を重ねない方が難しく、観光客たる我々は彼らの側に立つか、ジョーンズ博士の側に立つか選ぶことになる。

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ハリソン・ハイタワー三世は中央アメリカをも訪れた

我々はアジア人か?

あるいは、アラビアンコーストについても考えてみよう。

魔法と神秘につつまれた、ここは『アラビアンナイト』の世界。 絵物語のようなこの世界で、シンドバッドと一緒に冒険したり、キャラバン隊の行進に参加したり。アラビアンコースト以上にマジカルな体験ができるところは、きっとないでしょう。
『【公式】7つのテーマポート | 東京ディズニーリゾート』
岸辺に並ぶ華やかなドームと塔、訪れる人々をランプの精の済む魔法の国へと誘うために、遠くから呼び寄せる。北アフリカ、スペイン、エジプト、イラン、中央アジア、インドのモスクや宮殿に使われたイスラーム建築の様式がちりばめられていた。
(中略)
アラビアンコーストは、イスラーム教とまったく結びつかないけれど、イスラーム風細部を集成した建築である。そこには、他者から見たイスラーム的建築要素が入り混じり、歴史や地域を超えて、さまざまな要素が並列、陳列される。そして、ディズニーというアメリカの企業によって、日本の浦安の海に構築され、世界で唯一のディズニーシーの重要な一部となっている。
(深海奈緒子『世界のイスラーム建築』264ページ〜)

「アラビアンコースト」という名前には「アラビアン」と入っているが、実際問題そうかはわからないものである。

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例えばレストラン「カスバ・フードコート」のメニューを見てみると、ここではカレーが賞味できる。種類は「ビーフカリー」と「チキンカリー」と「ベジタブルカリー」となっている。イスラーム教の禁忌であるポークは入っていないようである(東京ディズニーランドには「ポークカツカレー」のメニューがある)。
しかし、蓋を開けてみると、食べログにおいてカスバ・フードコートは「インド料理」「インドカレー」の分類であるし、ディズニーパークを扱った雑誌『ディズニーファン』でも、先日ついに「インド料理」として紹介されていたのを見た。外務省によれば、現在のインドの人口のうちおよそ8割はヒンドゥー教徒で、崇拝対象となっている牛が禁忌である(穢れとされる豚も食べないと言う)。

東京ディズニーシーのアイデンティティとしてアラビアンコーストが必要必携である理由はもうひとつあると考えられる。それは、大航海時代前史としての役割である。ムスリム商人や中国人商人の用いたダウ船、ジャンク船、あるいはコンパスなどの技術がヨーロッパに渡ったことで、ヨーロッパの人々はアジア圏に訪れることができるようになった。S.E.A.は皮肉にも、アラビアンコーストなくては登場しなかったのではなかろうか。

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ダウ船

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「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」のシンドバッドの船には、“英語で”東西南北(N, E, W, S)が確認できる

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『【公式】マップ | 東京ディズニーシー』

これまで、「メディテレーニアンハーバー」と「アメリカンウォーターフロント」、「ロストリバーデルタ」と「アラビアンコースト」を比較して明らかなこととして、欧米圏とそのほかの地域で明らかに解像度が異なるということが挙げられる。東京ディズニーシーを中心で前後に分けた際生じるこの線は、解像度の線に他ならない。そして、欧米を出発して探検に向かう、「出発点としてのテーマポート」と「冒険地としてのテーマポート」に他ならないのではなかろうか?

待ったをかける激重おじさん

この現状に待ったをかけるのが、東京ディズニーシーの中心に位置するプロメテウス火山である。

南太平洋に浮かぶ火山島に秘密基地を建造し、一人で地球にまつわる研究を行うのは、謎の天才科学者ネモ船長である。ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万里』から生まれ、同氏の小説『地底旅行』『神秘の島』やディズニー映画『海底2万マイル』からインスピレーションを受けたエリアが、このミステリアスアイランド。

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四方を岩肌に囲まれ、遠くから鳥の声や波の音が聞こえる。ニューヨークやイタリアの喧騒から離れ、ただ機械と自然の音だけが響く静寂の空間。正に「陸の孤島」と感じられる。火山の中心には大きなカルデラ湖が存在し、火口は中心から少しばかり北上しているが、この島の主人であるネモ船長とは、一体どんな存在なのか。

小説と映画では、若干生い立ちが異なるが、本筋は同じである。
小説では、ネモ船長はかつてインドの王子であった。欧米で学問した後、英国の締め付けが激化する自国でインド大反乱に参加。その身を追われて身を隠した後、欧米諸国の船を沈めて回る潜水艦ノーチラス号を造船。世界中で「謎の巨大生物」として恐れられている。
映画では、強制労働施設となっていた島で火薬の産出に参加していたところから仲間と共に脱出する。「宇宙の真のエネルギー」の存在を発見した彼は、この科学技術が種となって拷問にかけられてしまう。口を割らなかった彼は、妻と子供を殺害されてしまい、怒りを燃やして潜水艦ノーチラス号に乗る。そして、船を沈めて回るところからは小説と同様。

彼はいずれにせよ弱小民族の味方として列強国の船を沈めて回っていたのである。彼が現在安息を求めて島の中に留まっているのは不運なことかもしれないが、アトラクション「海底2万マイル」で同時に次のようにも書き留めている。

30 January 1873. To say that I am astounded at the abundance of the kelp harvest would only hint at my satisfaction with this venture. In barely these days since our last sojourn into this field, the growth has nearly doubled! Imagine, a world that knows not of hungry. Now I know that it is possible!
1873年1月30日。海藻の収穫高には驚かされたが、それは、私がこの冒険的事業に満足したということに他ならない。前回の駐在から僅か数日の間に、成長量は二倍近くなっていた! 想像して御覧なさい、飢えを知らぬ世界を。今、私はそれが存在し得ると確信したのだ!
(筆者訳)

また、アトラクション「センター・オブ・ジ・アース」では次のように述べている。

科学者諸君、ようこそ。こちらはネモである。
これから優れた科学者である諸君に、偉大なる発見の目撃者となっていただく。それは、これまで誰もが到達不可能だと考えていた、地底奥深くの世界である。何者にも侵されていない、美しさと脅威に満ちた地底世界は、嘗て人間の手が作り出したいかなる世界よりも幻想的だ。この発見はやがて人類に大いなる恩恵を齎すに違いない。
然し、これから諸君が目にする世界のことは、決して口外しないと約束してくれたまえ。人類の文明は未だ、私の発見を知るに相応しいものではないからだ。

ネモ船長のスタンスは現在も一貫しており、この科学技術が戦争を知る地上のいかなる国の手に触れても、それは最悪の結果しか招かないということである。

事実、アメリカンウォーターフロントの時代設定は1912年。その二年後には第一次世界大戦を迎えることとなるし、1930年代のロストリバーデルタも間も無く、第二次世界大戦を想起させる……。

ifなのか、あるいは……

以上、東京ディズニーシーが抱える問題はあまりにも大きいものである。それはある意味でエキゾチズムとの戦いであり、ある意味ではオリエンタリズムとの戦いである。

そんな中、東京ディズニーシーの「文明」と「伝説」の双方において、これらに「理想論」を突きつけるのがポートディスカバリーとマーメイドラグーンである。

ポートディスカバリーは時空を超えた未来のマリーナと呼ばれ、20世紀初頭の人々が想像した100年後=現代のifの姿である。ここには世界中から科学者が集められ、海を「人類最後のフロンティア」と呼んで、気象や海洋、生物の研究をしている。
「人類最後のフロンティア」という表現が気に食わなければ、「ニモ&フレンズ・シーライダー」に乗ると良い。ここでは、ダイバーや潜水艦を用いずに魚を観察する方法として、通電すると縮んでしまう性質を持つマテリアル「チヂミニウム」(チヂミ?)を発見、魚のサイズになって海を観察できる「シーライダー」を開発した。

一方、マーメイドラグーンはそこにファンタジーの側面から解決を図る。映画『リトル・マーメイド』(1989)の後、キング・トリトンが人間のために門戸を開いた海底王国である。

「ニモ&フレンズ・シーライダー」と『リトル・マーメイド』において、彼らは「魚の大きさになって」や「人間になりたい」と言っている。ここで彼らは、「自分たちの社会を相手の社会に持ち込む」のではなく、「相手の社会に自分が入っていく」ことを想定しているのである。これは、ピサロやコルテス、マゼランやコロンブスが、現地の人々をキリスト教化することを目指したことや、ミステリアスアイランドのネモ船長が自分の島に留まっているのとは対照的であると言える。

これは、フィクションの問題ではない

これは決して、フィクションの中に著された問題提起ではない。それは、次の二つの観点からそう言える。

第一に、これがテーマパークで展開される物語であると言う点に舞い戻れば、ゲストは東京ディズニーシーの物語を「身をもって体験する」ということである。東京ディズニーランド・シーのとる「テーマパーク」という体裁は、模造された建造物の中に身を置いて、実際に熱さ、冷たさ、香り、風を感じて歩く。我々は、中央アメリカのジャングルでラジオ速報を聴きながらスモーク料理を食べたり、恐怖のホテルを尻目に豪華客船で食事を取ったりする。それらは全てがフィクションであり作りものであることを我々は承知しているが、しかし今現在目の前に本物として我々の前に現れる。これは、二次元的隔たりを持つ映画スクリーン、漫画、アニメーションにはできない芸当であり、テーマパークの特質である。

第二に、我々はこうしたエキゾチズム消費の当事者となっている。インドと分類されるイスラーム文化圏、実在しないが我々を襲うクリスタル・スカル。真空恐怖に怯えるハイタワーホテルに、我々はゾクゾクしながら入っていく。

ここで話は冒頭に戻り、カリフォルニアのディズニーランドと東京ディズニーランドとを比較する必要が出てくる。

2001年9月4日、東京ディズニーシーが、東京ディズニーリゾートに開園した。それにあわせて、イマジニアたちはあらゆる宣伝方法を使い、パーク内のイベントを効果的に演出した。
「日本の人びとはディズニーテーマパークに詳しいので、一から始めなくてもよかった。それでも、チケットを買うときから楽しんでもらえるものを作りたかった。ポスターなら楽しんでもらえる、と思ったんだ」と話すのは、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングのシニア・プリンシパル・グラフィック・デザイナー、ウィル・アイアーマンだ。
(『ディズニーテーマパークポスターコレクション』121ページ)

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ウィル・アイアーマン氏も携わった「センター・オブ・ジ・アース」のポスター

ここで彼の言う「ディズニーテーマパークに詳しい」とはどういうことだろうか。『ディズニーテーマパークポスターコレクション』同書ではその後以下のように続く。

アイアーマンは、東京ディズニーシーのポスターをどんなものにするか、あらゆる角度から考えた。彼は東京ディズニーランドのポスター制作にかかわった経験があり、(中略)東京ディズニーランドのポスターには、世界のほかのパークにはない物語やスタイルが盛り込まれていた。
(『ディズニーテーマパークポスターコレクション』121ページ)

このポスターには、東京ディズニーリゾートのパーク観、そして日本のゲストのパーク観が反映されていると見て良いだろう。

では、東京ディズニーランドのポスターとはどのようなものであったか? 以前に「カリブの海賊」について書いた記事から引用すれば、東京ディズニーランドと他のディズニーパークの「カリブの海賊」の相違は以下のようになる。

アメリカのディズニーパーク両者で、東京やパリで用いられたようなアトラクションのシーンをフィーチャーしたものは使われていない。加えて、東京とパリは、主に言語の面でデザインが微妙に異なっている。
ここから導き出される結論は、以下の四点である。これにより、「カリブの海賊」は、同じ内容でありながら異なる文脈の中に位置しており、異なる意味合いを持つのである。
1 カリフォルニアとフロリダのパークは史観的、東京とパリのパークはエンターテイメント的に「カリブの海賊」を稼働している
2 カリフォルニアではアメリカの理想(それすなわり自由や夢)の象徴として、フロリダではスペインとの戦いの記録として、「カリブの海賊」が文化的役割を持つ
3 東京では未知の密林へのアドベンチャーとして、フランスではドキュメンタリーとして、「カリブの海賊」がエンターテイメント的役割を持つ
4 その内容は、言語やシーン構成をのぞいてほとんど同一である
『「カリブの海賊」から学ぶ「効率化」講座 - Think with Entertainments!』

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まず、カリフォルニア州(右)とフロリダ州(左)にある「カリブの海賊」は、海賊の歴史を自国の文化と見做すため、これをドキュメンタリーとして展開する。前者では「ニューオーリンズ・スクエア」というニューオーリンズの街並みを再現したエリア、後者ではアドベンチャーランドのスペイン風の要塞から出発するのだ。続いて、フランス共和国にあるディズニーランド・パーク(中右)では、海賊はフランス語を話し、ポスターもフランス語の文言が表記される。これにより、ゲストは海賊たちの話す言葉を理解して、海賊たちの「内側」に入ることになる。

では、東京ディズニーランド(中左)はどうだろうか? 東京ディズニーランドでは、「カリブの海賊」はカリフォルニア州のものによく似ている。そして海賊たちは英語を話し、我々はその言葉を理解しない。そして、「アドベンチャーランド」から出発し、海賊たちを「荒くれ者」として俯瞰してみることになる。そして、この態度は東京ディズニーランド全体に通底していると言えるだろう。

東京ディズニーランドの工事は、契約してから一年半がすぎた一九八〇年一二月に着工した。当初一〇〇〇億円を予定していた総事業費は、なんと一八〇〇億円を超えた。高橋社長は担当スタッフに、檄を飛ばした。
「いくら金がかかってもいいから、本物を創ってくれ。創る以上はロサンゼルスやフロリダに勝るものでなければならない」
(加賀見俊夫『海を超える想像力』61ページ)

端的に言えば、東京ディズニーランドでゲストが見る英文は全て、アメリカ人ゲストが理解できるものとして考えて良いわけである。我々はそれを「英文の飾り」だと思って承知し見逃しているが、ロサンゼルスやフロリダでは、あれらは切実な「物語」の一部として捉えられるのである。そして、この考え方に則っているため、フランスのパークでは主言語はフランス語になるし、香港や上海のパークでは主言語は中国語になる。

上海ディズニーランドの"CookieAnn Bakery Cafe"だが、英語よりも大きく中国語で「琦妙美味屋」と表記されている

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ディズニーランド・パリのウェブサイトでは、英語とフランス語のアトラクション表記が混在している

話を本章の冒頭に戻そう。即ち、東京ディズニーシーとはその延長線上にあるものとして理解される。メディテレーニアンハーバーにはイタリア語、ロストリバーデルタにはスペイン語、アラビアンコーストには(一応)アラビア語、ミステリアスアイランドにはフランス語やラテン語が見られ、主言語はそれぞれの港に則っている。「カリブの海賊」についてそうであるように、我々は「余所者」であり"Stranger"であり、旅行者に過ぎず、現地の文化からは阻害されていると見ることもできる。

ディズニーシーのトイレにも問題はある。
便所の男女別の表示が、ものすごくわかりにくいのだ。これはこれで泣きそうな問題だ。頼むよ。
(中略)。
まず言葉がわからない。それぞれのエリアでそれぞれの現地語で表記されている。でも[SIGNORI]と[BELLE DONNE]と[Hombres]と[Mujeres]の区別はおれにはつかないぜ。わからない。しかもアラブ世界のトイレ表示はPRINCEとPRINCESSで、中途半端である。
あらためて気づいたのは、町中にあるトイレの表示を、おれたちは基本的に「色」で識別してるんだな。表示板が青系統なら男、赤系統なら女なのだ。日本ではそういうことになっておるのだ。だから、ディズニーシーでも色さえ統一してくれれば、誰も間違えない。
でも、つけてない。つけてるところもあるが、男女どっちも無色のところもある。
(堀井憲一郎『東京ディズニーリゾート便利帖〈第3版〉』218ページ)

ただ、それは東京ディズニーシーがそうすべくしてそうなったというだけの話で、東京ディズニーランドの時代から我々はそのようにディズニーパークを楽しむものと承知していたのだ。ディズニーパークの言葉は英語だよね、日本語で書かれているとむしろテンションが下がるよね、と。

(前略)「アドベンチャーランド・バザール」という大きな店がある。右の案内所はこの店を「世界中のエキゾチックな地域から集められた品々を売る場所」と紹介しているが、アメリカ人がどんなものにエキゾチシズムを感じているのかは、店内を一周すればよくわかる。インドの大理石の象眼細工の箱、真鍮の腕輪やローソク立て。中国の陶器やヒスイ、七宝のお着物やアクセサリー、漆器の盆や刺繍入りのハンカチ……。
アフリカ奥地をあらわすサンキストのジュース・スタンドにはじまり、ポリネシアを経てアジアに至るアドベンチャーランドの進化論的地図は、このエキゾチック市場の東端にある日本のコーナーで完結する。(中略)。
ここで重要なのは、ディズニーランド広しといえども日本という国がなんらかの形で登場するのは、この「アドベンチャーランド・バザール」だけだという事実である。
(能登路雅子『ディズニーランドという聖地』187ページ)

同書籍は1990年に第一刷が登場しており、些か古い記録ではあるが、少なくとも当時のアメリカ合衆国内のディズニーランドにおいて、日本という国はまだまだ「エキゾティックな冒険の対象」である。ひょっとすれば、あまりにも良い加減な扱いにぐぐぐと怒りたくもなってしまうかもしれない。だが、そんな我々が、気がつけばインドやアラビアの国々を同様の扱いで冒険しているのはなんとも皮肉な事実なのである。
中央アメリカのマヤ文明を舞台とするアトラクション「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」のオリジナルは1995年に登場した「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:禁断の瞳の魔宮」(Indiana Jones Adventure: Temple of the Forbidden Eye)であり、これもまたアジアの仏教寺院をモチーフとしている。「禁断の瞳」とは仏教において、釈迦の悟りを邪魔するマーラの眼のことを指していることを考えれば、これまたアジア生まれのアドベンチャーであると言えるだろう。

ディズニーシーは「つづきもの」

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『【公式】マップ | 東京ディズニーシー』

さて、東京ディズニーシーのマップを再び見てみよう。

いかなる宗教からも独立した学会たるS.E.A.が存在するメディテレーニアンハーバー、あまり着目してこなかったがガス灯が電灯に置き換わり電化真っ最中のアメリカンウォーターフロント、そして言わずもがな科学研究施設であるポートディスカバリー。
それに相対して、マヤ文明、人魚姫の伝説、『千夜一夜物語』をテーマに虚構の世界を再現したロストリバーデルタ、マーメイドラグーン、アラビアンコーストが存在する。
ここで、メディテレーニアンハーバー─アメリカンウォーターフロント─ポートディスカバリーが科学と文明を、ロストリバーデルタ─アラビアンコースト─マーメイドラグーンが伝説と神話をモチーフとしており、これらのテーマポートが手前側と奥側に集結していることがわかる。その証拠に、メディテレーニアンハーバーからマーメイドラグーンへ直接移動することはできないが、ポートディスカバリーへは道が伸びている。また、ポートディスカバリーとロストリバーデルタはつながっているが、ロストリバーデルタは伝説・神話帯の中で最も科学技術が発達し、文明の香りを感じさせるエリアでもある。

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マーメイドラグーンから“遠くに”見えるメディテレーニアンハーバー(「ソアリン:ファンタスティック・フライト」)

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ポートディスカバリーとロストリバーデルタの間のワゴン「スカイウォッチャー・スーヴェニア」

このモチーフは、東京ディズニーランド、そしてディズニーランドから引用されたものとさえ考えられる。

別名「アメリカの心臓部(ハートランド)」といわれるミズーリ、カンザス、アイオワ、ネブラスカなどの中西部地域は、夏は暑く、冬は寒い内陸性機構で、気候環境自体は日本でいえば、北海道の内陸の旭川あたりと似ている。(中略)。が、驚かされるのは、自然に対する彼らの敵意と憎悪の激しさである。
ウォルト・ディズニーの少年時代のわずか半世紀ほど前まで、中西部はアメリカの辺境であった。成功の夢を求めてここに移住してきた開拓者たちは、その想像を絶する苦難の記録を日記や手紙のかたちで残している。納屋から母屋に戻る途中、吹雪で方向感覚を失って凍死することや、地平線の果てから連日のように襲ってくる砂嵐に発狂者が出るといった悲劇は、当時、珍しくなかった。自然の脅威に生命と正気をつねに脅かされていた彼らは、窓のない家を建て、内部の壁に窓の絵を描き、外の恐ろしい景色とは正反対の美しく豊かな田園風景を描き込んだという。
(能登路雅子『ディズニーランドという聖地』75ページ〜)
動物のあり方は、植物のそれよりさらに自然から遠い。(中略)。危険な動物もばい菌も悪臭も、ここでは文明人の快適と娯楽のため、徹底的に飼い慣らされ、無菌か、無臭化されている。
(能登路雅子『ディズニーランドという聖地』80ページ〜)

こうした文脈から、東京ディズニーシーは東京ディズニーランドの前日譚として読むことができる。

自分たちの生活圏を脅かされて必死で抵抗するインディアンを前に、一九世紀の白人たちは「唯一の良いインディアンは死んだインディアンだ」と言ってのけたが、その「良い」インディアンたちは「アメリカ河」流域のインディアン部落で平和を愛するロボットとなって蒸気船の客たちに手を振っている。ディズニーランド開園当時、ここではアパッチ族やナヴァホ族など、「本物」のインディアンが羽やビーズの衣装をつけて踊りや儀式を観客に披露していたが、その後すべてロボットに「機械化」された。また、アメリカ西部の奥地で白人開拓者の命を脅かしたであろう巨大なクマたちも、フロンティアランド奥の「カントリー・ベア・プレイハウス」の舞台でネクタイやズボンをつけた熊ロボットとなって呑気に楽器をかきならしている。
(能登路雅子『ディズニーランドという聖地』192ページ〜)

ディズニーランド、ひいては東京ディズニーランドにおいて、自然の脅威はいずれも飼い慣らされ、あるいは敵対する勢力や思想はエンターテイメントとして茶化された。その前日譚たる東京ディズニーシーにおいては、彼らは未だ脅威として牙を剥いているというわけである。

ディズニーシー懺悔旅

東京ディズニーシーで我々が冒険する世界は、支配欲と戦争、自然の脅威に満ちている。東京ディズニーシーが「大人向け」だと言われるのは、しばしば七つのテーマポートがその影を覗かせるからではなかろうか。

ホテル・ハイタワーのオープニングセレモニーは以下のように描写されている。

Close behind followed a marching band from Colonial India. After that, a Chinese dragon snaked its way down the street to the accompaniment of exploding fireworks. This was followed by Belly dancers from Arabia, accompanied by a small orchestra on a stand, pulled by Arabian horses. This was followed by a group of Arapaho Indian ghost dancers and drummers. These, in turn, were followed by acrobats from Indonesia, chanting Maori warriors from New Zealand, and elegantly dressed geishas from Japan. It was quite a strange collection of people, who reportedly had been brought from the far corners of the world for only one purpose: to march in this parade.
直ぐ後ろには、インド植民地からの楽団が続いた。続いて、龍が爆発する花火の音に合わせて道を下っていった。アラブの馬に引かれた小さな楽団とベリーダンサーが続く。そこに、アラパホ・インディアンのゴーストダンスのダンサーとドラマーのグループが続いた。これらに代わって、インドネシアからのアクロバット隊、ニュージーランドからの歌うマオリ戦士、日本からの上品に化粧した芸者が続いた。それは、たったひとつの目的──このパレードでの行進のために世界の端々から集められたとされる、なかなかに奇妙な人々のコレクションだった。
(筆者訳)

引用元は、ハリソン・ハイタワーの言葉ではない。このような人々を“Strange"と表現したのは、またもやコーネリアス・エンディコット三世により運営されるニューヨーク・グローブ通信(The New York Globe Telegraph)である。

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文明化し、科学の発展を経験した我々は最早、ハリソン・ハイタワー三世と大差のない人間なのではないか? 我々は、東京ディズニーシーをいかなる目で旅すれば良いのだろうか?

しかし、希望はある。

ポートディスカバリーで「シーライダー」が開発され、『リトル・マーメイド』でアリエルが人間になろうとしたように、我々は純粋な目で憧れることができる。「冒険とイマジネーションの海」という東京ディズニーシーの大きなテーマには、地球は丸いと信じたクリストファー・コロンブスの見た景色もあてはまる。もちろん、その先にあるものは権益と利益と名誉かもしれないが、憧れと支配欲は上下関係以外の部分に置いてほとんど同質の体験を持っている。

ネモ船長もまた、次のように書いている。

Uncovered while drilling for fresh water reservoirs these fossilized egg fragments purport to represent a monsterous creature; perhaps a heretofore undiscovered branch of evolution. Yet it is preposterous to think such a creature could possibly still exist. - Nemo 09 October
貯水池を求めて削岩している最中に発見したこれらの化石化した卵の破片は、怪物のような生物の存在があることを表している。恐らく、これまで発見されてこなかった進化系なのだろう。しかし、そのような生物が未だ生存していると考えるのはばからしい。─10月9日 ネモ

一見するとハリソン・ハイタワー三世と同様の轍を踏んでいるように見える彼だが、同時に彼はこのように続けている。

Having sailed my Nautilus across more oceans than any ship captain in history, I am no stranger to the wild rantings of crewmembers suffering from over active imaginations. Yet even I find myself ruminating as to the behemoth that produced so mighty an embryo. - Nemo
ノーチラス号に乗り歴史上のいかなる船長よりも海を旅してきたからには、私は過剰な想像力に苦しむクルーの戯言を知らぬわけではない。しかしそのような私でさえも、巨大な幼体を産んだ巨大な生き物に思いを巡らせているのだ。─ネモ

彼のような科学的で明晰な男でさえも、想像力から逃げることはできない。

『レイダース/失われたアーク〈聖櫃〉』を観てもこれは同様である。インディアナ・ジョーンズ博士が相手取るのはナチス・ドイツの発掘隊であり、発掘隊に手を貸してしまった旧友のルネ・ベロックと考古学の考え方を巡って問答する。
アトラクション「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」でも最後までクリスタル・スカルの恐怖を訴えた人物であり、パコの魔宮ツアーはある種のギルティー・プレジャーとして成立している。

極め付けに、2019年にオープンした「ソアリン:ファンタスティック・フライト」は、悪名高き(?)S.E.A.によって運営される博物館ファンタスティック・フライト・ミュージアムが舞台である。1801年に生まれ、2代目博物館館長となったカメリア・ファルコという女性は、S.E.A.初の女性会員となった。後に亡くなった彼女を偲んで、1901年、カメリア・ファルコ生誕100周年の特別展が行われた。その会場で、彼女のスピリットと出会うアトラクションがこの「ソアリン」である。

最初に飛ばした紙飛行機が空高く舞い上がった時、空を飛ぶという私の夢を多くの人と分かち合いたいと思いました。そんな思いを胸に、私は世界中の科学者や芸術家たちと協力し、空を飛ぶ様々な手段を開発したのです。そして、空を飛びたいと願い続ければ、素晴らしい技術が生まれ、その夢は実現するのだと確信しました。
今日は私たちの自信作、ドリームフライヤーをみなさんにご紹介できて本当に嬉しく思います。みなさんの夢を見る力が、このドリームフライヤーを空高く舞い上がらせ、時空を超えた旅へと連れて行ってくれるでしょう。

カメリアの空に対する情熱は、「多くの人と分かち合い」、「世界中の科学者や芸術家たちと協力し」て成し遂げられたものであるとされている。東京ディズニーシーが讃えるのは正にそうした憧れ、それはとりわけ、水平線の向こうにあるまだ見ぬ世界への憧れとしてなみなみ表現されているのではないだろうか。S.E.A.とカメリア・ファルコを隔てたもの。それは憧れであったのかもしれない。

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参照

印紙法
インド基礎データ|外務省

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